ただ荒野だけが広がっていた。 薄く曇る空には、大きな太陽がひとつ。 吹きすさぶ風に砂塵が舞う。舞う砂塵は止まらず、どこまでも運ばれていく。辺りは一面、真っ平らな荒野。風がぶつかるものもなく、地面の起伏すらもほとんどない。ゆえに風に巻かれたものは、どこまでもどこまでも砂塵と共に舞い続ける。 そんな荒野の中に、風に揺るがず立つ者がいた。 男だ。190近い長身に纏うのは紅い外套。その下には鎧を思わせる黒のアンダーウェア。鍛えこまれた筋肉質な体は、磨き上げられた剣を思わせる。それも博物館に飾られるような技巧をこらした美しい剣ではなく、実戦のなかで鍛え上げられた武骨だが鋭く強靱な剣だ。オールバックの白い短髪、鷹のように鋭く、そしてひたむきな瞳も剣の鋭さを連想させる。 そんな雰囲気と、彼の着衣がどこか中世を思わせるデザインであるから、その男はまるで騎士のようであった。 その紅い騎士は、風吹きすさぶ荒野の中弓を構えていた。 だが、その弓につがえられているのは矢ではない。刀身があり、柄がある。ならば剣かと問われればこれも首を傾げざるを得ない。螺旋に捻れたその刀身を見て、すぐに剣だと思いつくものはいないだろう。だが見るものが見ればそれはわかるだった。 その剣の名は、 それを矢として弓につがえている。 紅い騎士の見つめる先には何も見えない。少なくとも並の人間には見えぬ遠くを、鷹のように鋭い瞳で見据える。 そして、紅い騎士は矢を放った。 剣であるはずのそれは矢のように遠く速く、剣のように鋭く迅く。紅い騎士に見据える遠い先へと飛ぶ。 そして、その後に起きたのは剣でも矢でもありえないことだった。 遠雷のごとく響いたのは、爆発音。 それは紅い騎士の放った剣――偽・螺旋剣が弾けた音。固体化した神秘である宝具を炸裂されるその技を、「 並の英霊ならば欠片すら残らない、必殺と呼ぶに相応しいその爆発。その命中を確信しながら、しかし紅い騎士の表情は鷹の厳しさのままだ。 「やはり通用しないか……」 呟きと共に、その口元を皮肉下にゆがめる。 「まったく悪い夢のようだ。……相手があの、真祖の姫君だとはな」 声には諦めの響き。しかしより鋭さを増す目にはそうではなく、愚直なまでにひたむきな、絶望に抗う意志があった。 この惑星はもう終わりかけていた。 長い永い時を刻み、もうその寿命へと達しようとしていた。 「――― 目を閉じ、ただ一心に紅い騎士は呟く。それは呪文。その紅い騎士の在り方を示す、たった一つの彼だけの呪文。 「――― その声を聞く者はいない。いまや世界と共に人類は滅亡を目前としており、細々とシェルターの中で辛うじて生をつないでいる。終末を前に宇宙へとなんのあてもなく希望だけを頼りに旅立った者達もいたが、その消息は知れない。 何万種といた人類以外の生物も、もはや地上には数えるほどしか存在しない。 紅い騎士の立つ荒野の中に、生命を持つものはいない。 「――― そう。ここに生者はいない。紅い騎士もまた厳密には生者ではない。その身はかつて一度死に、英霊として世界に組み込まれた。人の生みだした滅亡の危機に召還され現界する守護者と呼ばれる存在だった。 「――― ――― ――― 紅い騎士はかつて「セイギノミカタ」になりたかった。ひたむきな彼のその思いに、しかし現実は壮絶に厳しく、結果彼は大を救うため小を切り捨てるしかなかった。英霊となった しかし今、滅亡が確実である人類に守る価値もあるのか。 「――― そう、守る価値はあるのか。 たとえ明確な滅亡の要因のない状況でも、滅び去る以外に道のないこの時代に、守護者たる彼が現界する意味などあるのだろうか。 そして紅い騎士は目を開く。その瞳には強制された使命に対するものではない、確かな意志があった。 「――― 緋が走り、火が広がり、広がる炎は円を描く。それは境界線。炎を境に、世界を異界が塗りつぶす。 風吹きすさぶ荒野から、風亡き荒野へと紅い騎士の周囲一帯が変わる。 遠く空を埋めるのは、天に届くほど回る巨大な歯車。ゆっくりと回るその歯車から、遠く深く轟音が響く。 一面の荒野。先ほどまでのなにもない荒野以上に荒涼としたそこに、見渡す限り突き立つ墓標のような無数の剣。そのことごとくが伝説に名を残す卓越した武具。宝具と呼ばれる固定化した神秘。 剣を生み出し、剣を蔵す一面の荒野。しかしそこには見る者になぜか墓所を思わせる。 その世界は、魔法に限りなく近い魔術の禁忌、固有結界。 その幻の火の粉舞う荒野の中、霞のように一人の女が現れる。 透き通るような腰まで届く金の髪。穢れひとつなく、無垢なまでに白いドレス。穏やかな微笑みを口元にたたえその気品は場にそぐわない。 しかしなにより場にそぐわないと思わせるのはその目だ。 その瞳は――禍々しく、紅い。その禍々しさは、たとえそこが何処であろうとも似合うことなどあり得まい。 紅い騎士は、その到来を待ちかまえていたように口を開く。 「お初にお目にかかる――真祖の姫君」 言葉と共に恭しく、しかし目線だけは外さずに頭を下げる。 芝居がかった優雅な動作に、姫とよばれた女の笑みが深くなる。笑みの端から、歯がこぼれる。牙と呼ぶほどに鋭く突き立つそれは、吸血鬼の証。 「墜ちた真祖……魔王よ」 礼に下げた姿勢から、紅い騎士は鋭く見据える。 真祖。この惑星で最強に近い力を持つ不老不死の一族。真祖は生来避け得ぬ吸血衝動をその身に抱え、力の大半をその衝動を抑えることに使う。それでもなお最強と呼ぶに相応しい強大な力を持つ。しかしいずれは血の誘惑に負け、血に狂う。そうなってしまった真祖を魔王と呼ぶ。 世界からほとんど制限無しに力を汲み上げる真祖は、守護者である紅い騎士をして遠く及ばぬ存在だ。まして吸血衝動に耐えるという足かせを無くした魔王ともなればなおさらだ。 しかし、今や世界は死にかけている。故にその力も減じているはずだ。 それでもなお紅い騎士は強い力を感じている。そもそもたとえ世界が終わろうとしているからとしても、墜ちた真祖相手に守護者一人ではあまりにも無謀というものだ。 ……あるいはこの全てが終わろうという時代では、守護者というシステムもまともに機能していないかも知れないな…… 自分を裏切り続けた世界について、紅い騎士は皮肉な思考をする。 芝居がかった紅い騎士の言葉。それに対する白い姫君の行為は、スカートを軽く持ち上げ頭を軽く下げる、礼。 まさに姫君と呼ぶに相応しい、その優雅にして高貴な所作。 そこだけ切り取って見れば、まるでおとぎ話の姫君を迎える騎士といった格好だ。 しかし紅い騎士は先ほど、この姫君に対し紛れもなく必殺の意志を込めた一矢を放った。そして固有結界の展開という明らかな戦闘態勢でのこの姫君を出迎えた。 真祖は微笑んでいる。禍々しい瞳のまま、口元だけは穏やかに笑んでいる。 裏も表もなく、余分な言葉すらない。ただ、純粋に楽しんでいるようなその笑顔。この荒廃した世界の、それも「戦場」において無垢なまでの純粋さを持つのは尊いのではない。ただ異常なだけだ。ゆえに、紅い騎士は確信する。 やはりこの真祖は血に狂い、そして狂気を得た、と。 そして真祖の姫君は礼に下げていた頭を上げる。その動作を起点に――翔んだ。それはまさに跳躍と言うより飛翔と言うべき高空に至る動きだった。 高所からの攻撃は、重力を利用した加速と重さを得ることが出来る。また、頭上からの攻撃は迎撃しづらいという利点もある。 しかし、それは並の戦いでの話だ。 相手は真祖。対するは英霊。そんな常識などあてはまらない。そもそも高所からの威力の増加など図らずとも、真祖には紅い騎士を打倒しうる力が充分すぎるほどあるはずだ。 そうなると空中ゆえの動きの制限が先に立つ。奇襲ですらなく、万全の相手にたいする第一撃がこんな攻撃など、まるで意味がない。 それは狂気ゆえの行動と片づけることはできる。 しかし紅い騎士はいささかも動じず、ただ鋭く見据える。 たしかに相手は狂気を帯びているかも知れない。しかし、彼が先ほど放った「 彼自身、ぎりぎりの射程から放ったゆえにどうやって防いだか、子細はわからない。 ゆえに彼は油断も容赦も手加減もなく立ち向かう。 掲げた紅い騎士の手に応えるのは、無数の剣。突き立つ地より虚空に浮き上がった剣の群れは、100に届こうという数だ。 それが、一斉に真祖の姫君へと襲いかかる。 そのことごとくが聖剣、魔剣、名刀、妖刀。全てが必殺の宝具が真祖の姫君を全方向から囲む。その隙のなさ、例えその身が空中になくてもかわせまい。 必殺の陣の中、真祖の姫君は――月を、見せた。 真祖の動きは円。弧を描く両手の爪は、いかなる技か。爪の動きと言うよりは爪の巻き起こした轟という風に吹き飛ばされたかのように、無数の宝具が砕かれ、弾かれ、吹き飛ばされる。 そう、それはまさに満ちた月。まるで満月の様に、美しく、儚く、しかし禍禍しかった。そしてその月は、天にある自分に向かうは不相応だと言うように必殺であるはずの宝具を寄せつけない。 紅い騎士は確信する。先ほどの一撃、「 砕かれ弾かれ吹き飛ばされた宝具が、逆に地上に立つ紅い騎士を襲う。 しかしここは彼の生みだした彼の領域。そして宝具の全ては彼の魔力で編まれたものだ。手をかざし意識を向ければ宝具は光にほどけ消え失せる。 魔力のほどける光の降りそそぐ中、真祖の姫君は地上に降り立つ。落下の動きにふわりとドレスのスカートが舞い、同じく長い金髪が舞う。火の粉散るこの固有結界の中にあってなお、その金の髪は緋にそまらず金の光を放つ。まるで月光の下に在るかのよう。だから降り立つ姫君は、まるでたったいま月から降り立ったかのように美しい。 しかしその厳かとも言える姿に反し、姫君の浮かべる表情は満面の笑顔。その笑みはどこか獣性を感じさせる深い笑み。無邪気な、まるでネズミを見つけた猫のよう。あるいは相手の痛みを知らぬまま虫をいたぶる子供のそれか。そしてその紅く染まる瞳が、その禍禍しさが、魂を凍らせるほどの怖気を感じさせる。 今の飛翔はただの戯れ。真祖の姫君は、遊びのように紅い騎士の力を試したのだ。 英霊たる守護者を前にしてその余裕、なんと傲岸不遜であるか。しかしその余裕ゆえの隙を逃す紅い騎士ではない。彼は既に次の手を打っている。 「貫き出よ!」 声と共に手を上げる。 それを合図に真祖の足下から、無数の宝具が突き出てくる。その容赦ない速度は熟練した槍兵の突きに匹敵する。並の人間ならかわすどころか気づいたときにはハリネズミのように貫かれていることだろう。あるいは自分の絶命にすら気づかないかもしれない、容赦ない攻撃だ。 しかしそんな奇襲もこの真祖の姫君に通用するはずがない。彼女は後ろに跳びすさることでかわす。その動きには余裕すら感じられた。 真祖の姫君を追うように、紅い騎士は走り込む。彼の狙いは地より生えた宝具の一つ。手にとったのは槍。彼自身、身をもってその威力を知る真紅の魔槍。 「 故に、手に取ったその槍は必中の呪いを秘めた魔槍。その名を その槍の能力は因果の逆転。「心臓に命中した」と言う現実を放つ前に確定させたその一撃は、まさに必中にして必殺。 真祖の姫君は地より生えた宝具たちの壁を隔て向こう側。真名の解放を阻まれることはない。そして発動しさえすれば、たとえ真祖であろうともかわすことはできまい。 必殺の一撃を必然の状況で放とうとし、しかし紅い騎士は理不尽を見る。 赤い紅い、獣の瞳。 「!」 ありえぬほどに近くにあるそれは、宝具の壁に傷つくことも厭わず力任せに前でた真祖の瞳。その勢いのままに放つ爪が、必中であるはずのその槍を、発動する間も与えずに切り砕く。 その衝撃は赤い騎士をも吹き飛ばした。 再び、二人の間に距離が空く。 傷ついたのは真祖。さすがの真祖も宝具でその身を切り裂かれている。宝具の中を無理に進んだにしては軽傷、さすが真祖と呼ぶべきか。ドレスはところどころ破れ血の赤に染まった様。白をまだらに染め上げる紅。その様は、いっそ壮絶なほどに美しい。 そしてその表情はやはり笑み。しかし牙を見せる、獣のような笑み。 対する赤い騎士はほとんど無傷。気迫も衰えてはいない。しかし、その表情は固い。 たった今、紛れもない必殺の一撃をその未然に防がれた。 この槍の正体を知って防いだというのだろうか。 否。それはありえない。 無数の宝具の中、その一本を手に取り真名を解放しようとしたのだ。宝具についての知識があるのならば、逆に無数の宝具が目くらましとなり容易に判断は出来ず、仮に判断ができたとしてもあれほど素早く、しかも無茶とも言える対処はできなかったはずだ。 理性で知ろうとすれば惑わされる。だから、狂気に身を堕としたこの真祖は。 ……ただ気配だけでこちらの必殺を見抜いたとでも言うのか……! 彼は心眼を持っている。武骨なまでの修練の果て、幾度も乗り越えた視線の経験が作り上げた戦闘理論。ゆえに的確な状況判断ができる。 彼の知る英霊の中には、未来視に近い直感によって攻撃をかわす者もいた。 しかし、そのどちらであろうと今の一撃を「未然に防ぐ」などできまい。 人を越えた英霊の力すら及ばぬこの理不尽。あらためて、紅い騎士は己の対峙している相手が彼とは次元の違う強大な存在であり、それに立ち向かうことの無謀を知る。 それは一言で表現するなら――正しく絶望と呼ぶべきものだった。 しかし。彼はそれで止まらない。退かない。怯まない。なぜなら彼が生前没後を問わず相手にしてきたのは、いつだって絶望だったからだ。 だから彼は既に戦うための準備をしている。紅い騎士がその両手に構えるのは、それぞれ黒と白の鉈を思わせる幅広の剣。陰陽の夫婦剣・千将莫耶。もっとも手に馴染み信頼のおける双剣だ。 真祖は紅い騎士を見て、次に手に持つその剣を見る。そして自分の両手を見て、わずかに眉を寄せ表情を曇らせる。それは自分が無手であることを不公平にでも感じているかのような奇妙な仕草だった。そして、思いついたように顔を上げると、その両手を口元に当て。 ――自らの両手首を食いちぎった。 鮮血がほとばしり、赤黒い大地に黒く染みこむ。この凶行には紅い騎士も眉を寄せる。 真祖は一人、再び笑む。そして――赤い騎士に肉薄した。 「!」 油断していたわけでない。確かに真祖の今の行為には疑問を覚えたが、それで隙を作るほど紅い騎士は甘くはない。実戦を重ね生き抜いて錬磨された彼を出し抜いたのは、真祖の純粋な身体能力であった。 それはもはや剣の間合いではない。ゆえに騎士は退く。弧を描きそれを追う真祖の爪は、その鋭い速さを別にすればまるで想い人を追う淑女の手のように優雅でひたむきで、そしてなにより執拗だった。 迫り来る爪を、とっさに双剣で受け流す。宝具を砕く一撃を剣を壊さず受け流した赤い騎士の技量は驚嘆に値すると言えるだろう。 しかし、赤い騎士の胴は浅くだが斬られていた。 爪は受け流した。だからそれを為したのは別のモノ。 それは……血だった。 真祖の力で振るわれた爪。それに続く手首からの鮮血は、その勢いだけで刃の如き鋭さを持つに至った。 赤い騎士が戦慄に表情を固くする。真祖の姫君は艶然と笑む。 そして、円舞が始まった。 円の動きを基本に繰り出される真祖の爪は、間断というものがない。そしてそれに続くのは手首より流れし血の刃。流れ出る血のみならず、その雫ひとつすら弾丸の如き速度と威力だ。 舞いの如き軽やかにして優雅な動きから放たれる連撃は、瀑布のごとき激しさと苛烈さでもって襲いかかる。 しかしこれはなんと壮絶な光景か。 「吸血」鬼であるはずの真祖の姫君が、自分の血を流すことを厭わず舞っている。その表情もまた舞いにふさわしい笑み。紅い瞳の狂気に満ちた笑み。 それはあまりにも壮絶で、ゆえにその在り方は例えようもなく美しかった。 その円舞を前に彼の技量をもってしても耐えきれず、双剣は幾度も砕かれる。 しかしそのたびに彼は地より突き立つ剣を取り、補充する。 それが数合いも続く。そう、数合い。すぐには終わらない。 真祖の放つ爪は騎士の剣に阻まれる。だが、血の刃はどうか。爪をかわすのに精一杯の騎士に、血の刃をかわす余裕など無いはずだ。 全てかわされているわけではない。しかし致命には届かず、円舞は続いている。 爪を繰り出す。赤い騎士は辛うじて受け流す。騎士は紛れもなく全力。続く血の刃に割く余力などない。 ゆえに血の刃はそのまま騎士の体に迫り、しかし地に突き立つ剣に阻まれた。 円舞は続く。続く爪を双剣で辛うじて捌く。がら空きの足に至ろうとする血の刃は、今度は槍に阻まれた。 幾度も幾度も幾度も。真祖の攻めはことごとく。すんでの所でかわされる。 荒野に突き立つ無数の宝具。それを盾として紅い騎士は戦っていたのだ。 真祖の攻撃は激しすぎる。本来ならば紅い騎士の技量であろうと地形を利用するなど不可能だろう。 しかしここは彼の固有結界、 責め続ける真祖と、それを凌ぎ続ける紅い騎士。激しく舞い続ける二者の、しかし状況は均衡して硬直している。 崩れればそれはまぎれもなく必殺となる。これはなんと危うい均衡か。 いつまでも続きそうなその舞は、しかしいつまでも続くなどあり得ない。均衡は、いずれ崩れる。 それを崩したのは、騎士が迎えようとしていた限界ではなく真祖の行為だった。 狂気の中、真祖は認識した。好きに舞っていたはずの円舞は紅い騎士の演出の中にあったこと。そのことを、理解ではなく感覚として、不快であると認識した。 それを、その想いを。真祖は全力で発露させた。 舞う楽しみを捨て放ったのは大振りの、やはり円の一撃。周囲の宝具を一気に凪払う様はまるで竜巻のよう。 大振りの一撃は隙を生む。しかしこの広範囲の一撃、身を低くしてかわせるような生やさしい爪撃ではない。周りにいるもののできることは限られる。 ゆえに、真祖の見上げる先には跳ぶことでかわした紅い騎士の姿がある。状況は違うが戦いの始まりの再現だ。この好機をつかむべく、紅い騎士は全力の一撃を放つはず。真祖は迎撃を想い。 しかし、真祖の姫君は己が目を疑う。 必殺の一撃を放つはずの紅い騎士の手には、一振りの剣もなかったのだ。 刹那、真祖の耳に風切り音が届く。 千将莫耶。その夫婦剣は投擲に適しており、お互いに引かれ合う性質を持つ。 中空にある夫婦剣は、真祖の姫君の首をその逢瀬の場とするために、高速に飛来する……! しかしそれすらも真祖の姫君はかわせて見せる。それでも前には出られず、後ろに下がる。体勢が崩れかかる。 「貫き出よ!」 紅い騎士の声と共に、再び足下から宝具が突き立つ。まだ立て直せないバランスの中、これ以上ないという程のタイミングでの攻撃。 しかしそれでも真祖の姫君は後ろに跳びす去り、かろうじてかわす。 だが、その跳躍は途中で止められた。 「!?」 彼女の背には、壁のように突き立つ無数の宝具があった。 追いつめられ、今度は本当に体勢が崩れた。そこへ地に降りた紅い騎士が駆け込む。駆ける最中拾い上げた武具は、その逞しい体躯をして不似合いに思わせる巨大で武骨な斧剣がだった。 真祖の姫君は知らない。それがどんな代物であるか知らない。それが紅い騎士の知る、最大の破壊力を持った英霊の使っていたモノであることを知らない。 そして紅い騎士は、彼の英霊の技を再現する。 「 かつて九つの頭を持つ魔物を殲滅した、ギリシャの大英雄の弓の技。その弓技の、剣による再現。 必殺の一撃を未然に防がれた彼は、必殺の数撃に賭けた。 あるいは防がれるかも知れない。しかしいくら真祖の姫君とは言え、この状況で全てを防ぎきることはかなうまい。わずかな間でも動きを止めればいい。それさえできれば、無数の宝具を降りそそがせて殲滅を図る。 たとえそれで殺しきれなくても、彼の蔵する宝具の中には動きを封じる魔剣も毒をはき続ける短剣もある。 ……一度縛りつけさえすれば、人が滅びきるまで封じてくれよう……! 不可避ではないが完全回避はかなわぬ技。必殺でなくとも必倒は避け得ぬ技を前に、彼女は両手をかざす。その手の内に。 光が、生まれた。 もはや止めることもかなわぬタイミングに現れたそれに、しかし紅い騎士はひるまず斧剣を叩きつける。 一瞬だった。 消えた。 斧剣が消えた。彼の手も光にのみ込まれた。 固体化した神秘であるはずの宝具が。英霊であるはずの紅い騎士の右腕が。なんの抵抗もなく消滅させられた。 「!」 紅い騎士は退く。この光がなんであるかわからない。しかし、彼の経験が告げていた。逃げるしかない、と。 しかし逃げる暇はなく、光は広がり、そして――。 ・ ・ ・ 紅い騎士は瞳を開く。 辺りは一変していた。 まるで爆弾でも落ちたかのようにすり鉢状のクレーターが生じ、その爆心地の最中に自分の体は倒れていた。 体を起こすと、小さな花びらが散った。 「 彼の使える中で最強の防御系宝具は、辛うじて紅い騎士の命を繋いだらしい。 立ち上がる。足下が震える。魔力も残り少ない。だが、立つ。 彼は思考する。 魔術というプロセスを介さずに発言した今の力。魔術師であった彼は、知識としてだけあったそれに思い当たっていた。 「 真祖の姫君が使えるという能力。自身の意思を世界に直結させ、思い描いた通りに変貌させる世界干渉の技。白い姫君の用いるその力は自然の力に限られるという。 本来英霊である紅い騎士には、魔力を介した力あるいは強力な概念武装でもなければ干渉できないはずだ。そのルールすら押し込める、圧倒的で暴力的な、しかし物理的な力。まるで太陽のようなあの光……。 「太陽だと……? 馬鹿な……」 疑問は呟きとして漏れ出た。 そう、それはありえないことだ。確かに空想具現化ならば、理屈の上では太陽の、核融合も再現可能だろう。だが真祖は仮にも「月の民」と呼ばれる存在だ。太陽の下では完全な不死でなくなるとも聞く。いくら狂気に囚われていようと、そんな力を自らの目前で使うなどありえない。それはただの自殺行為だ。 しかし、目の前の光景を見て、紅い騎士は戸惑う。 真祖はクレーターの中心にいた。 あの爆発の中心にいたのだ。無事でいるはずがない。あれほど凄まじい爆発の中にいて、無事でいられるはずがない。 だから、無事ではなかった。 しかし、これはどうだ。 彼女は薄らいでいた。あれほど強かった力も、今はそれほどには感じられない。その力どころか存在自体を失いかねないほどの、今の爆発はそんな破滅的なモノだったのだ。 それでなお彼女は狂気に笑う。 その表情は喜び。いや、悦びというべきか。まるで滅びようとしているこの状況に歓喜しているかのようだ。 しかし、それでもなお真祖の姫は復元する。徐々に薄らいでいた存在が濃くなっている。 戦いが始まったのは太陽のある時間――日中だ。そして今ここは彼の固有結界の中。心象風景で現実世界を塗りつぶしたここで、真祖は平時と同じく世界から力を汲み上げることができるものだろうか? しかし現実に彼女は復元しようとしている。 ここに来て彼はようやく悟る。 動きをとめようなどという考えはあまりにも甘かった。殺すと言う覚悟でもまるで足りない。 消す。 それしかない。 そしてそのチャンスは復元しようとする今しかない。もはや魔力も残り少なく、無数の宝具を繰り出す余裕はない。 だから彼は慣れ親しみもっとも負担の少ない莫耶のみを現し、その左手に構える。 そして一言。最後の呪文を発する。 「 轟音が、響く。 それは遠く小さな音ながら、しかしこの無限の剣製(アンリミテッド・ブレードワークス)という世界を揺るがす強さを持っていた。 その音に圧されるように紅い騎士は駆け出す。駆ける足は連戦を経て今までのような速さはないが、意志を込めた足は今まで以上に力強い。 真祖の姫君に肉薄する。 彼女はまるで今まで忘れていて、今気づいたかのように紅い騎士に目を向ける。 紅い騎士が行動するのにそれは充分な隙だった。彼は白い姫君を抱きしめるように背中から莫耶を突き刺す。存在の復元しきらない真祖の躯に、それは深く深く刺さる。突き抜け、紅い騎士の体ごと貫くほどに、深く突き刺さった。 「ぐっ……!」 紅い騎士の口から鮮血がこぼれる。しかしその口元は笑みを浮かべている。 「これで終わりだ……!」 呟く声をうち消すように、轟音が響く。先ほど遠くから響いた一つの音が、今やまわりじゅう覆い尽くすように多重に響いている。 そしてその音の大きさは急速に大きくなり、そして同じぐらい速く近づいてくる。 「 それはある宝具の「 真祖の能力なら世界の消失前に逃げ切ることができたかも知れない。しかし、もう遅い。だから紅い騎士は真祖ごと自分を突き刺した。真祖が逃げられぬよう、自らの体を足かせとするために。 たとえ今この瞬間に殺されたとしても、発動した「 紅い騎士はそれでも、真祖の姫君を逃さぬよう剣ごと強く抱きしめる。そして真祖の姫君を見る。 そこには狂気の笑みはなかった。 安堵した女の顔があった。 「シ、キ……」 呟いた言葉。紅い騎士の知らぬソレは、かつて真祖の姫君が愛した男の名だった。 紅い騎士は知らない。 人としての身を捨てなかったその男は死に、長い永い時が流れた。真祖の姫君は男への想いを忘れず、大切にし、しかし時間はどうしようもなくそれを摩耗させた。それでも彼女は生き続ける。やがて人の営みすらも地上から姿を消し、その男を思い出させるものは何一つ無くなっていた。そして不老不死である彼女は死ぬことすらできない。そして気づいたとき、この世界には彼女を殺せるモノすらなにひとつ残っていなかった。 すがるものはなく、行くべき道も無い。だから彼女は吸血衝動に負けた。負けてもこの惑星には既に血を吸える人間もほとんど残ってない。だから彼女は飢えて飢えて飢えて。それで狂った。あまりにも純粋に歪んだ狂気は、滅びを望み、血を流すことを厭わず戦った。 紅い騎士は知らない。ただ、滅びを前に、安堵の表情を浮かべる真祖の姫君を見て。 「たわけが……!」 一言、悔恨の言葉を呟く。 それは姫に対しての言葉ではない。 戦いの中片手を失い、両手で抱いてやれなかった自分の不甲斐なさに対してだ。戦いの中にありながら、そんな感傷を抱いてしまった自分に対して言ったのだ。 紅い騎士は自らと真祖の姫君を貫く剣から手を離す。 そして、真祖の姫君を抱きしめた。 そんなことは何の救いにもならない。なぜなら彼女はもはや愛する男の名を呟くことはなく、抱きしめる手に応えて抱き返すこともしない。 滅びを前に、ひどくひどくひどく……穏やかな表情を浮かべるだけだ。 だから紅い騎士は想う。また自分は、この手の中の何も救えない。確かに真祖を止めることで救われる者はいるだろう。しかし目の前の女すら救えない。ゆえに彼こそが救われない。 そして。 ただ、ただ、ただ。 ・ ・ ・ 荒野がある。 薄く曇る空には、大きな太陽がひとつ。 吹きすさぶ風に砂塵が舞う。舞う砂塵は止まらず、どこまでも運ばれていく。辺りは一面、真っ平らな荒野。風がぶつかるものもなく、地面の起伏すらもほとんどない。ゆえに風に巻かれたものは、どこまでもどこまでも砂塵と共に舞い続ける。 そこには戦いがあった。 しかし今は何もない。 本当に何もない。あえて言うなら、そこには滅びがあるのかもしれない。 ただ、もし死ねない者がいるのなら。滅びだけが救いであるのかもしれない。 だが、そこにはもう。なにもなにもなにも、ありはしなかった。 了 |
|
| HPトップへ | |