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 目が覚めると、涼夢がいた。

「ええっ!?」

 布団を跳ね飛ばし起きあがる。
 壁に張りつき、あわててすぐ脇に貼られたカレンダーで日付を確認する。
 今日は日曜日。普通の休日で、いつかのバレンタインデーの時のように涼夢と会う約束だってしていないはずだ。
 このカレンダーは紛れもなく俺のもの。それが貼られているここは、俺の部屋であるはずだ。あわてて見回すが見慣れた壁のしみはあるし、あそこにあるのは昨日脱ぎ捨てたままにした服だ。本棚に並ぶ見飽きるほど見たのに俺にとって色あせることのない写真集のラインナップも他ではありえない。
 間違いない。俺の部屋だ。
 確認し、しかしなおさらわからなくなる。じゃあどうして涼夢がいるんだ?
 事態を理解して余計に混乱する俺の前に、涼夢は手に持つビニール袋を突きだす。
 そして、ひとこと。

「おなか、すいた」

 休日。ひとり暮しの俺の部屋。目が覚めたばかり。涼夢がいる。そしておなかをすかせている。
 この突然の事態を前に、俺は目を白黒させるばかりだった。





涼夢らんち
そのなな
「夢のような休日」






 まず、深く息を吸う。そしてゆっくり吐く。落ち着け。
 ここは俺の部屋。さっきも確認したように間違いない。目の前にいるのはクラスで不思議少女と評判の涼夢。これも間違いない。どんなに混乱していても、学校でいつもお昼を一緒に食べている彼女を見間違えることなんてない。
 夢か、とも思うがそれも違うはず。さっき目が覚めたばかりだ。
 だったらこれはどういうことなのだろうか。そもそも涼夢の突き出してきているビニール袋はなんだろう。
 見慣れた感のあるそれは近所のスーパーのビニール袋だ。薄手なため透けて見える中には野菜や食材など、やはり見慣れたものが見慣れたように詰まっている。

「涼夢、いったいこれは……」
「つくって」

 疑問をさえぎる声はシンプルだった。言葉と共に再び強く突きだされたビニール袋がガサリと音を立てる。
 ああ、なんとなくわかった。
 どういうわけかはわからないけれど、涼夢はいつもの学校と同じように昼飯をいっしょに食べようと言うのだ。
 涼夢とつき合うようになり、昼休みをともに過ごすようになってもうだいぶ経った。涼夢はあいかわらずよくわからないやつで、いつもドキドキさせられている。
 そして今、このとき。やっぱり涼夢はよくわからない。俺ばっかり驚かされて、涼夢はいつもどおりだ。いつもどおり、かわいくて……。
 そこで、初めて気がついた。
 涼夢は、いつも通りじゃない。

 涼夢は見慣れたセーラー服ではなく、私服だった。

 ふわふわの髪、ほわほわのほっぺはいつもどおり。しかし髪の左右それぞれに細長い黒のリボンを付けている。リボンには控えめに細かなフリルか縫いこまれていて、見た目シンプルだが上品にまとめられたデザインだ。どこかゴスロリチックな雰囲気だった。
 リボンとリボンの間に浮かべるのは、笑顔とも無表情ともとれないぼんやりしたいつもの涼夢の顔。いつものようにどこを見ているのかいまいちピンとこない大きな黒瞳がかわいい。
 上着は身体にピッタリとした黒のセーター。涼夢のフラットなラインを黒がシックに演出している。
 そしてスカートはセーターの黒から一転して目にも鮮やかな白。しかも、ミニスカート。
 だが、その先。上から順に降りていった視線の速度がいきなり落ちる。
 黒、白、と続き、その先にあったのはまたしても黒だった。
 しかし、ただの黒ではない。
 涼夢のスラリとした脚を包むのは、艶めかしくも妖しい黒。
 その名は、

「黒ストっ……!」

 思わず言葉が漏れる。
 そう、黒スト。黒いストッキング。しかしそれは、ただの黒ではありえない。薄手の黒ストはその位置により伸縮しその密度を変え黒の濃度を変じ独特の立体感を演出する。
 その黒のうちに秘められたのは清純にして清楚なる白。色白の涼夢の抜けるように白い足があるはずだ。しかしそれを隠す黒の演出するのは、清純ではなく艶やかさだ。黒の湾曲にわずかに透けて見える白は艶やかな輝きを放っている。
 リボンにセーター、そしてミニスカート。少女として正しい服装の最後にあったのは大人の魅力の極限のひとつ、黒スト。それは正しく間違っている。それは不完全なまでに完璧だった。
 しかし、なにより。
 それを身に着けているのは涼夢なのだ。
 ペタン、としりもちをつく。
 視覚がそれと高さを合わせたいと望んだ。脚はその威光を前に力を失い、黒ストに集中するあまり余裕のない心はそれらの動きを看過した。
 心も身体もバラバラなのに、独立した動きが結果的に絶妙な調和を見せる。そう、全てが望んでいる。俺のなにもかもがこの目の前の黒の奇跡を感じようと、焼けつくほどに全力を尽くしている……!

「ああ、黒ストっ……!」

 心がなにかをほとばしらせる。たまらなくなって声に出す。
 でも足りない。まだ全然気持ちが追いつかない。
 俺の気迫が伝わったのか。
 涼夢は怯んだように後ずさる。
 そのもじっ、とした動きが黒ストの濃淡を精妙に変化させる。その演出する黒の脚線美に息を呑む。

「達夫?」

 涼夢の声もどこか遠い。
 冷静に考えてみれば休日の部屋、一人暮らしのアパートに大好きな女の子がいて黒スト。これはもう限界を突破している。常識なんて凌駕している。理性とか忍耐力とか良識とか、もはやそんなもので太刀打ちできる領域ではありえない。

「涼夢!」
「達夫……?」
「俺はもうなにかがたまらない! なにもかもが止まらないんだっ!」
「達夫……」

 ため息混じりに俺の名を呟く涼夢には何かしらあきらめの響き。きっとこれは肯定の意味に違いない。

「涼夢ーっ!」

 涼夢の方へ、より正確に言うなら涼夢の黒ストへと突っ込む。
 そのほとばしる想いに答えてくれるというのか。黒が、あのすばらしい黒の方からも近づいてきてくれた。
 でもそれはあまりにも高速で、しかも望んだふとももではなく足先で、さらに言うなら足の裏だった。くわえて言えばその向かう先はどうやら俺の喉元らしい。
 つまるところ、それは一発必倒の意思を込めた蹴りだった。
 避けることなど考えることもできず、意識が飛んだ。
 それは蹴りの衝撃によるものか、それとも黒ストに触れた幸せになにかが切れてしまったせいなのか。
 どちらかわからないままに、視界は暗転した。







「――という幸せな夢を見たんだ」

 俺は痛む喉元をおさえつつ、布団脇の座布団に座る涼夢へと語りかけた。
 夢で蹴られた部位と一致する。おかしな偶然もあったものだ。あるいは痛むからこそあんな夢を見てしまったのかも知れない。寝返りで打ったにしては変な位置だが、まああんな夢みたいな出来事に比べればいくぶん現実味があった。

「でもなんで蹴られる夢なんて見たんだろう? 涼夢はそんなことしないのにな……」
「前みたいに鼻血出されるよりは命の危険が少ないと思ったの……」

 俺の独り言のような呟きを追うように、涼夢の呟きが続く。
 そして二人してふう、とため息。
 涼夢の言葉の意味は良くわからなかったけれど、何の気なしの呟きがまるで会話が繋がったように感じられた。そしてため息のタイミングも同じ。気が合うな、と思えて、なんだかうれしい。
 そんな距離の近さのせいだろうか。休日の昼下がり、俺の部屋に涼夢がいるという事実もあまり気にかからない。その問題については一度話したかのような納得感があった。まるで、夢での出来事が本当にあったかのように。

「それで涼夢はなにをしに……」

 視界の中、涼夢の座る脇に置かれたスーパーのビニール袋が視界に入る。

「……おなかがすいたんだな?」

 こくん、と頷くことで涼夢は答える。髪が柔らかに揺れ、その上を滑るように揺れる黒いリボンが可愛かった。
 まるきり夢と同じだ。あるいは涼夢がいて、俺はゆめうつつにその姿を見ていたのかも知れない。
 なぜなら涼夢は夢の中とほとんと同じ格好をしていたからだ。
 黒のリボン、同じく黒の身体にピッタリとしたセーター。そして白のスカートからは白いふとももがのぞいている。
 そう、白。妖しくも艶やかな黒ではない。
 涼夢は黒ストをはいていなかった。
 涼夢の清冽なまでの肌の白さが何よりさっきの出来事が夢だったと言うことを語っていた。それは悲しいまでに、絶対に。
 でもそんな哀しさだけではない。女の子らしく足を崩して座っている涼夢は足の先まで見ることができる。ほっそりと、でもやわらかにふっくらとした太もも。ゆるやかに膨らむふくらはぎ。小さくてかわいらしい指。
 黒ストどころか靴下もはいていにない。初めて見る涼夢の素足だった。

「ん……」

 俺の視線に気づいたのか、もじもじと涼夢は動く。涼夢は崩していた足を正し、俺の視線から隠すように正座になる。
 正座することによって白いミニスカートからのぞくふとももの丸みと太さが強調され、それはそれで大変いい眺めだった。

「ニーソじゃなくても達夫ってダメな人になるんだ……」

 そんなことを呟く涼夢。そんなに俺は涼夢の脚に心惹かれてしまっていたのだろうか?
 いつかのように傷つけてしまったかもしれない。そんなことを考えていると、

「黒スト……」
「え?」

 涼夢の呟きにドキリとする。夢の中で見た、あの姿。涼夢の艶やかな姿が甦る。

「黒スト、好きなの……?」
「愛してる」

 速攻で断言していた。今確実に考えるより早く口が動いていた。これはもはや本能どころか身体にしみついた衝動だ。
 それほどに、夢の中の涼夢はかわいかったのだ。
 そんな俺に涼夢はむっとした表情を見せる。

「ニーソは?」
「好きだ」

 唐突な問いに、やはり速攻で答える俺。涼夢はむむ、とうなると矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。

「ハイソックスは?」
「清楚でいいね」
「ルーズソックスは?」
「邪道もまたひとつの道だ」
「網タイツは?」
「危険なまでに艶やかだ」
「ジーンズは?」
「表面は武骨ながらその表すラインが素敵だ」
「キュロットは?」
「軽快でかわいい」
「ブルマは?」
「もはや神だ」
「スパッツは?」
「フラットにフィットして素晴らしい」
「チャイナドレスは?」
「中国4千年の勝利だ」

 連なる質問に俺はことごとく即答で返す。迷いもためらいもない。だってもう、答は得ている。

「なんでもいいの?」
「涼夢が着てくれるのなら!」

 これもまた即答。
 しかしもっとも気持ちのこもった一言だった。
 そう。以前、涼夢がニーソをはいてきてくれたときに得た答え。
 ニーソも黒ストもハイソックスもルーズソックスも、みんな好きだ。
 そして俺が一番好きな女の子は、佐倉 涼夢。
 どちらかを選ぶなんてことはできない。できないのではなく、その必要も意味もない。両立できるからだ。
 涼夢が俺の好きのものを着てくれたら……それは、大好きなものになる。
 俺は、もうためらわない。この気持ちは絶対に揺らがない。
 本心そのものの言葉を受け、涼夢はばら色に頬を染めた。
 沈黙で場が満ちる。
 微かに聞こえる外からの喧噪だけがBGM。

「達夫……」
「涼夢……」

 二人して名を呼び合う。この場は二人しかいない。この暖かで穏やかに張り詰めた空気は二人だけのもの。この静寂は二人のためのもの。そして、

 クウ

 何かの音に阻まれた。
 それは小さな、そして可愛い音。聞き覚えのあるその音は、やはり涼夢から聞こえ、その位置もまた知っているものだった。
 そして思い出す。
 涼夢はおなかをすかせていたはずだ、と。
 沈黙が満ちた。さきほどのそれとは異なる微妙に息苦しい沈黙。

「おなかがすいたんだってばっ!」

 叫びと共に振られたのはスーパーの袋。中身のぎっしりつまったそれを、涼夢は俺の目の前に突きだしただけのつもりだったのかも知れない。
 でもそれはアゴをいい感じにかすめ、それは脳を的確に揺らし、俺の意識はどうしようもなく遠のいていくのだった。





 目が覚めた。
 なにかいろいろと奇妙な夢を見ていたような気がする。というか、涼夢づくし。俺はそんなに涼夢のことで頭が一杯なんだろうか。苦笑する。幸せに思えて、笑うしかなかった。
 と、人の気配を感じる。
 だが、俺は驚かない。
 首を巡らせば視界に入る。寝床から数歩先にある台所。そこには、女の子の後ろ姿がある。
 ふわふわの髪に、黒のセーター。白いスカートからその白とはまた違う白さの足がのびやかにある。ふくらはぎがかわいいな、なんて思った。
 苦笑する。なんで俺は足にばかり目がいってしまうんだろう。そりゃ、そういうのは好きだ。好きだけど、でもそればっかりというのもないだろう。だって、この娘はあんなに可愛い顔をしているんだから。

「涼夢……」

 呼びかけに、涼夢は振り向いた。
 振り向いた顔は、すこしだけつかれたような表情だったけれど、たしかに可愛い顔。
 ふわりと翻るのはエプロン。涼夢は俺のエプロンを身につけていた。俺だったら膝上までしかかぶらないエプロンだったが、涼夢がつけるとすねあたりまで届く。エプロンの端からのぞく生足がまぶしい。いや、そーじゃなくて。

「おなかがすいたの」

 なんだか泣きそうな顔で涼夢は言う。
 それだけでなんだか状況がわかってしまった。
 涼夢は俺と一緒にご飯を食べようと、というか俺のご飯を作らせようと材料をもってやってきた。どうやって入ってきたかはわからないが、きっと俺は目を覚まさなかったのだろう。
 空腹に耐えきれず、自分で料理をつくろうとしているに違いない。

 つまり、俺の大好きな彼女であるところの涼夢が俺のアパートの台所でご飯を作ろうとしている。きっと、俺の分も作ってくれるはずだ。

 ……こんな幸せなことがあっていいんだろうか?

 信じられない。なんていい休日だ。時計を見れば時間はもう3時近く。そんなに眠ってしまったら普通は時間を無駄にしたと嘆くところだろうけど、そんなことは全然ない。
 いい夢を見れたし、その夢以上に幸せな現実が今こうして目の前にある。
 ああ、夢のような休日だ。
 喉が痛む気がするしアゴがぐらぐら、頭はクラクラするのがちょっと難点だが。さすがに寝過ぎたのかも知れない。でもこの幸せを前にそんなことは些細な問題に過ぎない。
 幸せに打ち震える俺を後目に、涼夢は再び台所へと向き直る。
 その後ろ姿は、台所の高さと背丈があっていないせいもあってどこかあぶなっかしい。

「手伝おうか?」
「もうできる」

 余裕のない簡潔な一言が帰ってくる。

「だから早く着替えて」

 その言葉にようやく気がついた。昔はパジャマに着替えいていたけれど、一人暮らしになってから面倒で下着で寝ている。
 夢の中でも着替えた覚えがないから、シャツにトランクスだけしか着ていない。
 一応戸を閉め、手早く着替える。と言っても上着を羽織ってスウェットを穿くだけだ。
 着替え終え、あらためて見回した部屋は散らかっていて、とても初めて彼女を迎えられるような状況ではなかった。
 なのに涼夢はいる。
 涼夢はいつも唐突だ。
 でもその唐突な行動は、たいてい俺を喜ばせてくれる。それも、どうしようもないくらいに。
 笑みが漏れる。あいつといるのは、なんだかんだで嬉しい。本当に、嬉しいことだ。
 とりあえず簡単に片づける。
 散らかった雑誌類を手早く部屋の端に積み上げ、散らばった衣類は適当に隅っこにまとめる。
 布団を畳み、これもやはり部屋の隅へ。面倒なので普段は押入に入れない。と言うか、押入にも適当にものが詰まっていたりするのでそれを整理しなくちゃならないから却下だ。
 そしてテーブルを出す。折り畳まれた足を出し、部屋の中央に置くと一応の体裁は整ったように思えた。あとは座布団を配置すれば食事するには問題ない。
 そろそろいいかと扉を開くと、

「できた」

 目の前に涼夢がいた。いきなりの至近距離にリアクションをとれない俺の前、涼夢はいつも通りマイペースに動く。
 高々と、俺の目線の高さまであげられたのは一枚の皿。そして、その上にのっかっている料理は、

「はんばーぐ」

 一言。その一言で表現してしまっていいのかと思えるほど複雑だ。まず黒い。黒と言ってもどこか紫がかった黒というよくわからない色だった。注目する場所によって色の印象は異なり、でも全体として見れば黒い。見るたびに色の印象が変わる様はまるで明滅しているかのようで、見つめていると目がチカチカしてくる。形にしても一応丸く固められているが、ところどころ奔放にいびつだった。
 これは、いったい……。

「はんばーぐ」

 再び、念を押すような涼夢の声。なにか気圧されるものを感じ一歩引くと、涼夢は小柄な身体でその隙間を抜け、部屋の中に入る。そして俺がいま出したばかりのテーブルは、その”はんばーぐ”がのった皿とエプロンから取り出したハシによって瞬く間に占められた。そしてさっさと自分は席に着いてしまう。
 やれやれと、俺もテーブルにつく。位置は当然、涼夢の正面。

「いただきます」
「……いただきます」

 席に着いた途端に食事の開始を告げられ、思わず合わせてしまう。食卓にあるのがおかず一皿だけで、ごはんもスープの類もないことを突っ込む暇もなかった。
 ハシを手に取り、おそるおそる涼夢命名”はんばーぐ”をつつく。
 触れるたび、それは形を変える。これは本当に食べ物なのだろうか? そもそもこれは実在するものなのか? 目の前にありながらそんなことすら疑わしかった。今日一日夢ばかり見ていたが、目の前のこれはそれこそ悪夢のようだ。
 はっ、となり顔を上げた。
 涼夢がじっと見ていた。泣き出しそうな顔で、すがるような目で。自分の”それ”には手もつけていない。

「涼夢? 腹減ってるんだろう、はやく食べたら……」
「達夫に一番に食べて欲しいの」

 すごくかわいいことを言われてしまった。
 こんなセリフを言われてしまったら、男には引くなんていう選択肢は無くなってしまう。
 意を決し、ハシでつまみ口に入れる。
 不思議な舌触りだった。ぬるりと滑らかな舌触り。それでいてしっかりとした歯ごたえ。そしてなにより、変わった味だった。言葉で言い表しようがない。しかし無理に一言で表現するなら、

 爆発

 そう、そんな感じだ。我ながら適切に表現できたように思う。
 あれ、おかしい。おかしいぞ。それは味じゃない。なんて言うか、衝撃だ。おそろしくヤバイ。口の中が、中が、大変なことにっ!?
 嫌な汗が全身から噴き出す。いや、これは本当に汗なんだろうか? 汗はこんなにべたついていたか? こんな得体の知れない輝きを放っていたか?
 輝いている。光。光が見える。おかしい。おかしいぞ。なんでこんな闇のように鮮やかで真っ黒な光が見えるんだ!?

「やっぱり、だめなの……?」

 やっぱりって、なんだーっ!?
 そのツッコミは言葉にならず、意識はまたしても闇の中へ墜ちて、落ちて、堕ちていく……。





 目が覚めると、テーブルに突っ伏していた。
 顔を上げれば見上げた俺の部屋の中。
 それはめずらしいことじゃない。布団を敷くのが面倒くさくてけっこうありがちなことだ。
 しかしいつもと違うのは、俺の対面に同じようにつっぷす涼夢の姿があること。
 俺が起きあがったのに気づいたのか、

「あ……」

 一言だけ、か細く声を漏らす。
 その一言に紛れもない憔悴と、なにより空腹だという主張を感じ取り、俺は即座に動き出す。
 向かった先、台所は整っていた。必要以上に片づいているように思えた。まるでここであった恐ろしい何かを必死に隠したかのような整頓ぶり。あの恐ろしい”なにか”はその片鱗さえもない。
 だから、こう自分に言い聞かせる。

 ……よかった。あれは夢だったんだ。

 今日は一日中幸せな夢を見ていたような気がする。そのほとんどは本当のことだったらいいと思う。
 例えば、黒スト。嗚呼、黒スト。
 いや、夢に思いを馳せるのはやめよう。儚すぎる。それに望みすぎるのは良くない。あの物体が夢で良かったじゃないか。あれが現実だったらなんていうか現実が信じられなくなりそうだ。
 考える間にも身体は動く。
 冷蔵庫の中身をざっと確認。とにかく手早くできるもの。でもボリュームも欲しい。とりあえずキャベツに肉が少々ある。とりあえず野菜炒めに決定。ファンを回して昨日残したみそ汁の加熱開始。フライパンに油を引いて調理開始。
 それにしてもなんだか変な感覚だ。休日に涼夢といる。それも、一人暮らしの俺の部屋の中に、だ。
 なんでいるのか聞いてもいないのになんだか納得している自分がいる。なんだかさっきまで見ていた夢と曖昧な感覚。でも、それを言い出したら。

「毎日が夢みたいだよな」

 大好きな女の子がいる。
 その女の子といつもお昼は二人っきり。
 そして俺の作った弁当をおいしそうに食べてくれる。
 しかもべったりくっついて、俺のハシから食べてくれるのだ。
 毎日驚かされる。毎日ドキドキさせられる。毎日好きになっていく。
 本当に、夢みたい。夢みたいに幸せな日々だ。
 でも、それが現実。守らなくてはならない現実。
 そして今、涼夢はおなかをすかせている。だったらやることは一つ。
 でき上がった野菜炒めを手早く皿に盛る。みそ汁を椀に注ぎ、あらかじめ電子レンジで温めておいたごはんをお茶碗によそう。
 手抜きと言われても仕方ない、でも現状ベストを尽くしたご飯が出来上がる。

「涼夢! おまたせ!」

 俺はどうにかお盆に出来上がった料理を乗せると、駆けるような勢いで部屋に飛び込み素早く食卓に並べる。
 涼夢はぴくりと反応、即座に起きあがるとご飯に向けて、

「いただきます」

 こんな時なのにキッチリと言う。
 そしてその声には辛うじて席に着くことが間に合った俺の声も重なる。
 その絶妙なまでの息のぴったりさに、二人して顔を見合わす。
 涼夢の顔がほころんだ。俺もきっと笑っている。
 そして、食事が始まる。
 いつもは昼休み、旧校舎の中。座る位置はぴったりとくっつくほどの隣。
 しかし今は小さなテーブルを隔てて差し向かいの食事だ。
 いつもほどのドキドキはないかもしれない。でも和やかな、それでいてくすぐったいようなあったかい空気があった。
 そんな空気の中、二人して何を話すでもなく黙々と食事を摂る。急場しのぎの野菜炒めはそこそこ美味くできていてホッとする。
 こんなのもいいな、なんて思いながら食べる。

「ごちそうさま」
「おそまつさまでした」

 あわただしくもおだやかな時間は、意外とすぐに終わってしまった。

「おいしかった」

 その言葉、そして涼夢のはにかむような笑みに、充実感を感じる。
 ふと時計を見るともう夕方だ。ランチというよりは夕食みたいな食事になってしまった。まったくもって休日らしい、ただれた過ごし方だった。
 でも、涼夢がいる一日だったら無駄に思えない――なんてことをすぐに考えてしまうのだから、俺もそうとういかれてるのかも知れない。
 食後のお茶(当然緑茶だ)を入れながらふとそんなことを考える。
 二人してお茶をすすりつつ、まったり。
 そんな落ち着いた気分になってくると、根本的なことが気になってくる。

「なあ、涼夢」
「んー?」

 ふうふうと湯飲みに息を吹きかける涼夢に苦笑しながら問いかける。

「結局今日はなにしにきたんだ」
「休みの日だけどおなかがすいた」

 よくわからないわりに「涼夢だから」となんとなく納得してしまうような解答だった。
 あと、ひとつ気になることがある。

「そもそもどうやって部屋に入ったんだ?」

 そういえばそれも気になる。涼夢にはまだ――というかそんなこと考えたこともなかったのだけど――合い鍵を渡していない。

「見つけた」

 そう言って涼夢がテーブルの上に置いたのは、俺の部屋の鍵だった。
 確かに落としたときとかのためにポストの中に入れておいた。でも簡単には見つからないよう、ポストの中の天井にテープで貼り付けていたはずだ。
 それをあっさり見つけるとは……そもそも涼夢は閉鎖されたはずの旧校舎にも簡単に忍び込んでしまう。何度も一緒に行っているが俺一人ではきっとたどりつけない。
 考えてみれば不思議だ。不思議だと言い出すといろんなことが不思議なこの涼夢なわけだが。
 一人納得していると、涼夢はお茶を飲み終えていた。

「おなかいっぱいになったから、帰る」

 そんな一言と共に立ち上がる。
 確かに、このままこれ以上部屋にいられたら……なんて言うか、困る。だって今は麻痺してるのか理性とか常識とかそのへんが辛うじて有効だけれども、それは時間と共に弱まる。
 大好きな女の子と、一人暮らしの部屋で二人っきり。イン・ナイト。
 そんなシチュエーションで耐えきれるわけがない。
 そんな俺のを断ち切るように涼夢が玄関へとペタペタと進ものだから、俺はあわてて追いかける。
 玄関口、涼夢が肩からかける小さなバッグはまるで黒ストでも詰め込んだみたいにふくらんでいて、そのクツもまた黒ストに合いそうな黒のパンプスだった。
 いや、俺ちょっとこだわり過ぎだ。忘れろ、あれは夢だ。今の涼夢は素足で生足。それでいいじゃないか。充分以上に幸せじゃないか。

「本当はね」

 思いに囚われそうになった瞬間、涼夢の声で我に返る。

「いつもと違うものを食べようと思ってきたの」
「違うもの……?」

 一瞬疑問に思って、すぐにああ、と納得する。確かにいつもは弁当だ。おかずにはどうしても「弁当箱に詰められる」という制約がある。
 涼夢は今日、いつもと違う俺の料理を食べたかったのかも知れない。

「すまないな、大したもの出せなくて……」

 なんだか一人浮かれていたのがバカみたいに思えてきた。俺はいろいろ楽しんだというのに、涼夢はひとりおなかを空かせたりせっかく来たのに俺がずっと眠ったりと楽しくなかったのかも知れない。

「おいしかった」

 その一言に救われる。我ながら単純だな、なんて思うけど、涼夢の一言だ。これは当然というもので……。

「それに、いつもと違うものはこれから食べるの」

 え? と聞き返す暇もなく、いきなり襟首を掴まれ、引き落とされる。
 急速に接近する大きな瞳。ふっくらとした頬。涼夢の、顔。
 ドキリと心臓が高鳴る。
 そして、頬に触れたのはやわらかな感触。頬を濡らすのは熱い息。頬に弾けるのは、チュッという音。

「……ごちそうさま」

 そんな一言を残し、そのまま涼夢は部屋を出ていった。
 目の前で閉じる扉に呆然となる。
 数秒後、ようやく理解する。
 キス、されてしまった。
 なんだか今のことこそが夢のように思えた。
 だから。あらためて、思う。
 今日は夢のような休日だった、と。




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