HPトップへ

SSトップへ



アナザーコード 2つの記憶 SS

追憶の鮮血


 
「アシュレイ」

 呼びかけの声に振りかえるのは、一人の少女。
 振り向く動きにその白い髪がなびき、降りそそぐ陽光を銀色に跳ねる。
 少女の名は、アシュレイ。死んだと聞かされていた父親からの突然の連絡に、ここブラッドエドワード島にやってきた。謎に満ちたこの島で、今は行方がわからなくなった親代わりのジェシカ、そして未だ姿を見せない父親を捜している。
 アシュレイの振り向く先には、呼びかけた少年の姿がある。蒼くほのかに輝き、わずかに背後の壁が透けて見せる少年は、生者ではない。
 57年前に命を失い、そしてほとんどの記憶も失ったゴースト。名はディー。
 二人はこの島で出会い、そして共に自らの求めるもの――アシュレイは父親を、ディーは失った記憶を求めて――二人は共にエドワード家の館に向かう道の中にあった。
 まだ出会ってから時間は経っていない。しかしアシュレイはディーの様子に今まで感じたことのない違和感を覚えた。
 いつもは真っ直ぐすぎるほどのひたむきな瞳でアシュレイを見つめるディーの視線。それが、今は常よりも下に向いているのだ。

「ディー、どうしたの?」

 アシュレイの問いかけに、

「アシュレイはどうしてそんな格好をしているの?」

 いつもの子供らしいとも言える真剣な瞳のままに、ディーは問う。しかしアシュレイにはその意味が分からない。
「そんな格好って……」
 予想もしない問いかけにアシュレイは首を傾げる。
 アシュレイの服装は、橙と白の二色に分けれた丈の短いTシャツ。黒のジーンズに白のベルト。スニーカー。そして両手には黒いリストバンド。
 特に変わった格好ではない。

「なにかおかしい?」
「見える……」
「見える?」
「おへそ……おへそが見える……」

 言われて、アシュレイは自らのおなかを見る。たしかに丈の短いTシャツだから、おへそが見えている。いつもより下を向くディーの視線はそこに向いているのだった。

「そんな格好で恥ずかしくないの?」
「?」
「ぼくが生きていた頃、女の人はそんな格好はしていなかったよ」

 ディーが生きていた時代。女性は無闇に肌を見せるものではなく、着るものにしても今のアシュレイのように身体の線が出てしまうものではなかった。
 アシュレイはどちらかと言えばまだ子供。14歳を迎えようと言う彼女は
『女性』ではなく『少女』だ。
 その服装はまだ男女の区別を意識したものではない。男の子といっしょに走り回っても違和感のない、軽快な服装。ピッタリとしたTシャツは慎ましく未成熟な胸のふくらみを隠さない。ジーンズもまたまだ女性的な丸みを帯び始めたフラットな脚のラインを出す。
 そして、なにより。へそだ。おへそが見えるのだ。
 それがディーには珍しく感じれるのだ。
 そんなアシュレイの姿しげしげと見るディー。その視線に、アシュレイはいまいちわからないながらもどこか居心地の悪いものを感じる。
 そんな微妙な空気の中、

「あ……!」

 唐突にディーが声を上げる。

「思い出した……」
「思い出した?」

 記憶を求めるディーが何かを思い出すというのはアシュレイにとってもうれしいことだ。しかし今はそうは感じられない。なにしろ自分のおへそを見ながら思い出したというのだ。

「絵を見つけたんだ……」
「絵?」
「なぜだか奥に隠してあったその絵は、女の人がなにも着てなくって……」
「え……?」

 突然語り始めたディーになにか不穏なものを感じて、アシュレイは一歩引く。嫌な予感。そしてアシュレイもまた甦る記憶があった。
 それは、ジェシカの部屋で偶然見つけた本。とても綺麗な男の人達が愛し合うB5サイズの薄手の本。それを見つけて読み耽り、そしてジェシカに見つかり叱られた。そのあと何故かしつこく感想を聞かれた。
 そのときのことを、あの本の内容を明確に思い出し、アシュレイは赤面する。そして、不快に感じる。今ここにある空気は、その時にそれに酷似しているのだ。

「見つかって、あとですごく叱られた……でもそのときはよくわかなかったけど、その絵は、すごく、すごく……」
「ディ、ディー?」
「おへそ……」

 ディーの視線に別の色が混じる。それはアシュレイにとってなんだかとっても不安を煽るものだった。
 急速に甦る記憶。記憶の中の、絵のおへそ。そして目の前にある、アシュレイのへそ。生のへそ。それはまだ無垢な少年にはあまりにも強烈な刺激だった。
 その感覚はディーの頭の中を駆けめぐり、融合し、膨らみ、そして、そして、そして……。


 弾けた。


「!?」

 パン、という、やたらと軽薄な音が響いた。
 二人の驚きが重なる。
 目を見開くアシュレイの前、ディーはのけぞり地に落ちていった。鼻の辺り
から青白い何かをひきながら、ゆるやかに、どうしようもなく倒れゆく。
 鼻から漏れるそれは、心霊関係の知識があるならエクトプラズムと思う知れない。しかし、

(……もしディーが生きていたら、きっとこれは赤いんだろうなあ……)

 ぼんやりとアシュレイは素直な感想を抱いた。
 つまり、それは。ディーの鼻から伸びるそれは。……鼻血にしか見えなかった。
 そのままディーは倒れてしまう。地に倒れたディーは、わずかに身を動かすこともなく、そしてその瞳も閉じたままだ。
 沈黙が。どうしようもない沈黙が、降りる。風が吹き、辺りの草木を揺らす。それすらもこの静寂を助長するようにしか思えない。まるで世界から「今のはなかったことにされている」ような、そんな静寂だった。

「ディー……?」

 やりきれない空気の中、勇気を出してアシュレイは問いかける。しかし。


 へんじがない。ただのしかばねのようだ。


(……いえ、ゴーストよね……)

 アシュレイは混乱したまま、自分の思考によくわからない突っ込みを入れる。

「どうしよう……?」

 ただでさえひとりぼっちで不安な状態なのだ。それに加えてゴーストの死亡(?)。ありえない。あまりにありえない事態に、途方に暮れてアシュレイは天を仰ぐ。

「おへそ……」

 空を見上げたのも一瞬。その声に視線を戻せば、そこには上半身を起こしたディーの姿があった。

「おへそ……」

 もう一言、ディーは呟く。その視線は再びアシュレイのおへそに向いている。
 突然、猛烈に恥ずかしくなりアシュレイは自らのおなかを押さえた。
 いままで別に気にならなかった。この格好のまま男の子とバスケをするのも平気だった。しかし、今は違った。
 異性に自分の肌を見られる。
 アシュレイはそのことを今、恥ずかしいと感じてしまっているのだ。もともとすぐに赤くなってしまうアシュレイの顔は、今は耳まで朱に染まっていた。
 アシュレイ、性の目覚めであった。

 しかしそれもわずかな間のことだった。

「おへそ出してると、雷様に取られちゃうよ」

 いつものように。真っ直ぐでひたむきな瞳で。ディーはそう言った。
 アシュレイは呆気にとられ、しかし次の瞬間、

「あはははははっ!」

 笑いだした。
 隠すために添えていたおなかの手は、いまはおなかを抱えて笑うという役割に代わった。

「アシュレイ、どうしたの?」
「だ、だってディー……あなたさっきまであなた……」
「さっき……?」

 ディーは首を傾げ腕を組み思い出そうと考える。しかし、

「なにかあったの?」

 要領を得ない言葉しかでなかった。
 どうやら今の刺激が強すぎて、ディーの記憶はとんでしまったらしい。事情がさっぱりわからないといった感じで不思議がるディーの様子に、アシュレイはまた笑いが止まらなくなる。
 そんなアシュレイにディーは不満げに見て、でも口元はわずかに緩んでいた。
 それは、苦笑と呼ぶべき表情だった。






 ひとしきりアシュレイは笑い、ディーの不満げな目にようやく笑うのを収める。

「ごめんなさい……」
「ねえ、なにがあったの……?」
「なんでもないこと」

 言って、アシュレイは歩き出す。スキップのような、軽い足取り。ディーは首を傾げつつ、それでも遅れまいと後に続く。
 陽光は明るく道を照らし、風は優しく木々を揺らす。
 楽しく、穏やかな時間。きっといつかで思い出し、そして微笑むことが出来る記憶になるだろう、時間。
 二人は知らない。この先に待ち受ける過酷な宿命を。忘れたままにしておいた方が幸せかも知れない、しかし向き合わねばならない記憶。それを、二人はまだ、知らない。
 しかし、今は楽しく。
 二人はエドワードの屋敷へと向かう。

Fin



HPトップへ

SSトップへ