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ストレンジのーまるデイズ
第十二話 後悔 | 朝。めざましのやかましい音に目を覚ます。さすがに二日間の失敗を元に再セットを行った目覚ましは余裕のある時間で俺を起こしてくれた。 さわやかな朝。……ではなかった。さすがに残暑が厳しくじっとりと汗をかいてしまっている。それになにより……。 「どんな顔して会えばいいんだろう……」 怒りから醒めた頭にのしかかってくるのは重い後悔。 昨日のことが頭に浮かぶ。 名土先輩がワイシャツを回収するためにやってきた。そして部屋の掃除に洗濯、更には夕食まで作ってくれた。それどころか俺の迷いまで振り払ってくれた。そして……。 秘蔵の本を処分した。全部ことごとく切り刻んだ。 キレた。キレてしまった。思いっきり逆ギレしてしまった。そして偶然やってきた聖にハリセンでしこたま殴られた。 まざまざと思い出し、頭を抱える。なにをやってるんだ、俺。名土先輩に合わせる顔がない。聖にはなんて説明したらいいんだろうか。 立ち上がり、出窓へと向かう。 今日も快晴。見渡す限りの青空。俺はなんてちっぽけだったんだろう。そうだ、 「これからいくらでも買えるじゃないか……」 顔見知りばかりの地元ではない。これからは前のように隣町まで行ったり変装したりする必要なんて無い。近所……いや、あんまり近すぎるのはまずいからちょっと離れたところで買えばいい。買ったらこの一人暮らしのアパートの中、誰にはばかることなく楽しめばいい。 俺には自由がある。自由を得た今、過去に縛られてどうする。そりゃ処分された本は大事だった。苦労して入手したいいものだった。本当にいいものだった。泣けるほどいいものだった。 でも、それでも過去に縛られてはいけない。未来にはより素晴らしいものがあるかも知れない。……いや、あるはずだ。だから、過去は振り払ってしまえ。 台所に行く。昨日と変わらずあるダンボール。その中には細かく裁断された元エロ本。 「さらば、過去。俺は未来に生きる……!」 俺は燦々と輝く朝日に向かい、力強く誓うのだった。 …… ……… ………… 「変な方向に逃避してどうするーっ!?」 前向きなことだけが救いだった。……まあこういう場合、前向きなのがいいとも言えないような気もするが。 でも、その程度だ。その程度のこと。取り返しのつくことだ。代用の利くことだ。 昨日の、落ち込んでしまった自分。先輩は手をさしのべて導いてくれた。嬉しかった。本当に嬉しかった。これはかけがえのないことだったはずだ。 それなのに、俺は。 ご主人様になることを断ってしまった。先輩のことをこれ以上ないぐらい罵ってしまった。最後には……泣かせてしまった。 俺はこんなに救われているというのに。 「ちゃんと……謝んなきゃな……」 先輩に会うためにはとにかく学校へ行かなくてはならない。俺は憂鬱なまま、準備を始めるのだった。 ・ ・ ・ 「ん〜〜〜、と」 伸びをひとつ。眠っていた身体が目を覚ます感覚。 アパートの階下、共同の玄関近く。通りかかったおばさんに会釈。挨拶を返すおばさんが微妙に含み笑いを浮かべてるのが気になったが、そのまま外へ。まだ時間には余裕がある。 普通に歩く通学路はなんだか新鮮だった。昨日も一昨日も走ってばかりだった。帰りは普通に歩いていたわけだが、行きと帰りではやはり感覚が違う。だから、この新鮮な気分はそういうことなんだろう。 しばらく歩いていくと見知った後ろ姿が目に入る。 ウエーブのたっぷりかかったショートカットの、ゆらゆらと揺れるその姿はひなただ。 「おはよ」 「おはよ〜」 挨拶するとのんびりした声と、その顔以上にのんびりとした雰囲気の笑顔が返ってきた。なんというか、そののんびりさ加減は自分と違う単位の時間を過ごしているんじゃないかと思われるぐらいだ。 足を速めひなたに追いつき、並んで歩く。 「いつもこの時間なのか?」 「そうなの〜」 ひなたはいつものように物怖じしないでまっすぐに俺のことを見ながら言う。その顔は本当に幸せそうな笑顔。 そんな顔でじっと見つめられてしまうのだから、なんだか照れてしまう。視線を下にすると、そこには豊満な胸が。やわらかそうでゆらゆらとゆれる胸が。 ……余計やばい。 慌てて視線を逸らし、前を向く。別に歩きながらの会話だったら不自然はない。 と、安心したのもつかの間。 「んふ〜」 急に俺の手にしがみついてくる。腕全体をおおう柔らかい感触は「巻きついてくる」といった方が適切なのかも知れない。ひなた独特のスキンシップだった。 「な、なんだよ急に」 「えへへ〜」 ぎゅっ、とひなたは手を抱く手の力を強める。 「いいの。ふたりっきりのときしかできないの。だから、今するの」 あんまり幸せそうな笑顔をするものだから何を言っていいのかわからなくなる。 なんだかまた鼻血が出そうだ。まあ鼻に血が集中する分、下の方に血が回らないのは幸いだろう。 考えが変な方向ばっかりにいってしまう。まずい。だいたい俺はこんなことを考えてしまっていてはダメだ。先輩を泣かせて、そのことを謝ろうと思っていて……そんなときに、何を鼻の下のばしているんだか。 「それじゃ、だめなの」 「え?」 俺の間抜けな声に応えるのはやっぱり笑顔。暖かい、笑顔。 「竜ヶ崎くん、難しそうな顔してるの」 「ああ、ちょっと悩み事があってな……」 言葉を濁らせる。さすがに説明するのは抵抗があった。と言うか、どこから説明していいものか、すぐには思いつかない。 そんな俺の思いを知ってか知らずか、ひなたは言葉を続ける。 「悩みがあっても暗い顔をしてちゃダメなの。それじゃ気持ちが沈んでなかなかうまくいかないの。まず、顔だけでいいから明るくするの。笑顔が一番なの」 「……ひなたは、よく笑うよな」 と言うか、ひなたの笑顔以外の表情というものを見た覚えがない。それぐらい笑顔で、それはいつも印象深いものだった。本当に屈託なく笑う。俺は、今は笑えない。悩みがあるときは、どうやって笑えばいいのかも分からなくなってしまう。 「自分が笑わないと、人を笑わすことはできないの」 そしてにーっ、と口を広げ、顔一杯の笑顔を広げる。 「だから、わたしは笑うの。竜ヶ崎くんにも笑って欲しいから、まずわたしから笑うの」 ひなたは純粋で明るい笑顔でそんなことを言う。それがあんまり眩しく思えて、俺は苦笑してしまう。 「うん。それでいいの!」 俺の表情の変化を見るや、ひなたは嬉しそうに言った。苦笑でもOKなんだろうか? ……でも、そうだな。まずそこからなのかもしれない。悩んでいるからって眉を寄せて固くなってばっかりじゃダメだ。それに俺は先輩を泣かせてしまった。それを悪かったと思っている。だったら、涙を止めたいのなら、ひなたの言うようにまずこっちから笑顔でいかなくちゃいけないのかもしれない。 苦笑に安心したのか、ひなたは歩みを早める。俺の手を引っ張って前へ前へ。そんなひなたに引きずられるようについていくと、ふと気がついた。足りないものがある。 「そういえば聖はどうしたんだ?」 いつも聖はひなたといっしょにいる。 それに……聖が昨日の一件をどう解釈しているのかも気になるところだった。 「聖ちゃんはいつも時間はゆっくり、速さは全開で学校に来るの。だから、朝は一人なの」 意外な答えが返ってきた。二日間続けて遅刻間際に出会ったのは偶然ではないらしい。 聖の顔が思い浮かぶ。つり目の凛とした表情。 「あいつけっこうまじめそうなのにな」 不正に対してはハリセンでツッコミ。しかも学級委員まで務めているはずだ。遅刻とは縁が遠そうに思える。 「聖ちゃんはまじめなの」 「じゃあなんで遅刻ギリギリなんだ?」 「それはね……聖ちゃんはワンちゃんみたいに走るのが好きな娘なの」 ドドドドド、と言う音。どんどん音が高くなるのはたぶん”ドップラー効果”というやつだろう。それはすぐに近くまで来て、すぐ脇で スパアアアンッ! という爽快な音を炸裂させた。ひなたの身体から衝撃が伝わってくる。 隣を見るとひなたの首から上がなくなっていた。 「ああ、またか……」 至近距離のインパクトある光景だったが、それでも見るのは二回目だ。俺は目の前に展開するショッキングな様に高まる動悸を押さえつつ、冷静であろうと努める。 ひなたに首がなかったのも一瞬。 首のないひなたの身体は歩き続ける俺に引きずられるようにそのまま数歩、たたらを踏むように進む。俺が足を止めるとひなたも止まる。そして、ひなたの笑顔が出現する。 柔軟なひなたの首。ハリセンの直撃を受け常人の限界をはるかに超越して曲がり視界外へと消えた首が、今まともな位置にもどったのだ。 「ゆいんゆい〜ん」 ひなたの首がおもちゃのように揺れた。……あんまりまともに戻ったとは言えないのかも知れない。ひなたは俺の腕にからみついたままだから、微妙にその震動が伝わってくる。柔らかい感触が揺れ、なんだか心地よかった。 「なに失礼なこと言ってるのよっ!?」 その揺れる首の向こうに立つのは、紅いポニーテールに猫のようなつり目。朝から元気な聖だった。 その元気さに答えるべく声をかける。 「よ! 聖おはよう。今朝はトーストくわえてないんだな。白パンはちゃんとはいてるか?」 「……おはよう。人に言えない種類の本を処分されて逆ギレした竜ヶ崎 勇人くん」 ぐっ……! 軽口を迎撃された。しかもクリティカルヒット気味だ。おもわず吐血してしまいそうな強烈な精神的ショック。 そんな微妙な雰囲気で向き合う俺と聖の間のひなたは、揺れながらも不思議そうにこっちとむこう、交互に見る。 「昨日は……」 「事情は名土先輩から聞いたわよ。情けないにもほどがあるわね」 「ああ……」 聖はきっぱりと歯に布着せず言ってくる。でも、変な話だがいまはそれが心地よかった。変に気をつかわれるより、はっきり言ってもらった方がいい。そんな時はある。 無言のまま歩き出す。隣のひなたは、 「ゆいんゆい〜ん」 まだ揺れてる。そんなのが間にあっては話しづらいのか、聖は反対、俺の右手側に回り込む。俺の顔を見るや心配げな顔になる。 「な、なによ。落ち込んでるの?」 「そりゃまあ、な……」 ひなたのおかげで少し気が楽なったとは言え、それでも別に状況が変わった訳じゃない。気持ちはやっぱり沈んでいる。 「べ、別に気にすることないわよ! 確かにあなたは悪いことをしたけど、それはわたしがちゃんと罰してあげたんだからっ!」 そういってハリセンを得意げに見せる聖。それはある意味ありがたいと言えることなのかも知れないが……。 「……でも、昨日は叩きすぎだ。こないだ手加減するとか言ってたのに叩きまくって……」 俺がキレと止まらなかったとは言え、昨夜は気絶するまで殴られたのだ。 「あ……あの時は竜ヶ崎の方がおかしかったのよ! それに手加減はちゃんとしてるわよっ」 「どこがだ?」 「だって……あなたは今自分の足で歩いてるでしょう?」 ……なんかかなり恐いことを言われたような気がする。 「それに竜ヶ崎って、鼻以外はけっこう頑丈よね。いくら叩いても大丈夫な感じ。初日は豪快に鼻血出して驚いたけど、そこさえ注意すれば大丈夫だっていうのはちゃんと理解しているわよ。安心して」 ……こいつは何をどう安心しろと言うのだろうか? 背筋が凍りつきそうなんですが。 左手にすがりつくひなたの暖かさが救いに感じられた。 でも考えてみれば痛みは残ってない。俺ってホントに頑丈なんだろうか? 自分でも知らなかった新事実だ。だが口にはしない。聖の「手加減」がこれ以上ひどくなったらたまらないからだ。 「で、さ」 首を傾げ、下から覗き込むように聖は問いかけてくる。はにかむようなその顔はさっきの恐ろしさから一転、ちょっとかわいい感じだ。 「昨日、ちゃんと食べた?」 「あ、ああ……」 昨夜、目が覚めたとき。机の上にはラップをかけられた夕食があった。ちょっとさめていたがそれでもかなりうまかった。さすがメイドチャンピオンの技、と言うべきか。 でも、ひとつだけ……。 「あなた最近いろいろあるんだから、ちゃんと食べないとダメよ。それで……ほうれん草のおひたし、ちゃんと食べた?」 「え?」 「あなた最近血が抜けがちなんだからちゃんと鉄分採らないとダメよ」 驚いた。ちょうど俺は頭の中でほうれん草のおひたしを思い浮かべていたのだ。昨日の料理の一品。それは、 「あれだけ味付けが濃かったんだよな……」 ほかの料理が完璧の俺の好みだったのに、ほうれん草のおひたしだけは違った。今思えばそれは微妙な差だったのかもしれないが、他が完璧なだけに際立っていたのだ。だから印象に残っていた。 「薄味のほうが好きなの?」 怪訝な顔で聞いてくる聖。なんか変な感じだな、と思いつつ昨日の味を思い出す。普段は昨晩食べたものなんてあんまり憶えてないものだが、さすがに昨日の夕食は記憶に残っている。鮮明に味を思い出すことができた。 「そういうわけでもないけど、あれはちょっと濃かったな。……でも、うまかった。うん。不思議とあったかい感じがした」 「そ、そう。それはよかったわね」 「なんでお前がそんなこと気にするんだよ」 「べ、別にっ……」 なぜか目を合わせようとせず、聖は言う。なんだかむくれた顔をしているが、どこか嬉しそうに思えた。 俺がジロジロと見ると、聖はその視線に耐えかねたかのように歩を早め、前を行く。追いつこうにもひなたがしがみついているのでそれもかなわない。 と、クルリとポニーテールを揺らし聖は振り返る。 「とにかく。ちゃんとごはんまでつくってもらったんだから。昨日のことはちゃんと名土先輩に謝って……それで、ありがとう、って言いましょ」 「ああ、そうだな……」 それは言われるまでもない。謝るだけじゃなく、感謝もしないといけない。夕食のことだけじゃない。俺は迷いから救ってもらったんだから、そのことを”ありがとう”と言わなくちゃいけない。それで……もっといろいろ、ちゃんと話し合おう。 そんなことを考えながら、学校へと向かうのだった。 ・ ・ ・ 名土先輩とまずは話そう。 そう思ったものの、先輩が昨日のように来ることはなかった。正直来てくれることを期待していた。また「ご主人様になって下さい」とか迫って来るんじゃないかと思っていた。 でも、いない。 そうなるとどうやって会えばいいのかわからない。授業の合間にクラスメイトに尋ねてみると、メイド学科は校舎が別、それも普通科からはだいぶ離れたところにあるらしい。授業があったし、それに聞けば一般生徒はメイド学科に入るのも難しいらしいそうだ。 「竜ヶ崎くん、頑張ってね!」 聞き込みの中、応援されたりもした。そんなに必死に見えただろうか? そんなこんなで過ごす午前の授業はあっと言う間だった。 キーンコーンカーンコーン 昼休みを告げるチャイムが鳴ると同時に俺は教室を飛び出した。向かう先は学食。メイドさんでいっぱいの学食だ。ここになら名土先輩がいるかも知れない。いないとしてもメイド学科の生徒はわんさかいるはずだ。何か糸口は掴めるはずだ。 学食はごった返していた。普通の学食と変わらない混雑ぶり。しかしそれも入り口付近だけだ。中はちゃんとみな席に着いており、その間をメイドさんが忙しそうに動き回っている。 早めに来た俺はすぐに席に通される。そして、メニューを持ってきたメイドさんにすぐに注文。とりあえず昨日と同じくAランチ。 頼んだ後、学食内を見回す。 それにしても、学食内は席の全てが埋まるような混雑だった。よく見れば、全てが埋まっている。空いている席がない。席には基本的にメイドさんが案内している。一つの無駄な空きがないというのはその誘導が適切だと言うことだ。そもそも食券制でもないのにこの混雑でちゃんとまわっているというのが凄い。完璧な統制。メイドさんの能力の高さを伺わせる光景だった。 忙しく動き回るメイドさんの中に名土先輩の姿は見あたらなかった。 と、目の前にAランチが出される。いつの間にかメイドさんが持ってきてくれていた。早い。すぐに去ろうとするメイドさんに俺は声をかける。 「あの……」 振りかえる姿には見覚えがあった。たしか、初日に名土先輩からの手紙を渡してくれたメイドさんだ。 そのメイドさんは無言で俺のAランチのトレイを指さす。見ればそこにはの二つに折り畳まれたカードがある。 「これは……」 問おうと顔を上げると、そこには既にメイドさんの姿はなかった。 ・ ・ ・ 夕方4時前。日も沈みかけたその時間、授業は終了し校舎にはほとんど人影がない。 俺はそんな人気のない校舎の中、時間を気にしながら階段を登っていた。 学食で渡されたカードには 「本日夕方4時、屋上にてお待ちしております。 名士 メイ」 と記されていた。それは呼び出しのメッセージカードだったのだ。 正直ホッとしていた。昨日あれだけのことをしてしまったのだ。もう愛想を尽かされて会うことも出来ないんじゃないかと思い始めていたのだ。 ちょっと緊張しつつ、屋上の扉を開ける。 そこには……。 「よく来たわね、竜ヶ崎っ!」 風になびき夕陽を跳ねる金髪が眩しい。腕組みして仁王立ちして屋上の中央に立つのは、 「神無月……?」 見間違えようもない。そこにいたのは神無月 愛奈だった。 何者もその純粋さを奪えないような、そしてその純粋さでどこまでも見通すような瞳。それが今、俺に向けられている。 胸に何かが込み上げてくる。切なく、苦しく、胸を締めつける何か。 これは悲しみなのか怒りなのか、寂しさなのか憂いなのか。そのすべてのようで、でもどれでもないような、様々な何か。 でも、違う。今は違うだろう。そんな想いに囚われている時じゃない。 胸をぐっと握りしめる。シャツがクシャリと皺に歪む。 その痛みを頼りに強引に想いを打ち消す。胸に先輩の姿を描く。その顔は、いつもの笑顔ではなく俺の言葉に泣きそうな顔。 「……名土先輩はいないのか?」 絞り出すように声を出す。しかし、 「いないわ!」 気持ちいいくらい明確な答。そうだった。神無月が悩んだり迷ったりすることはなかった。 本当にそういうところはちっとも変わっていない。惹かれたところだけそのまま。だから……割り切ったはずの心が、振り切ったはずの気持ちが、ざわめいてしまう。 でもそのことは後回しだ。気持ちを無理矢理切り替える。 今はまだ、名土先輩はいない。あの完璧なメイドである名土先輩が時間前にいないというのは珍しい。……ひょっとして怒っていたりするんだろうか。それとも何かあったのか。 なんにしても待つしかない。 屋上の中央に陣取る神無月に居心地の悪いものを感じながら、屋上端へと向かう。 「な、なによ? このあたしがいるっていうのに、無視するつもり!?」 「いや……その……待ち合わせなんだ。すまないけどここで待つ。お前の邪魔にはならないよう、隅っこにいるから」 ため息を吐く。まさか神無月がいるとは。待ち合わせ場所は先輩が決めたことだし、今こっちから連絡を取る手段もないからここで待つしかない。いざ名土先輩が来たときに神無月がからんできたりしたら話がややこしくなりそうだ。そもそもこいつ、なんでこんな時間にここにいるんだろう? まるで俺の事を待ち受けていたみたいに……。 疑問に立ち止まる。あれ? なにかおかしい。 「なあ神無月?」 「なによ?」 「お前、俺が来たとき”よく来たわね”とか言わなかったか?」 「言ったわよ」 憮然とした顔、不機嫌さをまるで隠そうともしない口調で神無月は答える。 ”よく来たわね”なんて言ったらまるで待ちかまえていたみたいだ。 「不思議そうね、竜ヶ崎」 「別に……」 不審気に見つめる俺に、神無月はふふんと不敵な笑みでもって答える。 「気になるのなら……もう一度あんたの持ってるメッセージカードを見て見るといいわ」 なんでこいつカードのことを知ってるんだろう……疑問に思いつつカードを確認する。 しかし何度見たって書いてあることは同じだ。 「本日夕方4時、屋上にてお待ちしております。 名士 メイ」 どう見てもこれは名土先輩の……。 「名前をよく見なさい」 名前……あっ!? 「下の棒が短いっ!? 『名”土” メイ』じゃなくて『名″士″ メイ』っ!?」 でもそれじゃあこれは先輩からの伝言ではないと言うことになのか。いくらなんでも名土先輩がこんな間抜けな間違いをするはずがない。いったいどういうことだ? なんだこの質の悪くてくだらない間違い探しみたいな名前は!? 「なし メイ」とか読めばいいのか!? 「だれだこれーっ!?」 「あたしのペンネーム」 しれっと、そんなことを言いやがった。ペンネーム、だと? じゃあ、じゃあ……! 「ここに俺を呼びだしたのはお前なのか……!?」 「その通りよ!」 こめかみがピクピクと痙攣するのを抑えて問うと、神無月は我が意を得たりとばかりの得意満面に答える。こいつ……人が悩んでいるときにこんなくだらないことをしやがって……! 「いったい何のつもりだっ!」 「あんたにあたしのメイドを見せてあげようと思ったのよ! 来なさい、ニィ!」 神無月の呼びかけは屋上入り口の方に向けたものだった。そちらの方を向けば、入り口脇から歩み出す人影があった。そう言えば昨日名土先輩がお茶やらテーブルやらを持ってきたのもあの辺だった。……メイド学科専用の特殊設備でもあるんじゃないだろうな、あそこ? 影から、夕陽の下へ。 現れたのは意外と小さな人影。聖やひなたより低いその背は多分150センチほどしかないだろう。 でも特徴的なのはその小柄さではなく、髪型だった。まっすぐに降ろせば足までついてしまいそうな長い茶の髪を、二つに結い上げている。いわゆるツインテールという髪型だ。髪の先にはそれぞれ拳大の銀色の球がついている。多分、髪留めか何かなのだろう。 髪型が特徴的なのはそれだけではない。髪は真ん中で分けられていて、その中心手前には二本のくせっ毛がぴょこんと立っている。15センチくらいの長さはありそうなそのくせっ毛は、まるでアリの触覚のようだ。おまけにツインテールの結び目の手前あたりには左右それぞれ三角形の盛り上がりがある。どういうカットでそうなるか分からないが、猫の耳にそっくりだ。その髪型に合わせているのか、腰の辺りから猫のしっぽのアクセサリが見えた。歩くたびに揺れて、本当にしっぽのよう。その先にもツインテールと同様に銀の球のアクセサリがくっついている。そう言えば目も菱形のつり目で猫のようだ。顔は充分にかわいいと言っていいレベル。どこか人なつっこい感じの童顔だった。 着衣は名土先輩とほぼ同じデザインの黒のワンピースにエプロンドレス。ただしスカートの丈は膝を隠すぐらいで、フルスカートだった先輩と比べるとだいぶ短い。ついでに言うと胸のボリュームもだいぶ少ない。神無月といい勝負だった。 とまあ細かに見てみたが、全体の印象を一言で言うと……。 ツインテールネコミミメイド だった。 ……名土先輩も学食で見かけたメイド達も正統派だった。こんなイロモノもいるんだな、メイド学科って……。 「支倉 新実(はせくら にいみ)ですです。通称ニィ。よろしくお願いしますですですっ!」 元気な明るい声で言うと、スカートを軽く持ち上げ会釈。その優雅な動作はさすがメイド学科、堂に入ったものだった。どうでもいいが、”です”を二回言うのも作法の一つなんだろうか? 「どう!? あたしの契約したメイドは!」 ニィと名乗ったメイドの隣まで歩きながら、神無月は言う。 「メイド学科でのランクは”S”。まあランクこそ名土メイには劣るけど、戦闘能力はメイド学科最強なのよっ!」 「そうですですっ! ガチンコなら名土先輩にも負けないですですっ!」 「名土メイみたいになんでも出来る器用貧乏より一芸に秀でたプロフェッショナルがベストなのよっ!」 「照れるですですっ!」 ああ、よくわかった。 神無月はこんなイロモノを見せるためにわざわざ俺を呼びだした、というわけだ。そのために人の貴重な時間を潰してくれたわけだ。この、このバカは……! 思わずキレそうになる。が、昨日それで失敗をやらかしたばかりだ。ぐっと腹の底に怒りを静め、俺は冷静になろうとする。落ち着け、落ち着け。怒ったって何にならない。ひなたも笑顔が大切だと言っていた。こんな下らないことにいちいち心を乱されたって仕方がない。 息を深く吸い、吐く。 「どうやら感心して言葉もないようね!」 両手を腰にあて平らな胸を張って絶好調な神無月。どうやら俺の深呼吸を感嘆のため息と解釈したらしい。……もういい。時間の無駄だ。 「わかった。すごい。じゃあ俺はこれで行く」 出口へ向かって歩き出す。すると神無月は慌てて俺の前に立ちふさがる。 「な、なによそれ!? あたしが契約したメイドをわざわざ見せてあげてるのよっ!? もっと感心しなさいよっ!」 知るかよ……! 口を開いたら叫んでしまいそうだ。俺はぐっとこらえ、神無月の肩に手をかける。 「あ……」 神無月の口から吐息が漏れる。それはこいつにしては珍しい、力も勢いも感じられない女の子っぽい声。 そのことに少し驚きつつ、でも憤りに身体は止まらない。そのままぐっと脇へと押しのける。 力の抜けた神無月の肩は華奢で、細くて……なにより手の中におさまってしまうぐらい小さい。 「ちょ、ちょっと……!」 意外なほど簡単に神無月は押しのけることができた。強引だとは思うものの、このままここにいたら感情が爆発してしまいそうだ。そのまま出口へと向かう。通り過ぎ、背後に残した神無月は何もいわない。が、それも短い間だった。 「わかったわ! あたしのメイドの方がすごいから、うらやましいんでしょっ!? SSSランクとか言ってもしょせん名土メイなんてただのつまらないメイドでしょ? あたしのニィの方がずっといいんだから!」 ただのメイド? ただのつまらないメイドだと!? あんなにメイドであることに一生懸命で、迷う俺に道を示してくれた名土先輩を、ただのメイドだって!? これは聞き捨てならなかった。 「黙れ! なにが『戦闘能力はメイド学科最強』だよっ!? そんなのが名土先輩よりいいもんか!」 神無月に背を向けたまま叫ぶ。……向き合ったら本当にキレてしまいそうだ。 「そう……わかったわ……ニィの凄さを思い知らせてあげる……」 底冷えするような暗く沈んだ声。背筋がぞくりとした。 「ニィ……このバカを、やっちゃいなさい!」 「どこまでやっちゃいますですか?」 「半殺しまでOKよ……!」 「了解ですですっ!」 つき合っていられない。 俺は早足から駆け足へと変え、屋上出口から階段を駆け下りる。 階段を降りる音の中、 「なによ……バカ」 聞こえるはずのない小さく寂しげな呟きが、耳に届いたような気がした。 |
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