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まただ。 また俺は橘にはめられた。 あいつは昨日、俺は自分では何もしていないと言った。 それなのにまた自分のお膳立てした状況に俺を巻き込んでいる。 そんなのはまっぴらだ。 でも、そう思いながらも俺はまったく動けなかった。 目の前に光音がいる。 ただそれだけのことに、俺は感動してしまっていた。 視界がぼやける。 なんだか泣きそうだ。 息をするのが苦しい。 胸がいっぱいだ。 知らなかった。 こんなに……こんなにアイツのことが愛おしいなんて。 一歩。 足が出た。 今まで迷って踏み出せなかった一歩が、簡単にでた。 止まってなんかいられない。光音が目の前にいる。もう橘が用意した状況だなんてことは関係ない。 あいつは好きにやればいい。俺だって好きにやる。 たとえ人のつくった道だろうと、歩むのは俺の足だ。だったら、俺の道に出来るはずだ。進む方に道がなければ、俺が歩いて道にする。 一歩一歩、確実に進む。今まで歩くことを避けていた道。それどころか目を逸らし、見ることすらしなかった道。それを、歩む。 やがて……俺は光音の目の前にたどり着いた。 背の低い幼なじみは、いつもと同じように見下ろす位置にいた。 肩まで計ったように切りそろえられた、艶やかな黒髪。 大きな黒い瞳。抜けるように白い、透き通った肌。ふっくらした頬は、緊張のためかわずかに紅く染まっている。 ああ、光音がいる。目の前に、光音がいる。こんなに近くに光音がいる。 でも……。でも、遠く感じる。感じてしまう。 光音も動かない。動こうとしない。 俺とは話すのも嫌なのだろうか? いや、光音はもともと無口だ。 でも本当はこの場からすぐに逃げ出したいのかも知れない。ただ、サイレント・フェスティバルの結果発表という状況のせいでそれが出来ないだけかも知れない。 光音はじっと俺のことを見つめている。表情の少ない光音の顔。でも、どこか悲しげに見えた。それが俺の胸を締め付ける。苦しい。 何を言えばいい? 何を言えばいいんだ? 頭が回らない。頭の中のいくつもの言葉がぐるぐると周り、口まで行かない。外に届かない。 でも、なんだかこの状況は何かを思い出させた。 なんだろう、この感じは。どこかなつかしい。 答が出るより早く、身体が自然に動いた。 俺は、光音の眼前に手を差し出していた。 そしてようやく思い出した。 これは光音と初めて会ったときと同じだ。 答えない光音に、俺はただ手を差し出したんだ。 光音はただ驚いたように俺の手を見ている。 なにをやってるんだ、俺は? こうすれば光音が手を取ってくれるとでも思っているんだろうか? そんな甘えを俺はまだ持ってしまっているのか? もしこれで光音が手を取って、一緒にいてくれたら……甘えてしまう。同じことの繰り返しになってしまう。また俺は光音との平穏な日常の中に問題を埋没させてしまう。 だめだ。 言わなくてはならない。 今、絶対。何かを言わなくてはならない。 「サイレント・フェスティバル、二位だ」 俺がようやく口に出来たのは、言うまでもない当たり前のこと。今この場にいればわかる、つまらないことだ。 気持ち悪さを感じる。 ただ言うべき事を言えなかったってだけじゃない。「間違ったことを言ってしまった」という違和感。 そうだ、俺は間違ったことを言っている。 そうじゃない。そうじゃないんだ。光音はそうじゃないっ……! 「でも、お前は一番だ」 言った。 言えた。 ようやく言えた。 出た言葉は、事実に反する矛盾した言葉。でも、真実だ。 そうだ。俺はとっくに決めていたんだ。 旨美と戦ったあの時、決めていた。 橘は俺が答をまだ掴んでいないと言っていた。でも、違う。違うんだ。俺はとっくに答を掴んでいた。ただ気づいていなかったんだ。 俺はっ……! 「俺にとって、光音が一番なんだ。大好きだ、光音……!」 ああ、こんな簡単なこと。 こんな簡単なことだったんだ。 光音のことが好きだと。最初にそのことを伝えなくてはならなかったんだ。 それを避けて、目を逸らして……。光音の気持ちを勝手に思いこんで、全然前に進んでいなかった。 今ようやく。一歩を進むことができた。 光音は受け入れてくれるだろうか? それとも……拒絶されてしまうんだろうか? 急に恐くなる。 光音を、見る。 光音は驚いたように目を見開いていた。 やがて、その目を一度閉じ、そして開く。いつもの無表情な瞳。その瞳からはどう思っているのかわからない。 やがてゆっくりと手を上げる。 その手で俺の手をはね除けるのか、それともいつかのように、暖かく包んでくれるのか……。 心臓が暴れる。本当に喉から出てきそうな程、ドキドキと高鳴る。あんまりそれが激しいから、息をすることすら苦しい。 そして、光音がしたことは……手をはね除けることでも、包むことでもなかった。 俺の手を取り、自らの頬に当てたのだ。 暖かい。 手のひらの中にある頬の柔らかさと暖かさ、そして手の甲に当てられる光音の手の優しさに、陶然となる。 「この手が好き……」 手のひらから声が伝わる。 そんな錯覚。でも、それは錯覚ではないのかも知れない。俺と光音の距離は、いま確かにゼロになっていた。何もかも、直に伝わってくる気がした。 光音の暖かさも、緩やかな息づかいも、俺に負けずに心臓が高鳴るのも、声も、心も、みんなみんな……伝わってくる 「泣きたいとき、さみしいとき……そんなときいつも私を包んでくれる、大きくてあたたかいあなたの手が好き……」 光音は目を閉じ、俺の手に頭をあずけるように体重をかけてくる。心地よい重み。 でも、今包み込まれているのは俺だ。 暖かさに、まどろんでしまうような気持ちよさ。 「好き……好き……あなたのことが、大好き……」 心が……満たされる。 そして唐突に思い出した。 光音の人形を壊してしまい、自分の手までも傷つけてしまったあの日。 探しに来てくれた光音。 光音はあのとき俺に手をさしのべてくれた。 その手を取って、俺達は元通り、”日常”へと帰ったのだ。 そのとき俺は光音の手にすがってしまったと思った。相手を傷つけた上にすがってしまった……そのことが負い目となり、俺はそのことそのものを忘れようとした。なかったことにして、そのまま光音といようとした。 だから、自分から光音に近づくこともなかった。やがていつの間にか離れてしまった。 でも、違ったんだ。 光音は俺に手をさしのべたんじゃない。光音も、俺に手をさしのべられたんだ。俺達は助け合っていたんだ。 俺は近づきすぎて光音を傷つけるのが恐かった。それを言い訳にしていた。 確かに、近づけば傷つけてしまうことがあるかも知れない。自分が傷ついてしまうこともあるかも知れない。 でも、近いのなら。二人の手が触れ合うことの出来る距離にあるのなら。お互いを癒すこともできるかも知れない。支え合うことだってできるかも知れない。 いや、できる。 光音となら、できる。 手に、光音の鼓動が感じられる。 光音も俺の鼓動を感じているはずだ。 光音は俺しか見ていない。俺も光音の姿しか目に映らない。 耳に入るのは光音の息づかいだけ。 なんて、安らげるんだろう。 なんて、静かなんだろう。 なんてなんて静かな……。 二人だけの、サイレント・フェスティバル……。 しかし、静寂というものは破られてしまうもので。 ガアアアアアンッ! 破砕音と共に、スクリーン裏の壁が破られる。 「ようやくたどりついたわよっ!」 巨大な槍みたいな武器を手にした清水先輩が仁王立ちしている。 あれはどこかのマンガで見たことがある。斬馬刀という、文字通り馬を切るための大剣。 清水先輩の登場と同時に、舞台を覆うアクリル板もゆっくりと下がっていく。 「装置も解除させてもらったわ。これで終わりね」 「ああ、終わりだ」 しかし、答える山田生徒会長には恐怖も混乱も感じられない。 ただ、手を高々と上げる。その手の先は、人差し指が真っ直ぐと立っている。 「優勝っ! 三年C組・清水 沙織(しみず さおり)っ!」 朗々と、マイクもないのに体育館中に響く声で叫ぶ。 「くっ! 全て計算通りだったというのっ!」 「そうだ、計画通りだ沙織っ! 君ならまた優勝できると信じていたっ!」 「あなたはいつもそうっ! そうやって私の事をかき回してっ……二年前だって……」 「あの時はすまなかった……」 「今さら何を言うのよっ!」 斬馬刀を構え直し、生徒会長へと向ける清水先輩。 それに対し、生徒会長はまるでそれを抱き留めるように両手を広げる。 「そう、だからやり直そうとしてこの大会を企画した。好きだ、沙織っ!」 「なっ……」 一瞬静寂が舞台を支配する。 鈍い俺にもわかった。清水先輩は二年前……一年生の頃、ある男子生徒によってサイレント・フェスティバルに優勝したという。どうやらその男子生徒というのが、この……。 しかしこの静寂もまた、長くは続かない。 下りきったアクリル板を越え、風紀委員に秘密警察研究同好会が乗り込んできたからだ ついでにどう見ても関係ない、興奮が高まってどうしようもなくなった生徒たちまで上がってくる。 それらをサイレント・フェスティバル実行委員と諜報活動研究同好会の面々が迎え撃つ。 舞台は静寂から一転して喧噪と混乱に包まれた。 「メチャクチャ」 胸の辺りから呟きが漏れる。 壁が破られた瞬間、とっさに抱き寄せた光音。 今、俺の胸の中には、世界で一番大切なものがある。 「雅弘ーっ!」 ドドドドドドドドッ! 爆音のような疾走音。それと共にやってくるのは……。 「旨美っ……!」 「なんだかよくわからないけど砕け散れーっ!」 どうやら気絶から覚めるなり俺に向かってきたらしい。相変わらずバカで真っ直ぐで、元気なことだ。が! 「邪魔するんじゃないっ!」 光音を放し、一歩踏み込み……俺は全力で旨美を投げた。 自分でもほれぼれしてしまうぐらい、今までにない完璧な投げ。当たり前だ。俺は今なら何にだって勝てる! 「うおわっ!?」 「ぐあああーっ!!」 「きゃあああああっ!!」 背後から、いくつもの悲鳴。さすがに今の舞台の人口密度ではかわしきれない者もいたようだ。 なんだか清水先輩の悲鳴が聞こえてきたように思えたが……気にしないことにしよう。 再び、光音を抱き寄せる。 そこかしこで喧嘩が起きてる。光音を巻き込むわけには行かない。ぜったい、守る。 「行くぞ、光音」 「はいっ!」 光音は、満面の笑顔で答えてくれる。 初めて見た光音の笑顔は、光音を無理矢理遊びに連れ出したときだった。 でも、あの時よりずっとずっと幸せな笑顔だと思った。 俺は世界で一番大事な幼なじみを抱えて、混乱の中を駆け抜けた。 そして……。 混乱の中、それでも全ての役目を果たし。 サイレント・フェスティバルは、終わった。 |
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