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ストレンジのーまるデイズ

第十八話 決戦の……



 迷っていた。
 何も見えなくなっていた。
 今まで目指していたものがなくなった。いや、なくなるだけでなく拒絶さえされた。
 だから何も見えなくなってしまった。そう思っていた。
 でも、ある時ふと疑問が湧いた。

 俺は何を迷い、そして何が見えないのだろうか、と。


 目を覚ます。ようやく慣れ始めたアパートの一室。あまりいじってないせいで名土先輩が整理てくれたままきちんと片づいた部屋の中を、ぼんやりと眺める。

「ふわ〜」

 なんとなく、マヌケにあくびをする。眠い。頭が重い。何度か寝て、そして起きたような感覚がある。いちどハッキリ目が覚めたような記憶が耳に残っているけれど、それも曖昧。さっき頭の中に浮かんでいたことも、夢と言うよりぼんやりと考え事をしていたという感じだ。
 そう言えば、あの時は毎日こんな感じだった。神無月が転校して俺が前に進めなくなってからしばらくの間、朝はこんな風にぼんやりとしていた。昼もボンヤリしていたし、夜もたぶんそのまま。よく覚えていない。そのぐらい、ボンヤリしていた。
 あのころは、迷っていた。何も見えないと思っていた。
 ただ、それだけだった。何に迷っているかわかっていなかった。何も見えないと言っても、そもそも何を見ようとして何が見えないのか……そんなこともわからなかった。
 悩む中、ようやくそのことに気がついた。
 だから俺は転校することにした。距離を置いて自分を見ることでなにか解決できるのではないかと思ったからだ。少なくとも停滞からは抜け出せる。そうすれば自分の進むべき道も見えると思った。
 そして今がある。
 どれだけ前に進めたかはわからない。まだ方向さえ定まってはいない。迷いに答が出たとも言えない。
 でも、少なくとも前に進んではいる。止まってはいない。 あの頃の自分が止まっていたと、冷静に考えることぐらいはできるようになった。
 ぼんやりした頭がようやくハッキリしてくる。

 そうだ。
 止まるな。前に、進め。

 よし、目が覚めた。気合いを入れてまずは枕元の目覚まし時計を見る。
 目覚ましにはきちんと起床時間をセットしてあり、それを止めた形跡があり、針の示す時刻はセットされた時刻から30分ほど過ぎていた。

「……あれ?」

 記憶をまさぐる。たしかに寝たり起きたりの夢うつつな状態だった。そんな中、一度だけハッキリと目が覚めたような記憶がある。なんだか耳に残るその記憶は、やっぱり目覚ましが鳴っていたと言うことなのかも知れない。
 いや、その、なんだ。

「急げーっ!」

 布団から飛び起きると、俺はあわてて出かける準備をするのだった。





 アパートの階段を飛び降りるように駆け抜ける。
 そんな最中にもいろいろチェック。髪型はちゃんとしたし一応デートのマナーと言うことで鼻毛のチェックなんかもした。着ているものも買いに行くヒマがなかったのでジーンズとTシャツというしゃれっけがいまいちないもの。だけどお気に入りのでデザインは悪くない。
 そこまで考えたところで階下のコンクリに着地。衝撃を殺しつつ勢いは生かし、そのまま疾走に移る。そう言えばここは駆け抜けた機会の方が多いような気がする。
 走りながら考えるのは名土先輩のことだ。

 今日は先輩とデートだ。

 今さらながら、なんでそんなことを言ってしまったんだろうと思う。理由は何かと言えば……自分の経験だ。
 名土先輩とはかけた時間も重みも違うかもしれないけれど、でも俺と同じように悩んでいた。
 そして俺がどうやって悩みを解決したかと言えば、その問題から距離を置くことによってだった。今のままでは動けないと気づき、距離を置くことで止まっていたことを知ることができた。そして今は、進むことができていると思う。
 だから名土先輩も「メイド」から距離を置くべきだ。そう、思った。
 そのためにはとにかく学校の外へ連れて行こうと思い、口から出た言葉は「デート」の一言だった。

 あの言葉はそんな思いつきからだったのだ。

 ……冷静に考えてみるとかなり失礼なことを考えてしまっている気もする。名土先輩は物心着いたときからずっとメイドとして鍛錬していたと聞いた。でも、だからと言ってあれだけ綺麗な人だ。実は彼氏の一人や二人はいるかもしれない。いてもおかしくない。いるような気がしてきた。
 もしいたら、デートしようなんていう俺の思いつきはまるで無意味な勘違いだ。
 先輩はデートなんて当たり前のようにこなしているかもしれない。だとするとまずい。だって俺にとってデートというのは新境地なのだ。つまり、これが初デート。中学は真面目で通し高校は神無月に追いつこうと勉強に明け暮れていた俺に、女の子とお近づきにある機会なんてなかった。
 本当に、大丈夫か俺? 昨日までに何冊かデートのマニュアル本に目を通したけれど、実践の伴わない知識なんて意味がない。それは前の学校で、常に結果で実力を示してきた神無月の存在によって痛感している。
 先輩とデートなんてうまくいくのか?
 先輩の悩みを解決なんてできるのか?
 そもそも前提が間違っていないか?
 全てが無駄になってしまうんじゃないか?
 いつの間にか、足が止まっていた。
 どうすれば、いい?
 疑問が浮かぶ。しかしすぐに答が浮かぶ。解答が疑問を塗りつぶす。
 決まっている。

 止まるな、進め。

 まだ答が見つかっていない俺は進むしかない。進んで、その中で答をつかみ取るしかない。

『あなたはちゃんと自分があります。自分そのものをコンパスにして進めるはずです』

 先輩の言葉が思い起こされる。そうだ、信じよう。先輩の信じてくれた自分を信じよう。止まったらみんな無駄になる。過ちも後悔も、進み続けてゴールへ至るための道のひとつにしてやる。そのためには、止まっている暇なんてない。進むことのできない脚なんて必要ない。
 だから、俺は。駆け出した。止まらないよう、全力で。





「はあっ……はあっ……」

 思いっきり走った成果か、待ち合わせ場所である駅前に着いたのは9
時50分頃。約束の時間より10分早い到着だった。
 全力で走ったのは久しぶり。体力にはそこそこ自信はあったがさすがに効いた。空は晴天。まだまだ残暑も厳しい。汗が止めどなく流れるのがうっとおしい。でも、悪い気分じゃない。
 膝に手をつき腰を曲げ、足元に向かって荒い息吐く。動悸の速い心臓をなだめ、どうにか息を整えようとする。
 しかしあんまりノンビリもしていられない。早く着いたからと言って安心することはできない。名土先輩はいかにも先に来ていそうなタイプだ。既に到着していてもおかしくはない。
 見回すと、土曜の駅前には様々な人たちがいる。
 なんだかそわそわしているショートヘアの女の子。ぶすっと不満げに見回し、でも時折ほほえむ勝ち気そうな子。遅れてきたのか、女の子に謝りながらやってくる男。
 ……なんだかデートの待ち合わせばっかり目に入る。実際には数が多いわけではない。行き過ぎる人は多いし年代もバラバラ。でも、そういう同世代の待ち合わせばかりが目に入る。どうしても意識してしまう。
 ようやくおさまってきた心臓が、とくんと一つ高鳴った。
 そうだ、俺。理由はどうあれ、目的はなんであれ、これからデートなんだ。しかも初デート。それも相手は名土先輩。メイドで、美人だ。
 いまさら意識してしまう。心臓は素直にそれを表現して、だから余計に落ち着かなくなってくる。

 そんなときだった。

 ざわめきに耳を奪われたのは。
 何の気なしにそちらを向いたのは。
 その姿が、視界に入ったのは。
 どこか揺らめくような頼りない歩き方。
 女の子だった。
 薄い青のワンピース。飾り気のない、しかし清潔なシンプルさ。ワンピースそのものは清楚なイメージがあるが、しかしその中に秘めたものはかけ離れていた。
 ワンピースを押し上げるのは、豊かな双丘。張りとボリュームと、そして何より形の良さを立体的に主張するそのラインを受け継ぐのは、なだらかでいてメリハリのある腰のくびれ。そしてその先に広がるヒップは大きすぎず小さすぎずバランスがよく、くるぶし近くまで届くスカートの中にスラリとした美脚が伸びているだろう事を容易に想像させる。
 それは清楚と呼ぶには悩ましすぎる。色香というには上品すぎる。
 立ち姿を見ているだけでも充分だというのに、それ以上に目を引きつけるのがある。
 ショートにまとめられた黒髪は、微かな風に緩やかに舞う。一本として絡むことなく揺れる黒髪は、その繊細さを風に謳っているかのようだ。
 白磁のような白い肌。整った顔立ちは精緻な彫刻のように美しい。吸い込まれそうなほど深い色をたたえた黒瞳は、今は不安に揺れている。
 まるでよくできた絵のように綺麗な……そう、ただ綺麗と言うほかない顔。
 なんだ、これは。
 まるで映画のワンシーン。作り物じみて完璧なその姿は、ただあたりまえの町並みもまるでその姿を演出するために用意された映画のセットに変えてしまう。ただそこに立つだけで周りのあらゆるものを背景へと変えてしまう存在感。それでいて現実感に乏しいほどに美しいその姿。
 言うなれば、夏の幻影。
 俺は暑さにやられてしまったのだろうか。
 だって幻のようなその姿は、俺の方へ近づいてくるのだ。
 そして不安に揺れいていた瞳を、まっすぐに俺に向けているのだ。
 あまつさえ、その顔は不安を振り払ったかのような微笑みを浮かべているのだ。
 まして、

「竜ヶ崎様……」

 俺の名前を、それも”様”づけで呼ぶことなんてあるんだろうか。
 そんなこと、現実にあるだろうか?
 ……。
 …………。
 ………………って、

「名土先輩っ!?」

 俺の呼び声に、目の前の女の子は目を大きく見開き、そして頷いた。
 その綺麗な顔は確かに見覚えがあった。
 メイドチャンピオン、名土メイ。俺内部の通称、名土先輩。
 たしかにその声は間違いない。顔だって見覚えがある。本人と認識できる。でも、だからこそ違和感がある。
 名土先輩がメイド服を着ていない。
 これだけで、こうも変わるものか。
 メイド服というのは基本的に従者の着るもの。ご主人様より目立ってはまずいわけだから、色やデザインはある程度押さえられて地味なものになる。だから名土先輩は綺麗で清楚で華々しく、それでいて地味な印象もあった。
 だが。だが。だが。
 布の厚さが少し変わるだけでこうまで身体のラインが意識されてしまうものなのか。
 デザインが異なるだけでこうまで胸の大きさが自己主張を始めてしまうものなのか。
 でも、なにより……今まで知らなかったわけじゃない。それでも、こんなに――名土先輩は、綺麗だったのか。
 だから、

「きょ、今日はメイド服じゃないんだ……」

 俺はそんなことを言っていた。
 とにかく先輩はいつもと違いすぎる。それゆえに口から漏れた、間抜けだけど何より本心に近い言葉。

「は、はい……寮のみなさんに相談したら、個人的な外出にはメイド服を着るべきではないと……」

 つまらない俺の言葉に先輩は真摯に答える。
 まぎれもなくいつもの名土先輩。なんだかほっとする。

「わ、私は物心ついたときからメイド服を着ていました。メイド服は仕事着にして普段着、それ以上に私にとって服そのもの。それ以外の服を着ているとまるで何も着ていなようで恥ずかしくて…………ああ、こんな恥ずかしい姿で町を歩くなんて……みなさんに見られるなんて……!」

 自らの身体を抱き、なんだかひとりブツブツ言い出すのは、見慣れた名土先輩だった。フルフルと震えているのもまたいつも通り。
 よかった。いつもと印象が違いすぎて距離を感じてしまったが、俺の知っている名土先輩だ。
 よくない。いつもどおりいきなり距離が離れたような感じがして暴走中の、そろそろ止めなくてはいけない名土先輩だ。

「あのー、名土せんぱ……」
「私、知らなかったんです……! 勝負下着という言葉を聞いたことはありますが、まさか決戦下着なんてものがあるなんて……!」

 声をかけようとして、なにやら聞き捨てならない特殊単語に言葉を止める。
 けっせん……したぎ?

「先輩、なんだその決戦下着というのは?」
「ああ、竜ヶ崎様……決戦下着というのは勝負下着を越えたまさに一撃必殺、決戦に臨むための装束だそうです!」

 律儀に答えるのはこの人らしいが、しかし意味が分からない。そして興味を惹かれる。俺は本能に導かれるままに質問を続ける。

「一撃必殺って……勝負下着と違うんだ?」
「凄いんです!」
「凄いって、何が?」
「角度が!」

 一瞬頭のなかが真っ白になった。
 すごい? 角度? どこの?
 頭の中をいくつもの言葉とイメージが駆け抜け、いくつかの妄想が像を結ぶ。角度ということはあそこの角度で、やっぱりハイなレグでバックがTだったりあるいはヒモだったりということなのかそうなのか!?
 妄想が止まらない。しかもそれだけの妄想が駆けめぐっているというのにこの目の前にある現実に勝てそうな気がしない。
 だって続く先輩の言葉は……。

「しかも雑誌の上に載せても下着越しに字が読めるんです!」

 透けてる!?

「シルクでフリルなんです!」

 ゴージャス!?

「ジャストフィットで隙間がないんです!」

 この胸にピッタリ!?

「白なんです!」

 それでいて清楚!?

 明滅する。頭の中が思考停止の白と妄想暴走のピンクに入れ替わり立ち替わり切り替わり、明滅する。
 しかし、追いつけない。それでも妄想が追いつかない。名土先輩の言葉に追いつけない。
 負けた。どうやったって勝てない。確かに一撃必殺に違いないだろう。その殺傷力は、まさに決戦にふさわしい。
 混乱する俺の目の前にあるのは名土先輩の顔。触れそうなほど近くにあるその顔は……泣きそうに見えた。

「こ、こんな恥ずかしい格好をした私となんて……」

 潤んだ瞳でひたむきに俺を見つめる。

「竜ヶ崎様のデートの相手に、ふさわしくありませんよね……」

 何を言っているんだろう、この人は。
 それは俺のセリフだ。名土先輩みたいな――そりゃ確かに変わっているけど――素敵な女の子とデートできるなんて、それだけで奇跡みたいなことだって言うのに。
 どうにかしてこの勘違いを正したい。だから、なにか言え、俺。なにか気の効いたセリフを……!

「大丈夫、下着は見えない」

 ……俺は、バカなんだろうか。

「そうでしょうか……?」
「ああ、バッチリ見えない」

 なんだか間抜けな言葉が展開されるが、でも名土先輩はいくぶん落ち着いたようだった。
 でも、なんだか不安げに自分の姿に目を向けている。
 胸元に手を当て、

「それでは私のこの格好、おかしくありませんか……?」
「おかしくないかって……」
「似合って……ませんでしょうか……?」

 一瞬なにを言っているのかわからなかった。
 だって凄く似合っている。それがわからないなんておかしいと思った。
 でも、すぐに気がついた。
 名土先輩の不安げな瞳に、思い知らされた。
 先輩はどちらかと言えば変わっているけれど……と言うか、普通と普通じゃないという天秤に掛ければ普通じゃない方の天秤が轟音立てて地に着きそうな勢いだけど……でも。
 女の子なんだ。
 自分が着ているものが気になって当然だ。
 だから、俺は。口に出すのはとても恥ずかしいけれど。聞こえるようにハッキリと、

「とってもよく似合っている……よ……?」

 それはまぎれもなく本心。でも言うのは恥ずかしくて、中途半端でぶっきらぼうな言い方になってしまう。
 そんな不出来な言葉なのに、

「ありがとうございます……」

 消え入りそうな声で、名土先輩はこくん、と頷く。頷いたまま顔を上げない。今は隠れて見えない頬は、頷く直前赤く染まっていた。
 だから、俺も何も言えなくなってしまう。
 初めてじゃないだろうか。名土先輩を、「かわいい」なんて思ってしまうなんて。
 ひどく照れ臭くなって、俺は顔を逸らしてしまう。
 むずがゆい、でも暖かな瞬間。
 そして、俺は気づいてしまった。顔を逸らしたせいで目に入ってしまった。
 視線があった。いくつもの視線があった。
 見回せば、注目を浴びている。浴びまくっている。
 考えてみれば超がつくほどの美人が俺みたいななんでもない男と待ち合わせ、そして会話がいきなり「決戦下着」ともなれば目立って当たり前というものだ。
 ピンチだ。この町での社会的立場とかご近所づきあいとかママさんネットワークとか、そのへんがどうしようもなくヤバイ……!
 俺は名土先輩の手を取る。

「え?」

 強く引き、そして駅前から離れるべく早足で歩き出す。聞こえるのは戸惑うような足音と、

「竜ヶ崎様……?」

 驚いた声。
 そして、気になる。”様”づけ。こんな呼ばれ方をしたら余計に目立つような気がした。
 だから、

「先輩……今日はデートなんだから、その呼び方はやめてくれ」
「で、ではどうお呼びすれば……?」
「呼び捨てでいいよ」
「そんな……」

 また名土先輩は顔を伏せてしまう。
 そんな名土先輩に構わず、とにかく駅前から離れようと足を速める。

「……くん……」

 声。
 気になって足を止める。
 たしかに名土先輩の口元から聞こえてきた声。
 名土先輩は顔を上げ、

「竜ヶ崎……」

 そこで一旦言葉を切り、すこし迷ってから、

「くん」

 恥ずかしげに、言葉を続けた。
 それだけ。それだけのことなのに。
 高鳴った。心臓が、どうしようもなく。

「お、おう!」

 よくわからない返事を返し、先輩の手を引き。俺はとにかく、できるかぎりの早足で、先輩を引きずるように歩くのだった。
 そして今さらのように意識する。
 今日は、この人とデートなのだと……。


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