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「では、どうぞ」

 先生の呼びかけの声と共に、教室の戸が開かれる。
 わたしは少し緊張して、でもしっかりと歩み出す。
 新しい教室。その中には、いっぱいのあたらしいお友達。
 どきどき、する。
 緊張した体は静かにゆっくりと歩む。もどかしいぐらいにゆっくり。でも、そうでないときっと壊れてしまう。まだそのときではない。だから、ゆっくり。
 歩みと共に、腰まで届く真っ直ぐな黒髪がしずしずと揺れた。髪のおこすかすかな音も、その感触も大好き。一年間近く親しんできた、自慢の黒髪。
 
「それでは、転校生を紹介します。彼女はなんと、私立快世高校から転校してきました」

 先生の説明で教室がざわめきに包まれた。
 私立快世高校は有名な進学校。日本の学生であるならば知らない人はいないだろう有名校。
 そんなざわめきのなか、わたしはゆっくりと慎重に黒板に自分の名前を書く。
 初めはざわめきにまぎれて聞こえにくかった白墨が黒板を打つ音も、すぐに教室中に響き渡るようになった。みんなおしゃべりをやめて、わたしの行動に注目している。……緊張してくる。
 でも、意を決して、わたしはみんなへと向き直った。そして控えめに、でもできるかぎりはっきりと、今黒板に記した文字を読みあげる。
 
「神無月……愛奈です……」

 しずかに、ゆるやかにみんなに向けて礼をすると、さらさらと髪が流れて耳をくすぐる。それにまぎれて聞こえてくるのは、静かにおさえられた、でも確かなざわめき。顔を起こして、もう一言。

「前の学校では優等生をやっていました」

 ちょっとおかしなセリフなのに、みんな感心したようにため息を吐く。
 そんな様子に、思わずくすりと笑みが漏れた。
 そう。
 今のこの姿は誰が見ても完璧な優等生のはず。そうであるべく作り上げ磨き上げたわたしの姿は、誰が見ても疑問無く納得できるに違いない。だから少しぐらいおかしなことを言ったとしても、優等生の言うことだからと素直にうなずけてしまうものだ。
 それがおかしくてたまらない。
 だって……。
 
 そんなもの、今すぐにでも壊れてしまうのだから。
 
 それがあんまり楽しみで、たまらなくて待ちきれなくてもう止められなくてっ! 「あたし」は強く髪を引く。
 ずるり、とそれが落ちた。自慢だった「黒髪のカツラ」を、未練なく教卓にたたきつけるように置く!
 ぱかん、と気の抜けた音が響く。静まり返った教室に、それはとても間抜けに響いていい感じっ! 間の抜けたみんなの顔も極めて気分がいい。
 なにより爽快なのは、いままで狭いカツラにコンパクトに詰め込んでたあたし自慢の金髪が広がること!
 自然に広がるだけじゃ足りなくて、パンと手で弾き勢いを増す。これもまた爽快。カツラじゃこんな無理はできなかったし、ね。まあカツラを被るために今は肩にも届かない長さだけど、それで損なわれるような半端な美しさじゃないわ!
 うん、すっきりさっぱりやっぱりサイコーッ! あの黒髪も気に入ってたけど、あたしにはこれこれこれよ、これなのよっ!
 そして自分のものじゃないと思うたびになんだかうっとおしいなー、と思っていた胸パッドも強制排除! そのせいでいろいろずれるけど乙女の秘密よ、気にしちゃダメ! ダメったらダメなのよっ!
 豊満な巨乳から質素な貧乳へとバストサイズが急降下。なんか男子生徒が一斉に落ち込んでるのが見えるけど、数年の辛抱よ! あたしの胸は将来確実に大きくなるんだからちょっとぐらいはガマンしなさいっ!
 そして、あらためて自己紹介!
 
「この学校では優等生はやめて、素顔のあたし、神無月愛奈でいくわよ! よろしくねっ!」

 そう、力強く宣言した。
 ああ、すっきりした! まったく優等生なんてしてると頭の中まで優等生っぽくなって困るわ! なんだか頭は重くなるし肩だって凝って重くなる。まあ頭の方はカツラを脱いだ分物理的に軽くなったわけだし、肩の方は動いてれば軽くなる。
 でも、今この場は重い。呆気にとれれる顔、顔、顔。そこから動かず固まっているのだから、空気だって固まって重くなるってものだ。
 ああもう、このあたしが自分を宣言してると言うのにそれはないでしょう?
 しかたないわね、もういっちょ!

「あたしよあたし! あたしなの! 神無月! あ・い・な! なのよーっ!」

 その声に、
 
「えええええーっ!?」

 ようやく教室中が凍結から解凍、そして沸騰から蒸発。そんな感じでテンションアップ。驚愕、困惑、大混乱。そうね。あたしを迎えるんだから、これくらいは必要よ。お祭りみたいに騒ぎなさい。
 あんまり思い通りの愉快なリアクションをしてくれたのだから、そのご褒美に……あたしは、最高の笑顔を見せてやるのだった。



ストレンジのーまるデイズ 外伝

神無月愛奈の華麗なる転校


 退屈な授業をぼんやりと眺める。
 まあ自己紹介は派手にキメたものの、学校である以上授業はやっぱりあるわけで、それはやっぱりいつもどおり行われる。
 優等生をやっていたころはそれでも真面目に受けているフリをしなくてはならなかったけど、今はソレはない。
 静まり返った教室を占めるのはチョークが黒板をたたく音と、お経みたいな先生の声。なんだか眠くなるような単調さ。だから自然に思考は別のほうに行く。
 思い出すのは前の学校、私立快世に入学したとき経緯。それは、なんていうか勢いといえば勢いだけだった。
 普通にしていれば退屈極まりない学校生活。そんな中、あたしはその退屈を少しでも紛らわそうと思いつく限りのことをやった。連続部活破りとか家庭科教室で満漢全席に大挑戦とか授業を無視して図書室にこもって蔵書完全読破とか……そうそう、うっかり校内の菜園に力を入れすぎて気がついたらグラウンドの半分近くを浸食していたこともあったわね。でもいいお米が採れたんだから文句いわれる筋合いはないわ。
 でも、何をするにもたいした苦労はなかった。あたしの能力を持ってすればどれもこれも余裕の一言。勉強のほうも片手間で常に学年トップ。退屈をまぎらわすためにやっていたのに、苦労なく成し遂げられてしまうのは平坦な道を目的もなく歩くようで……それはそれで退屈かも知れない、そんなことに気づき始めた、中学生活も終わろうと言う頃。そろそろ本気で受験校を決めなくちゃいけないってとき。みんなが志望校について話し合ってるときに割り込んだんだっけ。そしたら、
 
「バカ言いなさい。あなたみたいな素行の悪い生徒、どこも引き取ろうとしないわよ。いくら勉強できたって、素行がめちゃくちゃなあなたは優等生になんてなれない。面接のない学校で、せいぜいいい点とって『入れてもらう』といいわ」
 
 万年二位のガリベンメガネ女にそんなことを言われた。
 むかついた。マジむかついた。なによ、ちょっとばかりメガネで胸があるからっていい気になるんじゃないわよっ! だいたいあんた、あたしより勉強できないから万年二位なんでしょっ! 負け惜しみも甚だしいわよっ!
 あたしの人生に敗北なんてありえない。だからこんな、わずかでも「悔しい」なんていう感情は残しておけない。
 そいつの言うところの「優等生」になって見返してやろう。そう、決めた。
 だから選んだ高校は私立快世。このあたしが優等生をやるのに申し分ない有名な名門進学校だ。入学試験は余裕でパスできる。
 
 でも、ひとつ問題があった。
 
 あたしはアメリカ人と日本人のハーフ。だから容姿は日本人離れした彫りの深さに整った顔立ち、でも欧米人にもない清楚可憐な美しさがある。なにより、透き通るように繊細で綺麗な自慢の金髪は誰だって見とれることだろう。でも、この金髪が問題なのだ。これはあたしのもっている「優等生」のイメージには合わなかった。日本の学校でそういうのは異端とされる。あたしがどんなに綺麗でも、世の中バカばかりだらそうした先入観は拭いきれない。
 だから特注の黒髪のカツラをかぶった。あと、「優等生はおとなしくて意外に胸がでかい」というマンガで得た知識をもとに胸パッドで胸囲を強化。ま、アメリカの血を引くあたしは将来確実に胸が大きくなるのだから、これは未来の前借りといったところね。
 そして、あたしの前向きでアグレッシブな性格もまたちょっぴり優等生のイメージじゃない。だから態度はおとなしくあたりさわりなく穏やかに、でも人当たりよく知的で優しく。それを徹底した。面接時からそうするのはもちろん、事前に中学の先生にも根回しすることは忘れない。やるときはやる。徹底的にとことん最後までやる。だからそれは演じるのではなく、もう一つのあたしと言えるほどに磨き上げ昇華させた。
 自然で無理なく、つまりはそれはそれであたしらしかったのだ。

 そして、あたしは見事優等生になることに成功した。

 結局人間関係なんて第一印象で決まるもの。軌道に乗りさえすればあとは楽だった。自他共に認める成績優秀・スポーツ万能・容姿端麗、おまけに性格もよい優等生が完成した。
 一度、街であのガリベンに出会ったとき。おしとやかに「優等生として」挨拶してやったら、目を白黒させてた。あれは面白かった。あとで思いっきり笑ったなあ。
 でも、そのとき気がついてしまった。
 もう目的を果たしてしまった以上、優等生でいる理由なんてなくなってしまったことに。
 別に優等生でなければ成績を保てないほど足りない頭脳じゃなかった。と言うより、中学のときみたいに暴れまわっても学年トップは余裕で保てる。だから、どうしようかと思っていた。

 そいつが話しかけてきたのはそんなときだった。

 あたし以外の人間はみんなバカみたいなもので、そのバカも大きく分けて二ついる。ひとつはあたしの有り余る才能に嫉妬して敵対するバカ。もうひとつはあたしの溢れる魅力に心酔してへりくだって寄ってくるバカ。どっちもバカだけど、その「竜ヶ崎 勇人」というバカはちょっとだけ違った。
 竜ヶ崎は、「いっしょに勉強したい」、何てもちかけてきた。初めは何を言っているのかと思ったが、ちょっと見たら合格発表の時あたしにみとれていたヤツだと気づいた。
 だから敵対するバカではないとすぐわかって、へりくだってまとわりついてくるバカだと思った。
 でも、それも違った。
 いっしょに勉強と言っても、竜ヶ崎はあたしから答えや解法を要領よく引き出そうとはしなかった。まず問題に自分の力で挑んで、あたしには答えじゃなくてどう考えているか、という「意見」を求めてきた。
 いっしょに勉強して、お互いに理解を深める。本当にそれだけだった。
 愚直なぐらいまじめで、わき目もふらずひたむきで、なにより一生懸命だった。
 でも不遜にもあたしにおいつこうなんて考えているようだったから、バカであるには違いない。
 竜ヶ崎の存在は少しだけうっとおしかったけど、不快と言うわけでもなかった。容姿のほうも目元がちょっとかっこいいかな、という程度であたしの隣にいられるほど優れているわけでもなかった。だからかえって「いても別にどうでもいいか」という安心感みたいなものもあった。
 話しても別に楽しいわけじゃないけれど、暇と言うほどでもなかった。それに勉強だけは必死にがんばるから、単純な数値上の成績ではあたしに迫りつつあったりとほんの少しだけスリリング。
 そんなわけで。竜ヶ崎との学校生活は、別に充実してると言うわけじゃないけれど退屈でもなかった。
 だから。この進学校で優等生という肩書きを続けてみるのもいいかと思った。
 そんなある日のこと。もう三学期も終わろうかという時期。落ち葉舞う、並木道。竜ヶ崎との、いつもの図書館での勉強の帰り道。

「わたし、この学校を辞めようと思うの」

 何の気なしに口にした言葉。学校を辞めること自体はあたしにとってはぜんぜん大したことない。「優等生になって見返す」という目的を果たして以来、たまにてきとーに考えてみたりする程度のことだった。
 でも竜ヶ崎のバカがどんな顔をするかちょっとだけ気になった。
 だから軽く軽く、かるーく、言ってみた。
 そしたら傑作だった、竜ヶ崎の顔!
 口をあけて、ほんとバカヅラ。続いて口をパクパクと動かすのもおかしかった。なんだか、くすぐったいようなおかしさ。
 
「や、辞めるって……冗談だろ?」
「ううん。本気」

 驚くのが面白くて、本気という言葉を本気の目で言ってやる。
 竜ヶ崎はまじめだから、ちょっとからかうとこういう素のリアクションを返してくる。今までこーゆー素直なやつってあんまりいなかったのよね。だから、うん。楽しい。

「どうして……」
「この学校でやろうと思ってたこと……全部やってしまったの。だからもう、ここにいる理由はないの」
「やめるって……どうするんだよっ!? 転校するのか? それとも……就職っ!?」
「まだ考えてないわ……でも、ここにいる理由がなくなったんだから、いなくなるのは当たり前でしょ?」

 最初は楽しかったけど……だんだん、いらついてきた。
 あたしがどうするかなんて関係ない。まず自分がどうするか、それを示して欲しいところね。。
 あたしに追いつけていない真面目で一生懸命な竜ヶ崎は、どうせ「あたしについてくる」っとていう選択肢を選ぶんでしょ? でもそれならそれで、自分の意志でハッキリ決めなさい。それができないならこのあたしについてくるなんてムリのムリムリよ。
 でも、それを今まであんたはやってきたじゃない。そこだけは誇っていいわ。このあたしが認めてやってるんだから、シャンとしなさいよね。シャ・ン・と!
 だからあたしはじっと竜ヶ崎のことを見つめてやる。すると、竜ヶ崎はなおさら混乱したようだった。

「僕は、どうすればいいんだ……?」

 ……こい、つ……こいつこいつこいつっ! 今! なんて言いやがりましたかっ!? 
 自分でしなくちゃいけない選択を、人に尋ねましたか……そんな大事な選択を、人にゆだねやがるんですかこいつはっ!?
 
「知らないわよっ!」

 思わず口に出ていた。優等生の仮面がちょっとだけ外れそうになった瞬間。それぐらい今の竜ヶ崎の言葉はバカで間抜けで頭足りないダメ発言だったのだ。
 何言ってるのよ、こいつ!?
 どうすればいい? ど・う・す・れ・ば・い・い? ですって!?
 なんであたしについてくるって言えないのよ!
 ああもう自分が腹立たしい。
 追いつきそう? そんなバカな。このバカが、そんなわけないじゃないっ!

「だから、あなたはわたしについて来れないのよ」

 叫びだしそうになるのを抑え、表情もいつもの「優等生」に戻し、言葉を続ける。
 こんなくだらないことで心を乱してどうする。そう、こいつはこの程度のやつなのよ。自分で進む道を自分の意志で決められないようなヤツが、このあたしについてくることさえできるはずがなかった。とんだ買いかぶりをしていたものね、このあたしとしたことが!
 
「あなたはこの学校のつくったレールを進むだけ。先を行く私のことを見て、ただレールの上を進むだけ」

 ちょっと立ち寄ったところの、ちょっとしたレール。
 その上を進んでいただけ。ただそれだけだったのよ。
 あたしにとってはその程度の道。それをあんたは一生懸命進んでるんだから、ほんとバカよね!
 
「わたしの進みたい場所には、あなたのレールの先にはない。だから、わたしは歩いて行くの。自分の足で進みたいの」

 こんなところで優等生をやるなんて、あたしにとってはちょっとした遊びみたいなもの。
 あんたと違ってあたしは自分の意志で、自分の足で前に進む。あんたには絶対についてこれないような場所に向かうのよ……!
 
「あなたはあなたのレールの上をただ進めばいいわ。得意でしょ?」

 最後に皮肉で締めた。言うだけ言ったら少しだけすっきりした。
 ほんとにすっきりした。なんだか胸の中にぽっかり穴が空いたみたいな、そんなことを思ってしまうぐらいせいせいした。

 竜ヶ崎はなんだか今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 こんなバカが泣こうが別にあたしには関係ない。でもあたしのせいで泣かれるというのは不快だ。うっとおしい。やめてほしい。だって……なんだかわからないけど、こんなに、こんなに……胸が、苦しい。

「さようなら」

 言葉は勝手に出た。そうだ。こんなところはさっさと立ち去ろう。もう竜ヶ崎にこれ以上言うことはないし、ここですることもない。
 迷う理由がなければ動く。そもそも悩む事なんてない。それが、あたしだ。
 だから呆然とする竜ヶ崎の脇を通り抜け、あたしは去ろうとした。

「……けっこう好きだったよ、あなたのこと」

 あれ?
 いまの、なに?
 あたし? あたしが言ったの?
 足を速めた。とにかくすぐに離れなくちゃいけないと思った。その理由もわからずに。なにそれ、わけわからない。なんでそんなこといってるの、あたし?
 あれ? あれ? あれれ? なんでなんでなんで!?
 いや、でも言った内容は全然たいしたことない。別に竜ヶ崎のことは嫌いじゃなかったわけで、今嫌いになったわけだから「けっこう好きだった」と過去形でいうことは何も間違ってない。
 それはわかった。でも、わからないのは、
 
「なんで、わたし泣いているの……?」

 なんだろう。別に悲しくはない。でも涙が流れている。
 考えて考えて考えて……そしてあたしは結論を得た。
 そうだ。これはきっと悔し涙だ。「優等生になる」なんてことをして一年近くを無駄にしたからだ。ガリベンメガネを見返すという目的を果たしても惰性で続けて時間を無駄にした。そのことを竜ヶ崎と話してはっきり自覚してしまったからだ。
 そう考えるとあたしらしい。
 あたしはあたし、神無月愛奈! 竜ヶ崎のバカなんかとは違って、常に前へと自分の足と意志で突き進むのよ!

 だから、あたしは。その日のうちに転校を計画して、翌日には私立快世をやめていた。





「ん?」

 ふと気がつくと目の前にチョークがあった。宙に浮いている。と言うか、角度と速度と位置からすると、教卓からあたしに向けて投げられたものらしい。
 けっこう速い。でもあたしに当てるつもりなら遅すぎる。
 人さし指で、チョークを弾く。充分な威力を込めたソレは、チョークを粉まで砕いた。
 白煙の舞う中、立ち上がる。手をひと薙ぎすれば、砕けたチョークの粉は光を跳ねて舞う。首を巡らせば光を跳ねてあたしの金髪が舞い、チョークの粉なんかとは比較にならいくらい美しく輝いていることだろう。
 だから周りからは声にならないどよめき。感嘆のため息に羨望の視線を感じる。

「ふん」

 賞賛は当然。畏怖は必然。慣れ親しんで飽きた空気に鼻息ひとつだけ返す。
 そして教卓の方をじろり、と見ると、
 
「か、神無月! じゅじゅじゅ授業をちゃんと聞いてるかね!?」

 あたしの視線のプレッシャーに負けたのか、教師がうわずった声で抗議してきた。
 黒板を見れば長々と数式が描かれている。数学の授業だったな、なんて漠然と思い出す。
 それを見て、一言。
 
「間違ってるわ」

 あたしの言葉に教師は面白いぐらいに素早く反応。笑ってしまうぐらい必死に黒板の再確認を始める。
 しかし、その数式自体に間違いはない。
 
「どこが間違って……!?」

 文句を言いながら振りかえる教師がまたしても固まる。長々と数式を再確認している間に教卓の間近まで迫ったあたしに怯んだのだ。
 頭の悪いリアクションしか返さない教師に、あたしはやれやれといった感じで言ってやる。
 
「授業のやり方が、よ。ちなみに解答は2とルート7でしょ?」

 教師が頷くのを後目にさらに前、黒板まで来ると黒板消しを手に取る。
 ひと薙ぎ。それだけで無駄に消費された黒板をまっさらにする。
 
「な、なにをするっ!?」
「なにしてんのよあんたはっ!?」

 疑問の声を一喝で叩きつぶす。そしてバン、と黒板を叩く。
 思ったよりいい音。なにより大きく響いたその音に、教室中の生徒がまるで共鳴するかのように震える。さっきからあった注目が、より強くあたしの方に集まる。
 よし、つかみはいい感じ。
 そして教室のみんなに向かって叫ぶ。
 
「いい? 公式っていうのは道具なの! 意味は始めに知って、あとは使うことで習熟する。わからないバカは使ってその効果を知ってから意味にたどりつきなさい!」

 あたしほどになると別に高校レベルの数学なんて見ただけで理解できるけど、他のやつはべつにそういうわけではないらしい。だから今言ったのは、そのための基礎。

「だから……最初は簡単な式でとにかく慣れるの。あんな難しい問題を意味なく初めっからやるのは授業として意味がない! それも転校生に最初に解かせるなんて無意味もいいところよ!」

 あたしの言葉にびくりと数学教師が震える。
 意図は読めている。黒板に書き出されていたのはこの学校のレベルからすればかなり難易度が高かった。おそらく初めに難しい問題を見せて生徒を圧倒してから、簡単な式に移ろうと言う魂胆だったんだろう。教師としてのゲスなプライドを満たすためのくだらない手段。
 それはあたしにとってどうだっていい。授業がダメなら生徒が勝手に努力するがいい。バカはバカみたいに努力してこそバカなんだから。努力してようやく一人前のバカというものよ。
 でも、問題はそれをこのあたしに解かせようとしたことだ。
 つまるところ、このバカ教師はあたしの能力を計り、その上で取り込もうとしたのだ。もし解けないようなことがあれば「いっしょにがんばろう」とか取り込むつもり。解けたなら解けたで「優秀な生徒が来てくれて嬉しい」とか鷹揚に受け入れるつもりだったのだろう。そのことは、あたしの言葉に震える教師の姿を見れば確信できる。
 あはは。笑えるくだらなさよね。
 しかしどんなにくだらないことだろうとこのあたしに挑んだ以上は……完膚無きまでに、潰す。
 
「こんなくだらない授業は受けてられないわね」
「く、くだらないっ!?」

 さすがに教師の顔色が変わる。怒りの赤。そうよね。生徒を計るために問題を出して、その生徒から授業のダメだしをされたら怒るわよね。ほんと、わかりやすい。
 だったらあたしもわかりやすく教えてやることにしよう。
 
「どれだけくだらないか、あたしが証明してやるわ」
「ど、どうやってそんなことをするというのだ?」
「あたしがあんた以上の授業をする。それがあんたの授業を上回ってるなら……あたしの勝ち!」

 あたしの言葉に教師が鼻白む。
 そして、このあたし、神無月愛奈の授業が始まった。 





 あたしには勉強というものが必要がない。大抵のことは一目見れば理解できるのだから、学校教育で重要となる反復学習なんて必要ないのだ。時間をとるのはせいぜい教科書にない範囲を調べようと思ったときぐらい。でも学校の試験に限って言うならそれはほとんど必要ないことで、だから教科書が配られたときにざっと流し読みすればあとは授業を受ける必要すら無い。
 そんなあたしとは違う一般生徒に「勉強法」にあたるものを教えるなんてことは、まああたしでも難しかったかも知れない。天才は能力がある故に、自分の理解の仕方を凡人には説明できないものなのだ。
 しかし竜ヶ崎といっしょに勉強した経験はあたしを教える天才にもしていた。あいつといたおかげで普通のヤツがどうやって学校の勉強を理解するか……それを知ることができたのだ。
 結局のところ、相手に何かを伝えるときには共通することがある。
 まず始めに殴りつけて衝撃を与えて、それで引き込む。引き込んだら離さず引きずって、あとはクライマックスに蹴り上げる。そして最後は一気にたたき落とす。
 興味を失わせず置いてけぼりにせず伝えたいことをたたき込むにはこの、いわゆる起承転結というやつが基本となる。
 そこまでわかれば、この神無月愛奈にこなせないはずがない。
 だから授業は誰一人脱落することなく明確で容易で理解できるものとなり、教室のみんなの顔は見る見るうちに授業に対する意欲に輝いていく。反対にどんどん顔色を失う教師が微妙に面白い。
 そして、それもほとんど終わりへと近づいた。

「とまあこんな感じ。これが完璧な授業ってものなのよ。だから、ほら……」

 ぱちんと指を鳴らすと、それに合わせたように授業終了の終了のチャイムが鳴り響く。
 
「……チャイムも祝福するってものよ」
 
 オオオ、とどよめき。羨望の視線。そしてその表情には、授業の理解による確かな自信。
 ふむ、こういうのも悪くないわね。でも、集まる視線にこもる感情は、憧れに尊敬、そんなのばっかり。竜ヶ崎みたいにその中に挑戦の意思がちょっと混ざってたりはしない。あいつと違って、こいつらはこんな風に与えられれば興味を示すだろうけど、自分から得ようとはなかなかしないだろう。
 いつものこと。だから、つまらない。
 
「ふう……」

 この状況ではそんなため息すらも知的に見えるのか、なにやら辺りは感嘆の空気。
そんな雰囲気にいたたまれなくなったのか、数学教師は肩を落として去っていった。勝敗は明確ね。敗者はいつだって無様だわ
 まあでも、これは。
 
「なかなか面白いかも。……こうなったら徹底してみようかしらねっ!」

 ニヤリ、と笑った。
 
 そしてあたしは勢いに乗り、次の授業も「神無月流授業」を行うことにするのだった。
 




 4時間目になった。つまりはあたしの四つ目の授業。結局あのあと勢いは止まらず、あたしは次々に授業を行っていった。まったくもって歯ごたえがない。少しはあたしに対抗できる教師はいないものかしら? いや、いるわけないか。
 他の教師と同じく、この授業時間の物理の教師も教室の隅で元気なくうずくまっており、それを後目にあたしは調子よく授業を進めている。
 そんな、ときだった。
 突然、教室の扉が開いた。
 
「ここねっ!」

 入ってきたヤツは赤かった。
 赤い、というか紅いと言った方が似合う鮮やかな長髪。それを白いリボンでまとめた女がいた。
 そいつは教室の扉をなぞるとそこからハリセンを取り出して、真っ向から突きつけた。そして、
 
「許さないわよっ!」

 突然、そんなことを宣言した。
 ふむ。こいつは。このあたしにハリセンを突きつけるのか。
 ……面白い。面白いわねぇっ!
 あたしは口元をニヤリと歪め、この闖入者を睨みつけてやるのだった。


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