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ストレンジのーまるデイズ
第十一話 アパート | イスが引き摺られる音。イスと机のぶつかる音。ぶら下がったカバンを取られ、揺れる机の音。 教室中の机とイスががたがたと騒がしい音を奏でる。 今日の授業の全てを終え、終礼も済んだ教室の喧噪をボンヤリと眺める。 「ねえ、竜ヶ崎……」 遠慮がちな声の方を見れば、こちらを伺うような上目遣いな聖がいた。 結われた元気の象徴である紅いポニーテールも、今はなんだかしっぽを畳んだ犬を思い起こさせる。 そんな聖に、 「すまない。今日はもう帰る」 俺はそう返答することしかできなかった でも、言葉が出たと言うことすら意外にさえ思えた。それくらい、俺は……。 どうしていいのか分からなかった。 ここに転校してきた理由。 神無月の転校をきっかけに自分を見失って、でも自分としてなにかをやりたいと思って、場所を変えて。 でも、神無月は俺の知っていた存在ではなくて。 それで、何を求めていたのか分からなくなった。俺はなんのためにここに来たのか。なにをするつもりだったのか。 わからない。 そのままカバンを取り、教室出る。 喧噪の中、静かに、静かに。ただただ機械的に歩む。昼休み以来、話しかけてくるものはいなかった。 屋上での一件を終えて、教室に戻った。そのときは良かった。もう既に教室には次の授業の教師が来ていて、そんな状況でまでなにかしてこようというやつはいなかった。 しかし昼休み、当然のごとく質問責めにあった。だが、 「保留中」 俺はその一言で返すことしかできなかった。それでどうにか済んだのは、聖がフォローを入れてくれたからだ。 「これは当事者同士の問題なんだから、わたし達がごちゃごちゃ言うのはおかしいわ!」 そんな言葉と物理的な主張(具体的にはハリセン)でどうにかおさめてくれた。そこまでしてくれた聖にこんな風にそっけなくしてしまうのは、ちょっと罪悪感みたいなものを感じてしまう。 でも、そのわずかなひっかかりも、どうでもいいと思ってしまっている。なんだか何もかもが億劫で、そしてどうでも良かった。 拠り所がない。 まるで糸の切れた風船のよう。風に流されてふらふらと漂い、昇っていくけど大して高いところにはいけない。そして最後にはいずれどこともしれない場所にしぼんで落ちてしまう。そんなあやふやで、たよりなくて、行き場のない感じ。 そんな茫洋とした気持ちのまま機械的に手足を動かして通学路を帰る。二日続けて衝撃的な出来事のあった道は印象深くて、そんな状態でも迷うことなく進むことが出来た。 機械的に身体が動いてしまうから、かえって思考に余裕が出来てしまう。あやふやな気持ちの中、とりとめもなく考えが浮かんでは消える。 でも、なにを考えるべきかすら分からない状態では、まともに意味を為す思考すら生まれない。 「これから、どうなさいますか?」 これからどうするか、だって? そうか。まずそれを考えなくてはならないのかも知れない。でも……そんなこと、わからない。 わからないことがあるときは、まずわかることから考える。 そうだ。神無月に追いつこうとがんばっていたときは、まずそうしてとっかかりをつくったっけ。分かることをきっかけに切り込んで、とにかく進む。これからなにをするか。いまわかることは……。 「家に帰って荷物を整理する」 とりあえず現実的な問題はそれだった。引っ越してきてまだ荷物の整理だってできてないんだ。まずは梱包を解いて整理して……。 「そうですか。それなら……よろしければお手伝いさせていただけますか?」 ああ、それは……。 「ありがとう。助かる」 素直に感想を漏らす。すると、隣からほっとした息を感じる。 「はい。お手伝いさせていただきます。でも、お片づけはおなかが空きますよね? 差し支えなければ夕食もご用意させていただきたいと思います。メニューはなにかご希望がございますでしょうか?」 夕食、か。これも現実的な問題で、時間的にもそれほど猶予はない。これまた考えなくちゃいけないことだ。昨日は駅前の牛丼屋で食事を済ませた。今晩もそれでもいいかな、と思うが初っぱなからそんなことをしていてはあっという間に飽きてしまう。これから暮らしていくのだからいきなりパターンが尽きてしまうのは考えものだ。安く手軽に食べられるものはたいてい味の濃い。そうなると今晩はさっぱりした和食系をお願いするのが妥当だろうか。 ようやくまともに考えることが出来るようになった。今までぐるぐるまわってばっかりで進むことのなかった思考がようやくまともな方向に……。 「あれ?」 そこで足を止めた。なんかおかしい。確かに悩んで考えが進まないよりましだけど、なんか全然違うことを考えてしまっているような気がする。 それより、さっきから話しかけてきてるのは誰だ? 不思議に思い立ち止まる。 すると、目の高さを黒が通り過ぎた。それは濡れ羽色の髪。さらさらと揺れるショートカット。 それはすぐに止まる。そしてまるで俺と向き合うことを前提としたかの絶妙な距離で振りかえる。 揺れる黒髪の次に現れたのは対照的に白。白磁のように白く美しい顔に浮かべるのは優雅な微笑。それにふさわしい着衣は黒のロングスカートに白のフリルをあしらったエプロンドレス。 振り向く動作は優美の一言。続く一礼は優雅と言うほかない。 まさに完璧なまでにメイド。 それは、見間違えるはずもない。 「名土先輩っ!?」 そこにいたのは紛れもなく、メイドチャンピオンの名土メイ先輩だった。 まだ日の高い普通の町並みの中、そうであるのが当たり前と言わんばかりにいつも通りのメイド服の名土先輩がいた。 「どうして……」 俺の問いに、名土先輩は手にもったカバンをごそごそとやり出す。旅行用カバンのように大きなそれから取り出されたのはワイシャツだった。意外でも何でもない、なんの変哲もないただのワイシャツ。普通とちょっと違う点をあげるとすれば……クリーニング屋に出したときのようにビニールで包まれ折り目もはっきり付けられ、しかもおろし立てのように真っ白なこと。 新品だと思わなかったのは、それがどことなく見覚えがあったからだ。あれ、待てよこれは……。 「竜ヶ崎様のワイシャツです」 思いだした。昨日、名土先輩と初めて会ったとき。俺は名土先輩にAランチをぶちまけられた。そのとき周りのメイド達によって着替えさせられたのだ。 つまり今名土先輩の手の中にあるのはその着替えた俺のワイシャツだ。 「忘れてた」 いろいろありすぎてそんなことはすっかり忘れてしまっていた。俺のなんにも考えてない解答に、先輩はクスリと上品に笑む。 「これをお返しして、そしてお貸ししたシャツを返して頂きに上がりました」 「でも、俺が借りたシャツは……」 洗濯物は週末にまとめてやればいいやと部屋の隅っこに固めてある。昨日着ていたワイシャツもきっとその中だ。言葉のない俺を、名土先輩は小首を傾げてじっと見る。そんな何気ない仕草にすら気品があった。そうだ、基本的にこの人は綺麗な人なのだ。そんな人に真っ向から見つめられるのだから、なんだか動悸が速まってくる。 言葉を返せない俺の様子を察してくれたのか、名土先輩はこくりと頷く。 「では、お洗濯もさせていただきます……本当のことを言いますと、はじめからそのつもりだったんです。ちゃんと外出許可証も用意してあります」 そう言って先輩が取り出したのは一枚の紙。「メイド学科外出許可証」の表題の下、なんかズラズラと文章が続く。ざっと見た感じ規約事項とかのようだ。一番下には「氏名:名土 メイ」と、そのすぐ横に学校の印が押されている。 「一人暮らしと聞いていましたので、よろしければご夕食も作らせていただきたいと思いまして……」 いいながら指さす先を見れば、そこには「午後8時までに寮に戻ること」との記載がある。そうか、時間的にそれなら夕食を作ってもらって充分に余裕がある……って 「なんで外出許可証なんて必要なんだ?」 「メイド学科は基本的に全寮制です。在学中は学校内でのみの生活となり、外出する際には許可が必要になります」 「なんでメイド学科だけそんなことになってるんだ……」 普通科は俺がこうして登下校しているようにそんな制約はない。それに学生寮もなかったからアパートを選んだ。 同じ学校で学科が別と言うだけで学生寮があってしかも全寮制だなんてなんだか変に思えた。 「メイドは住み込みで働くこともあり、そのための訓練の一環と聞いております」 「じゃ、メイド学科の人は寮から直接学校に行くからこうして登下校することはないのか」 「はい、そのとおりです」 確かに遅刻したとは言え通学路をメイド服で通っている女の子はいなかった。もし全寮制でなかったら、横断歩道をたくさんのメイドさんが渡ったり、道をセーラー服とメイド服が埋め尽くしたりすることだろう。 想像してみた。 ……ちょっと……いや、かなりすごい光景だ。 でも別に登下校にまでメイド服を着ている必要はないよな。で、気がついた。目の前にはメイド服を着た名土先輩がいる。いつもながら完璧な着こなしだった。 完璧なメイドである名土先輩は俺の疑問の視線に小首を傾げ、ゆるやかに微笑む。 「先輩はどうしてメイド服を着ているんだ?」 「どうして、と申されますと?」 名土先輩は何を聞かれているのかさっぱり分からないという様子だった。 「外出するのになんでわざわざメイド服なんだ? それもメイド学科の規約とか?」 「いえ。規約ではありません……私は物心ついたころからメイド服を着ておりました。これが制服であり、普段着であるとも言えます」 「普段着?」 「はい。眠るとき以外はメイド服を着ています。他の服ですと、まるで何も着ていないように思えて、落ち着かないくらいです。それに似合わないと思いますし……そんなはしたない姿で竜ヶ崎様の前に立つことなど出来ません」 これはなんて言ったらいいんだろう。メイド服依存症? とても変な字面なのにピッタリハマってしまいそうなのが嫌な感じだった。 それに”はしたない”なんて言うけれど、先輩ほどのプロポーションと美貌だったら何を着ても似合いそうだ。ちょっとした普通の服でも、街を歩けば10人中9人ぐらい振り返ってもおかしくないと思う。ちなみに今は10人中10人が振り返りそうだ。実際メイド服は目立つ。 「それにこれから竜ヶ崎様にご奉仕するために伺うのですから、仕事着であるメイド服を着ていくのは当然というものです」 「いやそーじゃなくて俺の家に来ることは確定なのかっ!?」 「竜ヶ崎様にお貸ししたワイシャツは本日返却せねばならないのです」 「そんな融通の利かない……もし返し損ねたらどうなるんだ?」 「私のミスが元でお貸ししたものです。私が注意を受けることになります」 「う……」 言葉に詰まってしまう。昨日の事件は俺が原因ではあるわけだ。それで名土先輩の完璧な経歴を傷つけてしまうとなれば責任を感じてしまう。特に、かつて神無月に追いつくために成績を気にしていた俺にとって、それは気になることだった。 そんな俺を、先輩は聖母のような慈しむ瞳でじっと見つめる。 「ご心配には及びません。SSSランクのメイドはである私は積み上げてきた信頼があります。『以後注意するように』の一言で済んでしまいます」 「なんだ、それなら……」 「そうなのです。叱ってはいただけないのです」 あれ? なんか今会話がかみ合っていないような気がする。それに、先輩の様子が変わったような……。 先輩の声も心なしか今まで俺のことを気遣うような優しい調子ではなく、なんだか語調が強くて勢いがある。そう感じるのは視線がなにかを強く求めるようなものに変わったせいかもしれない。 その様子は、欲望というか、欲情というか。変わらず気品のある顔つきなのに、なぜかそんな暗いものを感じさせる。 なにかまずい予感がしてきた。ひどく、やばい感覚。 俺の不安をよそに先輩は一人盛り上がる。 「注意のひとことで済んでしまうんです。メイド学科でやっとやっと……初めて叱られるのがそんな注意一言なんて! それだけなんて! 夢にまで見た状況なのに、たったの一言で済まされたりしたら、私、私……」 先輩はぐっと自らの身を抱きしめる。その身は震え、瞳は潤み、頬はバラ色に染まる。未来に訪れるであろう失望に震えるその様子は、なぜか何かを待ち望んでいるかのような矛盾を同時に感じさせる。 そして不可解なのは、その先輩の姿になぜか得体の知れない、とろけそうな色香を感じてしまっていることだ。 なんかこの人……またおかしくなった。 なんだろう。「叱られることでより完璧なメイドになりたい」とか言ってたけど、これはその情熱の現れなんだろうか? それは先輩にとって身を打ち震わす程の強い感情なのかも知れない。 ……なにか根本的に勘違いをしているような気がする。情熱のひとことではこの、なんて言うか……先輩が漂わせている、ため息一つも桃色に見える色っぽさの説明にはならない。じゃあこれは俺の錯覚なのか。美人でプロポーションの良い先輩が瞳を潤ませて頬染めて、震えてる姿に俺が妙な想像をしてしまう為なのか。どうなのだろう。とにかく今の先輩を見ていることは精神衛生上良くないって言うか……。 「竜ヶ崎様……!」 「は、はい?」 思考の最中、名を呼ばれて驚いてしまう。タイミングが予想外だったと言うだけではなく、先輩の声には聞くものをはっとさせるほど切迫した響きがあった。 「それとも竜ヶ崎様が私のことを叱ってくださるのですか?」 「……え?」 「私のことをきつくきつく、叱ってくださいますか?」 「なんで……?」 先輩は切なく問いかけてくる。が、俺は混乱するばかりだ。そもそも会話がまともに繋がっていないような気がする。 「お、俺が先輩を叱る理由なんてないだろ?」 「……そうですか……」 肩を落とし、がっかりしたように先輩はため息を吐く。先輩の中でどんな葛藤がありどんな思考の流れがあったのかは分からないが……その表情は真剣にして見るものを安心させる余裕をまとった、模範的なメイドのそれに変わっていた。 「それでしたら、やはり……ワイシャツは本日これから取りに伺わせていただきます」 有無を言わさぬ口調でそう言うと、先輩はくるりと俺に背を見せる。そして歩き出す先は帰り道、俺のアパートのほう。 「な、なんでそういうことになるんだっ?」 「だって、叱ってくださらないのでしょう?」 なんだか拗ねたようにそんなことを言う。 俺はなにか間違ったことをしたのだろうか? 不安になって声をかけようとすると、まるでそのタイミングに合わせたかのように先輩は立ち止まりふりむく。目の前に現れたのは、弾けるような笑顔。疑問の言葉を失わせるに充分な明るい笑顔だった。 「それに、私はメイドとしての自分を竜ヶ崎様にアピールしたいのです。やはりメイドがその真価を発揮できるのは家事です。ご家庭でならきっと私の力をもっとよくおわかりになっていただけると思います」 晴れやかに言う。 その様子に今さらながらに思う。 この人って、けっこう強引だよな、と。 説得はあきらめて、俺は家へと帰る道を進むのだった。 ・ ・ ・ 「竜ヶ崎様……!」 結局勢いに負けて連れてきた俺のアパート。 ドアを開いての第一声は、強敵を前にした戦士のような迫力があった。 「まだ本当に全然まったくことごとく片づいていないのですね……!」 先輩がずいぶん強調していってくれているように、たしかに荷物はほとんど片づけていない。取り出したのは当座必要な服や下着ぐらい。あとは朝食用のトースターが畳敷きの上に直に置かれていたり、家から運んできた本棚に勉強机が配置されている。それぐらいで他の荷物は全てダンボールの中に梱包されている。 でも、片づいていないっていうと違うような気がする。玄関に入ってすぐに台所、二歩踏み込めば唯一の部屋に入る手狭なこのアパートの一室では、むしろ余計なものが配置されていなくてすっきりしているとも言える。いや、確かに一部中途半端に開けたダンボールから中がはみ出したりしてたりもするのだが。 とにかく。先輩にとっては相当ちらかって見えるらしい。 「どうか、どうか……私に片づけをさせてはいただけないでしょうか!?」 ぐっ、と俺の両手を取り名土先輩は懇願してくる。熱い。なんて熱い視線だ。瞳の奥では炎が燃えているどころか太陽でもおさまっていそうな苛烈なまでの熱さ。そんな顔をぐっと近づけられて、俺は火にあぶられているような錯覚を感じた。 「この部屋の惨状を目の当たりにして、メイドとしての使命感に火が点きました! もうこの炎はこの惨状を焼き尽くすまでおさまりませんっ!」 「惨状って……」 しかも焼き尽くすとは過激な。 「ぜひぜひぜひ! お片づけをさせてくださいっ!」 強く強く強く、先輩は言う。その強さは俺の両手を握る細い指にも及んで……って、手がビキビキと音を立てているっ!? やばい、痛い、骨がデンジャー!? なんでこの人見かけによらずこんなに力強いんだっ! ピンチマイハンド! 「わかった! 任せる任せるっ!」 悲鳴のような返答に、 「はいっ!」 雲一つない青空のように澄んだ声と子供のような純粋な笑みで先輩は答える。 それも一瞬、先輩は部屋の中に一気に踏み込む。かなり速く激しい動きに思えたのにほとんど音はせず、しかも玄関にはいつ脱いだのか先輩の靴がきちんと並んで置かれている。 「一時間で片づけて見せますっ! 竜ヶ崎様は外で時間を潰して来てくださいっ!!」 ものすごい勢いで梱包を解く先輩を見ながら、パタンとドアを閉める。 すげえ。これがメイドか。メイドチャンピオンというものなのか。仕事に対する一途なまでの情熱。それは、素直に……うらやましいと思った。 ……俺は迷ってばっかりだ。 去年までは神無月を目標にがんばった。なんの疑問も持たずに、ただただがんばった。しかし神無月がいなくなった途端に俺はどうしていいか分からなくなった。迷ってばかりで何も出来なくて、ようやく自分で歩もうと転校した。でも自分の行くべき先も決まらず、ふらふらとしていて、そしてまた道を見失ってしまった。 先輩はちょっと変なところはあるけれど、自分の進むべき道をしっかりと自覚してそのために全力でがんばっている。それは本当にすごいことだと思うし、うらやましいとさえ思ってしまう。 なんてちょっと考えにふけっていると、なにかひそひそとした話し声が聞こえてきた。ふと、声の聞こえてきた方、アパートの階段のを見ると、階下に主婦らしきおばさん二人がなにやらこっちを伺いつつ話している。が、俺の視線に気づくとさっと行ってしまった。 よくよく考えてみると、メイド連れで帰るとこ近所の人に見られてるんだよな……メイド服って目立つよなあ……。 うああ!? なんか余計な悩みが増えたようなっ!? ……俺は迷って、そして悩んでばっかりだ。 なんか転校してきてから変な悩みばっかりのような気がするが。 ため息を吐きながら、1時間を潰すべくコンクリの階段を下るのだった。 ・ ・ ・ コンビニで立ち読みしたり、ぶらぶらと適当に店を見て回ったり。ぼんやりとすごした一時間は、長いようででもやっぱり短かった。 我ながら律儀なことに、名土先輩に言われた時間どおりに戻ってくる。 部屋に近づくにつれ、トントンというリズミカルなだけど落ち着く音がする。聞き覚えがある。これは包丁がまな板を打つ音だ。そして今まで動かした覚えのない換気扇が回っている。 ドアを開けようとして……でもいきなり開けると驚くと思い、鉄製のドア脇にある呼び鈴のボタンを押す。ピンポーンと月並みな音がする。そういえばこの音を聞くのは初めてだ。 「はーいっ」 ドアの鍵を開くガチャガチャという音のあと、扉が開く。 そこにいたのはもちろん、バッチリメイド服を着込んだ名土先輩だ。 「お帰りなさいませ」 「あ、ああ。ただいま」 折り目正しい一礼に、慌てて俺も頭を下げる。 「あ、竜ヶ崎様。顔をお上げ下さい。主に頭を下げられては、メイドは困ってしまいます」 そういうものか、と頭を上げると、少し遅れて名土先輩も顔を上げる。困ったように眉を寄せ、でもゆったりとした落ち着きのある微笑みを浮かべている。 その微笑みは、妙にはまっていた。まだ入居したばかりで生活感に欠け、しかもどちらかと言えば安っぽいアパートの一室。そのなかにある上品で優雅で、でも安らぎを与える名土先輩のメイドとしての微笑みは、まるで何年も前からこのアパートで働いていたかのような落ち着いた暖かみがあった。 って、そもそもその考えはおかしい。こんな安アパートに先輩みたいなメイドがいるなんてありえないはずなのだ。でもそんな当たり前のことがすぐに思いつかないぐらい先輩はこの部屋にはまっていた。 戸惑う俺に、先輩は首を傾げ微笑を微苦笑に変える。対する俺はどんな顔をしていいか分からなくて、とりあえず苦笑でこたえる。 先輩の醸し出す落ち着いた雰囲気の中、なぜか反発してしまう俺。どこかじれったいように思えて、話題を変えようと部屋の中を覗き込む。 そこでまた言葉を失いそうになる。 「ほんとに片づいている……」 それだけをどうにか口にする。 部屋はすっかり片づいていた。まずダンボールが一つもない。玄関から、おいてあっただけの本棚はきちんと本がおさまり、机にも使いやすいように教科書が配されているのが見えた。 その光景に引き込まれるようにクツを脱ぎ、部屋に上がる。 まず机。引き出しを開けてみると文房具などが使いやすいようにきちんと仕分けされおさまっている。ネット用のノートPCも使いやすく邪魔にならないよう配置されていた。 本棚の方を見ればジャンル別に分かり易く本がおさまっている。参考書が多いのは去年まで勉強に燃えていたせいだ。 押入を開けば買うだけ買っておいた収納棚にはちゃんと服がおさまっている。 どれもこれも、およそ理想通り。「こんなふうにできたらいいな、でも無理だろうな」という理想が、現実として目の前にあった。 「先輩!」 玄関の方を見ると、俺が脱ぎ散らかしたクツを直すためかがんでいる先輩がいた。 先輩は呼びかけにゆっくりと立ち上がる。 「とりあえずこのように荷物を整理させていただきました。もしご不満な点がありましたら直させていただきますが、いかがでしょうか?」 その問いにようやく気づく。俺はまだ出会って一日ほどしか経っていない人に自分の荷物の全てをあずけてしまったわけだ。今さらながらその不用心さに嫌になるが、しかしこの完璧な仕事ぶりを見てしまってはそれも間違っていなかったとさえ思えてしまう。 しかもこれを、たった一人で、それも一時間という短時間でこなしてしまうなんて……。 「文句なんてない……完璧だ……」 呆然と呟く。 その言葉に、 「ありがとうございます」 笑顔と、礼。賞賛に対し優雅に名土先輩は答える。その声にはできて当然という過剰な自負はない。その仕草にはやるのが当たり前という義務感は感じられない。ただひたむきな真摯さだけが伝わってきた。 屋上での一件もたいがいすごかったがこれもまた驚きだった。 ふと、いい匂いが鼻をくすぐる。 台所の方を見ると、なにかがコンロの上で煮立てられている。 「時間が余りましたので、勝手とは思いましたがお夕飯を作り始めてしまいました。お洗濯もはじめさせていただいています」 言われてみれば、洗面所の方から洗濯機の音が聞こえる。 「でも、材料は?」 冷蔵庫はとりあえず電源だけは入れていたものの、トースト用のジャムとマーガリンぐらいしか入れていなかったはずだ。 「持参してきました」 「え? そんな……」 言いつつ、キッチン脇の冷蔵庫を開けてみる。 今まで空っぽに近かったそこは肉やら野菜やらキッチリ整頓されておさまっていた。 「こんなに……」 「大丈夫です。すべて経費でまかないました」 「経費……?」 振り向くと、先輩は胸の前に一枚の紙を出した。それはさっき見た「外出許可証」に似た形式の紙。だが、複写式の紙になっていて、なにより違うのはその表題が、 「ご主人様契約書?」 名土先輩はコックリと頷く。 「私は現在の所、学生のメイドです。ですから竜ヶ崎様にご奉仕できるのは、朝学校に来てから家に帰るまでだけです」 「学校内だけじゃないのか?」 「家に帰るまでがご主人様です」 なんだかよくわからないが自信に満ちた言葉だった。 「ですので今回は外出許可証を申請しての特例です。毎日は出来ません。ですが……きちんと契約を結べば、SSSランクのメイドである私はこのようにご主人様のご家庭に訪問して、毎日ご奉仕することが可能です。必要に応じて学校からある程度の資金援助を受けることも出来ます」 そして、先輩は「ご主人様契約書」の下の方を指さす。そこには氏名の記入欄が2箇所あり、下の方は既に「名土 メイ」と書かれ捺印がされている。上の方は空欄だ。 「ここに竜ヶ崎様のお名前を書いていただいて、学校に提出すればそれで契約は成立です。晴れて竜ヶ崎様は私のご主人様になることが出来ます」 なにもかも準備されたかのような名土先輩の言葉に苦笑する。 「まるでなんかのセールスみたいだな……」 「お忘れですか? 私はメイドとしての自分をアピールするためにこうしてここにいるのですよ?」 ごまかすように言う俺に、名土先輩は真っ直ぐに答える。 「竜ヶ崎様……わたしのご主人様になっていただけますか……?」 ひたむきで、真っ直ぐな視線。 でも、だめだ。そんなに迷いなく真っ直ぐに問いかけられたら、ごまかすことが出来ない。 本当に、今思っていることを言うしかないじゃないか。 「だめだ……なれない……」 視線を逸らし、かすれるような声で……俺は呟く。 でも、それじゃ足りない。ひたむきに問いかけてくる名土先輩になにも届かないように思える。 だから、俺は名土先輩の方を向く。必死に弱くなろうとする気持ちを押さえて、先輩を真っ直ぐに見る。 「俺は、先輩のご主人様にはなれない……!」 今度はハッキリと答えた。 また泣かせてしまうかも知れない。しかし、予想に反して先輩の顔は落ち着いた表情だった。 「先輩……?」 「今朝言いまししたよね? 『一流のメイドは、ご主人様のことをいつでも想い深く理解し、ご主人様のお望みをすぐに叶えられるようあらかじめ準備を怠らない』。朝、竜ヶ崎様のお話しを聞き……私はより真剣にそのことを考えていました。ですから、いま断られることはわかっていました」 静かに、でも少しだけ寂しそうに、先輩は言う。 「ですが、未熟な私ではまだ竜ヶ崎様の全てを知ることは出来ません。話してくださいますか? なぜ今ご主人様になっていただけないのか?」 どうして、か。 それは自分でもよく分からない。だから考えをまとめるつもりで、いま思っていることを外に出していこうと思った。 「まず……名土先輩が俺のメイドになってくれたらすごくありがたいと思う。今、なにしていいかわからなくて……そんなとき、だれか寄りかかれる人がいたら楽だと思う。でも、それじゃダメなんだと思う。今寄りかかってしまったら、俺は一人で歩く事なんて出来なくなってしまうかも知れない」 そこで一息つく。 先輩はただじっと耳を傾けてくれる。そのことに安堵感を覚え、俺はぐちゃぐちゃに混乱する気持ちをどうにか落ち着けて話を続ける。 「それに、俺は今迷っている」 まず、それがあった。 「今まで目標だと思っていたものが全然違っていたみたいで、それでどうしていいかわからず迷っている。迷って、進めなくて……」 「ですが、私はそうして悩みながらより高みを目指そうとする竜ヶ崎様にお仕えしたいのです」 「でも今の俺には目指すべき高みすら見えない! そんな情けないヤツが、ご主人様なんてたいそうなものになれるわけないだろっ!?」 沈黙が降りる。部屋を占めるのはコトコトという鍋の音と、ブーンという冷蔵庫の音、洗濯機のごとごと言う音。そんな無機質な音ばかり。 自分がこんなダメなヤツだとは思わなかった。今まで、神無月を追いかけていた頃は気づかなかった。俺をかばってくれた聖にも、手をさしのべてくれる名土先輩にも何も返すことができない。自分で歩もうとする俺は、こんなにもなにもできない、情けないヤツなんだ。 どうしようもない沈黙のなか、名土先輩が動く。 コンロの火を止める。鍋の音が少しずつ静かになる。 そして背を向けたまま、先輩は、 「竜ヶ崎様はまじめな方ですね」 「なっ……」 いきなり予想外の言葉を放った。こんなダメな俺が、真面目? 「お、俺のどこが……」 「まず、私の申し出を真剣に受け止めてくださいます。断るなり受け入れるなり、普通はそれほど悩むことではありません。もし私のアピールをしつこいと感じるのであれば、一時的に受け入れてそれから断るということもできるはずですが、竜ヶ崎様はそれをしません」 「それは……そんな方法気がつかなかっただけだ!」 「だから真面目なのです。いい加減に出来ないと言うことは、真面目だと言うことなのです」 そして先輩はこちらに向き直る。表情はない。夜の泉のような、深い色をたたえた瞳。それをじっと俺に向ける。 「そして、高潔な方だと思います」 続く言葉は、またしても予想外のものだった。 絶句する俺に、先輩は静かに言葉を続ける。 「辛いとき、人は簡単に救いの手にすがってしまいます。ですが竜ヶ崎様は私という救いにすがろうとはしません」 「それは先輩があんまり立派すぎるから……」 「普通の人は、そんなことを気にしません。『おぼれるものは藁をもつかむ』ということわざはご存知ですか? 辛いときは自分のことしか考えられないものです。ですが竜ヶ崎様は違います。どんな状況でも自分と相手の領域をわきまえて尊ぶ……それが高潔ということだと思います」 そして、名土先輩は微笑む。満ち足りた暖かい、でも見る者の胸を熱くする……そんな励まされるような微笑み。 「私は、あなたをご主人様に選んで良かったと思います」 それは、ひどくありがたい言葉だった。泣きそうなほどありがたい言葉。でも……でも、だからこそ、辛い。 「でも俺は悩んで立ち止まっていて……」 「悩んでいるから進めない、と?」 うなずく俺に、名土先輩はいたずらっぽく微笑む。 「どうして進めないと思うのですか?」 「そりゃ、進む方向もみえなけりゃどうしようもないじゃないか?」 「なにをおっしゃってるんですか。あなたは悩みながら進むことの出来る人です。進む方向が見つからないのであれば……どこに行けばいいか探すために、まず歩き出せばいいではありませんか」 「それは……詭弁だ」 実際に、例えば砂漠の真ん中にいきなり置かれて、見渡す限り同じ景色だったらきっと進む事なんて出来ない。どこへ進んでも危ないのなら、動かず助けを待った方がまだ生存確率は高いだろう。 しかし名土先輩はまったく変わらない調子で話を続ける。 「普通ならそうかもしれません。ですが、竜ヶ崎様に限っては違います。あなたはそれが出来る人のはずです」 「どうしてそう思うんだ?」 「だって……竜ヶ崎様は進む方向がわからないままに転校したのでしょう? そして私に自分を示してくださいました。あなたはちゃんと自分があります。自分そのものをコンパスにして進めるはずです」 かつて俺は神無月の後を追うことばかり考えていた。 でも俺はあいつとは違う方に進もうと考えている。そうだ、進もうと考えているんだ。別に同じ方に行こうというわけじゃない。その一歩を、もう踏み出したんだ。今さら神無月がどんなヤツだったかなんて関係ない。そんなことで混乱してどうするんだ。 まずは、進む。一歩でもいいから踏み出す。どこへ進むかはそれから考えればいい。一歩目が間違っていたら歩きなおせばいい。倒れるまでそれを続ければいい。目的地がわかっていたって、一度も迷わず遠回りもせずたどりつけるわけがない。悩んで、でも進むんだ。それだけのことなんだ。 そして俺はそれを始めたばかりだったんだ。 なんだ、俺はなにを暗くなっていたんだ。くだらない。 「先輩、ムチャクチャなこと言ってるよな」 思ったより明るい声が出た。それを先輩は明るい顔で受け止める。 「竜ヶ崎様が、ムチャをなさる方ですから。メイドとしてもムチャをしなくてはなりません」 「ははっ」 「ふふっ」 そして、二人して笑う。なんだかひどく気恥ずかしくて、でも嬉しくて。こんな気持ちがあるんだな、なんてへんなことを思って。 気持ちが軽くなった。ほんと、この二日間は重くなったり軽くなったりめまぐるしい。 ひとしきり笑って……。 「先輩……あとでその『ご主人様契約書』に名前を書かせてもらうよ」 「竜ヶ崎様っ……!」 「あ、でも料理の途中だったんだろ? 先輩の手料理、楽しみにしてるよ。面倒なことは、その後にしよう」 「はいっ!」 一声元気に答えて、名土先輩は料理に取りかかった。 とても穏やかで安らいだ気持ちだった。 そこでふと。視界の隅にへんなものが映った。 それはキッチン脇、折り畳まれたダンボールの脇に置かれた、まだ畳まれていないダンボールが二つ。 「あれ、先輩? まだ開けてないダンボールがあるのか?」 「いえ、それは……」 なんだろう。そのダンボールを見ていると、落ち着いたはずの気持ちがひどくざわめいてくる。 俺は吸い寄せられるようにその箱へと近づいていった。 心のどこかが警告を発している。見なければならない。でも、見てはならない。そんな矛盾した警告が頭の中に鳴り響く。 ダンボールの前にしゃがみ込み、開く。ガムテープで封はされていなかった。 名土先輩がなにか言っているようだが、どこか遠い。 中にあったのは切り刻まれた紙、紙、紙。細く細かく切られた紙は、小さすぎてなんだか分からないはずだ。だが俺は悟った。それは何度も見たものだから、感覚で理解した。 「名土先輩……あなたは、『開封厳禁』と書いておいたダンボールを……開けたね……?」 「え、ええ。すべての荷物を整理することで竜ヶ崎様のお役に立ちたく……」 「開けて、中をどうした……?」 「しょ……処分しました。それが……?」 ああ、処分か。こんなに執拗に細かく切り刻んだのを、処分、と。その一言で言うのか……。 「ここに入っていたのは、何だ?」 「え?」 「言って見ろ」 「どうしても言わなくてはいけませんか?」 「言え」 「……わかりました。竜ヶ崎様のご命令なら従います。その、え……」 「え!?」 「え……えっちな本が……入っていました……」 か細い声で先輩は答える。何を言っている。違う、違う、違う……! 「違うっ!」 立ち上がり、叫ぶ! 「ここに入っていたのは俺の夢と希望っ! 心のオアシスだっ!!」 引っ越しの荷物になるから余分なものは捨てなければらなかった。あまり多くては怪しまれるだろう。だから選びに選んだ魂のベストセレクション。一人暮らしになってようやく家族の目を気にすることなく見ることが出来ると信じていた希望の未来。それが、それが今……ただの紙くず……ただの紙くずにっ! 「名土っ!」 「は、はいっ!」 「そこ座れっ!」 「こ、ここですか?」 戸惑う視線の行く先は足下。そこは板の間だ。だがそんなことは関係ない。 「そこっ! 正座っ!」 「はいっ!」 剣幕に慌てて名土先輩は座る。命令通り正座。 そして、不安そうに俺のことを見上げる。 「あ、あの……竜ヶ崎様? 急にどうされたのですか?」 「なんであんなことをした……?」 「も、もちろん竜ヶ崎様のためです。年頃の男性であれば仕方ないかも知れませんが、あんなものを持っていてはいけません。良くないことです」 「だからって人の物勝手に切り刻んでいいと思ってるのかっ!?」 「たしかに強引な処置だったことは認めます。ですが、長い目で見ればきっと分かっていただけます。私が正しかったと言うことを……」 「分かるなんてありえないっ!」 「いえあの……」 「ありえないっ!」 俺の剣幕に名土先輩は押し黙る。しゅんとなるその様子にちょっとだけ溜飲が下が……らないっ! 「あの、これから……叱ってくださるんですか……?」 潤む瞳で、紅く染めた頬で。すがるように見上げ、名土先輩は問いかける。 俺はそんな名土先輩に笑みを向ける。怒りが強すぎて、顔が野太い笑みを刻んでしまうのだ。 「叱る、だと? これはそんなもんじゃないっ! これは……断罪だ!」 「ああっ……」 いつものように、身体をかき抱き震える名土先輩。 ふるふると震える体に伴い、頭のフリルのカチューシャもまた震える。 「いいかっ!? 正しいことが正しいとは限らないんだっ!」 「そんな……意味が分かりません……!」 「ああ分からないだろうな、お前みたいなダメイドにはっ!」 「ダメイド……!」 「ああ、お前はダメイドだっ!」 「ダメイド……ああ、ダメイド……」 名土先輩のふるえが一際強くなり、ピクンと跳ねる。 身体の内側からわき起こるその震えに耐えるように先輩は身体を強く抱き、俯いてしまう。 「下を向くんじゃないっ!」 「は、はいっ……!」 今にも泣き出しそうな瞳。頬はバラ色に染まり、その紅は耳まで染め上げる。息も切なく荒い。いつもならそんな様子を見たらかわいそうに思ってしまうが、今回はそんなことでおさまらない。 俺は思いきり先輩を睨みつけ問いかける。 「なんでこんなことをした?」 「で、ですから先ほど申し上げたように竜ヶ崎様のために……」 「人のためだったら何をしてもいいって言うのか……犯罪も犯すって言うのか……?」 「そんな……そんなことしません……」 「知らないなら教えてやるよ。人の物勝手に捨てるのは犯罪なんだよっ! お前はもう犯罪を犯している……! それも人の心を踏みにじる、最低の犯罪だっ! そんなこともわからないからダメイドだって言うんだっ!」 「あああっ……!」 また一つ大きく震え、しかしそれでおさまらないのかピクンピクンと数度、小さく震える。それでも先輩は俺の言いつけ通り、いつものように俯いたりしない。 その愚直なまでの従順さが今は勘にさわる。 「申し訳ありません竜ヶ崎様……今後はこんな事はしません……」 「今後? この後があると思ってるのか?」 「ですが契約を結んだら……」 「あんなものはなしだ、なしっ!」 「そんなっ……!」 「当たり前だろっ!」 「う、あ……あ……!」 その言葉が辛かったのか、先輩は身体を折る。しかし俺の言いつけを守ろうというのか、顔を俺に向けるのだけはやめない。 それが辛いのか、はあはあと息をさらに荒くする。身体を抱く腕もまた震え、強く抱きしめているためその大きな胸も歪み、そして身体のふるえに波打ち揺れる。 極めて有害な光景だった。 いや、そんな色香に惑わされてはいけない。この怒りはちゃんと示さなくてはならない。 どうしよう。この憤り、ただの言葉じゃ言い表せない。なにか、なにか、なにか。なにかないか? ひらめけ、俺! 「お前何か俺のメイドじゃない。もちろん普通のメイドでもない。ダメ過ぎてダメイドと呼ぶにも値しない……!」 「あ……ああ……んんぅっ……!」 「この……この……名土ダメイドっ!」 ああ、なんかひどくバカっぽい言葉が出た。名土ダメイド。ひねりも何もない、くだらない言葉。 あんまりバカバカし過ぎるせいか名土先輩もきょとんとしている。 だが、先輩は数呼吸おいて、一転して髪を振り乱して抗議してくる。 「そんな! これは私個人のミスです! そんな、そんな……名土家の家名をおとしめるような呼び方はやめてくださいっ!」 ああ、そういう解釈をしたのか。それは……おもしろい。 「いいや、お前は名土ダメイドだ」 「……ひどい……ひどい……!」 遂に名土先輩の目から一筋の涙がこぼれる。 泣かせてしまった。その涙が、ひどく、ひどく……加虐心をそそった。 「名土ダメイドっ!」 「ああっ……ひどい……やめてください……!」 名土先輩は身体を抱く手解き両耳を塞ぐ。俺はその手を掴んでひらき、名土先輩の耳へと口元を近づける。 そして、残酷に囁く。 「名土ダメイド」 「いや……やめて……やめてぇ……!」 そして耳元から顔を離すと、名土先輩と正面から向き合う。 その顔は絶望に染まっている。いやいやと顔を背けるが、もともと正座なんていう動きにくい姿勢に両手まで掴まれている。逃げようがない。 そして、真正面至近距離から大声で言ってやる。 「名土ダメイドっ!」 「ああーーーーーっ!!」 よほどショックだったのか、名土先輩は身体をピンと張り、ぶるぶると震える。 そして急に身体中の力を抜いて後ろに倒れ込んでしまう。 「わわっ!?」 倒れる動きがあんまり急だったので巻き込まれる。 結果、俺は名土先輩にのしかかる形で床に倒れ込んでしまった。 「ああ、だめ……だめ……だめだめだめだめぇ……とんじゃう……こんなの凄すぎて……私……私ぃ……」 なんかうわごとみたいに呟いている。……どうしてこの人いつもこうなっちゃんだろう。それに俺もキレていたとは言えなんでこんなに……! いや、そんな我を取り戻してる場合じゃなくて……。 体勢として、俺は今名土先輩を押し倒してしまっている状態だ。 名土先輩のからだはひどく柔らかくて、熱くて、いい匂いがした。 ときおりピクンピクンと震えるその柔らかい感触がとてもやばい。やばいやばいやばいやばい……! ガチャ 「あれ、開いてる……?」 ドアの開く音と、聞き慣れた声。慌てて起きあがって振りかえれば、そこには紅いポニーテールに白いリボン。 聖だ。 「一時間目に配られたプリント。別に明日でもいいかと思ったんだけど、さ。なんていうかちょっとぐらいは心配したって言うか、ねえ?」 ……どうして俺はちゃんと鍵を閉めなかったんだーっ!? そしてこいつはどうして呼び鈴を鳴らす前にドアを開けるーっ!? 俺の心の中の抗議もこうなってしまっては意味がない。聖ははにかんだような笑顔を向け、そして……固まった。 俺は何も言えない。名土先輩は俺の下にいて、おまけに……。 「竜ヶ崎様ぁ……ひどい……こんなひどい……もう……ごめんなさい……もう許してくださぁい……こんな……きついの……だめ……だめなんですぅ……」 何か知らないけど悩ましげな声で得体の知れないことを喘いでいる。 なにをどう誤解されるかハッキリ分かってしまうのが悲しかった。 聖は固まった笑顔のまま、手だけは柔らかい動きで鉄の扉をなぞった。 その手の中に、忽然とハリセンが現れた。 「……マテ」 「母さんが言っていたわ。こう言うとき男が文句言うのは情けない。だから相手が口を挟む間もなくとどめを刺せと……」 「いやだから話を……」 「このすけべーっ!」 スパァアン! 一呼吸も間もなく迫りそして放たれた聖の一撃は、意識を根こそぎ刈り取ってしまいそうな衝撃だった。 しかし、俺は踏みとどまった。そして立ち上がる。 「うるせーっ! 俺はスケベだっ! スケベなんだよっ! だからキレてるんだーっ! こんちくしょーっ!」 「わーっ、竜ヶ崎が壊れたーっ!?」 「うがーっ!」 結局キレた俺は一撃では止まらず、何度も聖に叩かれ気絶したらしい。 目を覚ますと布団の中にいて、時刻は夜9時を回っていた。机の上にはラップをかけられた食事と紙が二束。 一つは名土先輩の詫び状、もう一つは聖の書き置きと、学校のプリント。 聖の書き置きには、 「もっと真面目に生きなさい」 とか書いてあった。 悩んで止まるのは俺らしくないし、止まれるような状況じゃないらしい。 なんかそういう問題じゃないような気がしたが、そう思うことにして、今日は早めに寝ることにした。 |
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