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サイレント・フェスティバルトップへ

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対決



「高坂くん、そろそろスピード落として」

 緊迫した守屋の声に立ち止まる。
 裏山の中、ここは中腹当たり。やや木々の少ない、ちょっとした広場のような場所。
 
「トラップR−9、突破されましたっ!」
「A−2部隊壊滅っ! 目標の速度依然として変わらずっ!」
「トラップS−1からS−5無効化……駄目ですっ! 足止めにもなりませんっ!!」

 通信機越しに聞こえてくる緊迫した報告。
 なにが起きているのかわからない。ただ、その様子から何かが近づいてくるということだけが感じられた。
 それもおそらく、ヤバイものだ。
 気づくと、いつの間にか手のひらが汗ばんでいた。暑いからというだけじゃない。緊張――いや、戦慄と言った方が近いだろうか?

「高坂くん……ここで闘ってもらうよ」
「守屋、闘うって……」
「だから、『重要任務』だよっ」

 どこか素っ気ない守屋の声。さっきからどうもこんな調子だった。いつもの明るさに欠けた声。緊張からか。それとも……じつはさっきのことを根に持ってるのか。なんで怒ったのかわからないのでこっちからフォローできないのが困りものだが。
 
「今からここに来るのは、高坂くんしか相手に出来ない強敵だよ」
「俺にしか相手に出来ない……?」

 どうやら……守屋は俺のことを強いと思いこんでいて、そしてどうやらとんでもない相手と闘わせようとしているらしい。
 誤解を解こうするが、守屋は口を挟む隙を与えずに言葉を続ける。

「その破壊力にありとあらゆるトラップが通用せず、その突破力はどんな人も止めることが出来ない……」

 遠くでズガーンとかドッカーンとか普段耳慣れない音と一緒に「うわーっ!」とか「ぎゃあああっ!」とか悲鳴が聞こえてきたような気がした。
 ……なんかとてつもない事態が進行しているような気がする。問題なのはその渦中に――それもその真ん中に――俺がいるらしいということだ。
 
「ちょっと待ってくれ守屋っ……!」
「今回のサイレント・フェスティバルの最大の障害の一つ……」

 俺の声など聞こえないように蕩々と語り続ける守屋。

 ゴウン! ドガッ! ゴゴゴゴッ!

 轟音が近づいてくる。大きな音。大きいと言うことは遠くないと言うことだ。しかもそれは徐々に大きさを増している。こちらに近づいてくるのだ。
 考えてみればそれは当たり前だ。守屋たちはその動きを掴んでいて、そして俺をその方角へと誘導したのだから。

「人呼んで……学園の破壊領域っ!」

 ゴウンッ!
 
 まるで隕石でも落ちたかのような轟音と震動を伴って、何かが降り立った。
 もうもうと土煙が舞う。
 わずかに見える影は人の形をしており、それは……なんて言うか、思ったより小さい。あれだけ大きな音がしたのに、小柄な人影だった。
 俺は、それに見覚えがある。見慣れている。
 
「標的、トラップの上にいますっ!」
「トラップ作動っ!」

 通信機から聞こえる声と共に、ざあと音を立てそいつの足下から太い荒縄で編まれた網が浮かび上がる。
 落下の衝撃に耐えたそれは、今度は逆に上へと持ち上がる。自らの上に降り立ったものを包みながら、高く昇る。
 網で絡め取りかかった者の身動きを封じ宙づりにするトラップだ。しかし……。
 
「だあっ!」

 網の中のそいつが声を上げる。
 簡単には切れないはずの荒縄のトラップは、まるで紙細工のようにはじけ飛んでいた。
 
「やっぱり、通用しないんだね……」

 通信機から聞こえる守屋の声は、初めから結果が分かっていたというあきらめが感じられた。
 そうだ、こいつには通用しない。こいつは力だけはあるバカだから、なにも考えず知恵を使ったトラップを突破してしまう。
 何が来るかと思っていた。どんなとんでもないモノが来るのかとビビッていた。しかし、目の前にいるのはなんのことはない。
 黒のショートカット。猫のようなつり目。小柄な身体を今はやや大きめのTシャツとピッタリのスパッツに包み、それらを突き破らんばかりの元気さに溢れたバカ。
 イマイチ成長してない感があり、それが余計に見慣れたという印象を強める幼なじみ。
 
「旨美……!」

 俺の声に、そいつが顔を上げる。
 そう。そこにいたのは俺の幼い頃からの腐れ縁。面 旨美(おもて むねみ)だった。
 
「雅弘……?」

 猫のようなつり目を丸くして、旨美は俺のことを驚いたように見た。
 
「なんでお前がここにいるんだ?」

 問う旨美に俺は無言で腕章を――「サイレント・フェスティバル実行委員会」と書かれた腕章をぐいと突きだした。
 
「ああ、てめえやっぱりそうなのかよっ」
「バカのお前らしくないリアクションだな。……まるで、最初から知ってたみたいだ」
「ああ、知ってたぜ」
 
 ジリ、と旨美は間合いを詰める。
 距離は10メートルほど。旨美の脚なら一瞬で詰められる距離だ。俺も自然に構えをとる。構えと言っても特に腕を上げたりとかではない。ただ身体中をいつでもどんな動きでも出来るように適度に力を抜く自然体をとるだけ。言ってみれば、心構えみたいなものだ。
 
「てめえがこのバカなお祭り騒ぎに参加してるってのは、聞いてたぜ」
「……誰から?」
「おしえねーよっ」

 グッと、旨美は拳を俺の方へと向ける。
 旨美の攻撃の構えだ。
 
「最近コソコソなんかやってると思ってたらこんなことしてたんだな、お前」
「やってたら悪いかよ?」
「悪いっ! こんなバカなことやってどうするんだよっ!?」
「お前みたいなバカに教えてやる義理はないっ……!」

 なんでこんなことをやってるのか、か……。
 
 光音に食の全権を握られているという情けない状況から抜け出すため?
 確かにそれはきっかけだが、続ける理由には弱い。実際……俺は現状に慣れてきてしまってそんなにイヤじゃなくなってしまっている。それはそれである意味イヤな状況ではあるが。

 光音がかわいいことを証明するため?
 それはサイレント・フェスティバルを続ける理由にはなったが、自分でもわかっている。それは言い訳でしかない。自分でわからない答をごまかすための言い訳でしかない。
 だから、なんでこんなことをやっているのかと問われれば……まだ何も応えることが出来ない。
 ため息を吐く。
 迷いがある。わからないことがある。それはきっと、進まなくてはどうしようもない。
 だからとにかく進む。とにかくは目の前の状況をどうにかしなくてはならない。
 
「それで、旨美。俺はお前を止めるためにここに呼び出されたらしい」

 守屋に選ばれた理由がやっとわかった。
 確かにこいつの相手をするのなら俺が適任なのだろう。
 こいつのようなバカを止めるなら誰でも出来るような気もするが……しかし、こいつのようなバカだからこそ。俺ぐらいしか相手出来る人間がいないのかもしれない。
 
「つーわけで今回はわりと本気だ。……それでも、やるか?」
「あったりまえだっ!」

 ドンッ!
 
 旨美の大地を踏みしめる音が、地面に響く。
 
「今日の俺はちがうぜっ!」

 元気全開な旨美を前に、俺はため息を吐く。
 そして小声で通信機に語りかける。

「このバカと闘うのが重要任務かよ?」
「そう、重要任務だよ。旨美ちゃんにはトラップが通用しないんだ。どんどんトラップを破壊しちゃうから放っておいたら風紀委員会の進入が……」
「なによそ見してやがるっ!!」

 瞬間。
 そう、まさに瞬間というほかない短い時間しかなかった。
 その間に俺の身体が「かわす」という動作をとれたのは、たぶん長年の旨美との小競り合いがあればこそ、だろう。
 突き抜けたのはただ轟音と表現するしかないもの。
 そのあとに残るのは破壊の一言。
 地をえぐり通り抜けた先には、突撃の余韻に震える小柄な影。
 
「旨美っ……!」
「言っただろう、今日の俺は違うって!」

 向き直り構える旨美の姿は、見慣れたものでありながらいつものそれと確実に異なる。

「高坂くん、なに今のもの凄い音っ……!」
「守屋」
「な、なに?」
「すまない、通信しばらく切る」
「え? 高坂く……」

 プチッ
 
 守屋に構わずスイッチを切った。
 今は余裕がない。わずかな隙が命取りになる。
 今日の旨美は本気だ。
 いや、旨美はバカだからいつも本気だが、今日はそれにもまして……言ってみれば、「本気の本気」なのだ。
 相対していると感じる。言葉にしなくてもわかる。こいつとは小さい頃からこんなことをやっているからわかる。ビリビリと感じるこのプレッシャーは間違いない。混じりっけなしの、本気の本気だ……。
 頬に微かな痛み。手をやると、わずかに赤いものがつく。確かにかわしたはずの旨美の突撃は風圧だけで俺の頬を切っていた。
 
「雅弘……」

 旨美がゆっくりと腰を落とす。そして、
 
「砕け散れぇっ!」

 旨美の姿が、消える。
 本気の旨美の突進は、間合いという概念がなくなる。
 どこにいてもゼロ距離。そんな矛盾した感覚。
 それは一瞬と呼ぶにも短い時間。考える暇なんてない、刹那。
 だから結果は始まる前に決まっていて、そして結果だけが何が起きたかを教えてくれる。
 
 ゴッ
 
 骨に響く音を身体が聴く。
 振り向くと、派手な音を立てゴロゴロと大転倒する旨美。そして、
 
「ぐうっ……!」

 苦鳴が漏れる。
 強烈な衝撃に、身体が震える。辛うじて倒れずには済んだ。


 ――小さい頃。旨美を殴って泣かせてしまったことがあった。それ以来旨美のことを殴ったことはない。かわしていなして、そうしたら旨美は余計にムキになって……そして、今に至る。
 しかし旨美を殴らないのはそれだけが理由じゃない。

 殴れないのだ。物理的に。

 あの勢いに真っ向からぶつけたら俺の拳は砕けてしまうだろう。しかも頑丈な旨美のこと、こっちが一方的にダメージを受けることになりかねない。旨美を殴ることは「百害あって一利なし」なのだ。

 だから俺は旨美を転ばせる。まじめな話、あいつの動きを利用しないことにはダメージを与える術がない。
 しかし旨美を投げるには、一瞬でも旨美の動きの「軸」にならなくてはならない。「突進」という直線の動きをねじ曲げ投げに転化するために、旨美の勢いの一部を一瞬とは言え身体で支えなくてはならないのだ。
 普段の旨美なら問題ない。しかし、本気になった旨美を投げるには、俺の身体にもこれだけのダメージが残る。
 あるいは合気道や柔道の達人だったらそれを回避する技があるのかもしれない。
 だが俺は格闘に関しては素人だ。旨美とのやりとりでこうして少しは投げ技みたいなものは使えても、それ以上のものではない。
 奥歯をかみしめ痛みを殺し、旨美の転がる先を見る。
 旨美は、為す術もなく転がっている。しかし……。
 
「くっ!」

 声を上げ、強引に脚で勢いを止める。
 まさかっ!? あいつも本気の突進だった。いつものとは訳が違う。止められるはずがない。
 だが、旨美は転がりながら、手で地を掴み足で支え、その勢いを強引に止めてしまった。
 
「ぐううっ……!」

 うつぶせに地に伏したまま、旨美はうめく。
 そしてゆっくりと顔を上げる。土で汚れた旨美の顔。しかしその瞳の輝きはまったく失われていなかった。
 その顔が、苦しげに、でも確かに……笑う。

「どうした雅弘? 顔色が悪いぜ?」
「旨美……」
「本気でやって、俺のことを一回で仕留められなかったなんて……初めてだよな?」

 そうだった。
 旨美が本気で、俺も本気で。そんなことは数えるぐらいしかなかったが、それでもいつも一回で勝負がついていた。
 俺は負けたことがなかった。
 
「なにを迷ってやがるんだ、雅弘……?」
「なっ……」

 迷っている。それは事実だ。しかし旨美にあっさりと言い当てられ、俺は言葉を詰まらせる。
 
「わけわかんねーぜ……」
 
 動けない俺とは逆に、旨美は震えながらも立ち上がろうとする。
 上半身を腕の力で押し上げ、足を踏ん張る。

「せっかく光音先輩が弁当作るようになって、また三人でわいわい騒いで……」

 上体を起こし、足に力を込める。
 震えながらも、旨美の身体はゆっくりと上がっていった。

「中学の頃みたいに三人で楽しくやっていけると思ってたのに……お前はコソコソこんな変なことに関わってっ……!」

 起きあがろうとする動きが止まる。
 しかし、言葉を地面に叩きつけるように踏ん張り、旨美は完全に上体を起こした。

「それで、なんで迷ってやがるんだっ!?」

 そして旨美は構えをとった。
 俺はその旨美にようやく向き直る。痛む身体を動かし、構え――と言っても、ただ動きやすいだけの自然体。
 旨美は腰を落とし、構えに力を込める。突撃の前段階。それだけで、俺は旨美がどんなタイミングでどんな攻撃をしてくるかがわかる。あいつとは長いつきあいだ。
 だが、それだけに「わかる」というだけでは駄目だ。今日の旨美は見てから反応できるレベルの動きではない。わかったのならその先を行く。そうでなければ対抗できない。
 旨美の一挙手一投足を見逃さないように集中する。
 だから、違和感にもすぐ気がついた。
 今にも飛びかかりそうな構えなのに、旨美には攻撃の意志が感じられないのだ。
 旨美は不意に、拳ではなく言葉を放つ。
 
「光音先輩を優勝させるんだろう?」

 旨美の言葉は、拳のように俺を打った。
 俺がサイレント・フェスティバルに参加しているのを知っているのは、守屋たち実行委員の人間。そして、協力者である橘だけだ。そして俺の目的まで知っているとなるともう間違いない。

「橘かっ……!」

 旨美は肯定も否定もしない。だた、言葉を続ける。
 
「それを聞いたとき、なんでそんなことをするかわからなかった。光音先輩はいつもやさしくて、いつも静かで、いつも綺麗で……いつも、頑張ってて。こんな大会に向いてる人じゃないし、こんなのなくたって……みんな、わかってる。お前と俺は、みんなわかってると思ってた」

 旨美は真っ直ぐに俺の目を見て話している。こいつはバカだから、嘘をつけずごまかすことも出来ずいつもこうして話す。しかし今、その口調はどこか独白のようだった。
 
「だから、お前がなんでこんなことやってるのかわからなかった。俺を仲間はずれにしてなにやってんのかわからなかった。お前が今日ここにいるって聞いて、とにかく進めば会えると思って……俺バカだから話してもわかんないから、いつもみたいにケンカすればなにかわかるんじゃないかって……」

 旨美の拳が震えている。その瞳は……潤んでいるように見えた。

「それなのに……なんでうじうじ悩んでやがるんだよ、てめえはっ!?」

 ドン、と強く脚で地面を叩く。耳ではなく、身体全体に響くような強い音。
 それに打たれたような錯覚を覚える。
 
 で、ムカついた。

 こいつ好き勝手いいやがって……なんでか分からないからこんなバカなことしてるんだぞ、俺はっ!?
 俺だって光音のことはよく知っている。
 俺のちょっと前を歩くためにいつも気をつけて歩くスピードを調整してることとか、すぐに俯くこととか、小さいけどとってもあったかい手をしてることとか。サラサラの黒髪が朝日を跳ねてとっても輝くこととか、肌が白いから赤くなると色が透けて綺麗だとか、人形みたいな顔のクセして頬はふっくらしてることとか。普段はしっかりしているのにたまにドジで目が離せないとか、腕時計もらったぐらいではしゃいですぐつけてきて四六時中時間を気にしたりするところとか、キツいこと言うわりに本当は優しくてひどいことなんかできないところとかっ!
 俺だって知っているっ!
 旨美、お前なんかに言われるまでもないっ!

 ピン、と空気が張りつめる。
 
 旨美は、今度こそ確実に打ち込んでくる構え。さっきのようにもう話しかけてはこない。ああそうだ、わかっている。こいつとはだてにつきあいが長いわけじゃない。だいたいこいつとは、まともに話した時間より遊んだりケンカしたり身体をつかって何かやってる時間の方が長いんだ。だから余計な言葉なんていらない。珍しくベラベラしゃべりやがってこのバカは、結局こうなるんだから一緒だろうが。

 ニヤリ、と旨美が笑う。
 ムカつく。でもきっと、俺も似たような顔をしている。だから向こうも同じようにムカついてるんだろう。
 
 そして。
 旨美は消えた。
 それはまさに消し飛んだと言えるような速くて、真っ直ぐで、何の迷いもない突進。
 そんなもの、待っていてはタイミングが合わない。
 迷いは要らない。邪魔だ。必要なのは答え。とりあえずの答でいい。俺はそれで前に進む。悩むより進む。間違っててもなんでも、とにかく前に進むのが俺だったはずだ。

 だから、踏み込む。

 強く重く、鋭く速く、たった一歩に全ての力を込める。

「俺はっ……!」

 ぶつかり合う力を回転の軸として。
 旨美の勢いを回転する力にして。
 投げる。
 
 衝撃が体に響く。
 旨美の勢いをほとんど流しきるが、それでも投げるためには最低限の力を自分の身体で受け止めなくてはならない。
 予想以上のその力に、身体が軋む。
 しかし、負けない。

「俺は光音を一番にするっ!」

 気づくと俺はそんなことを叫んでいた。
 そして、踏みとどまる。旨美を投げきるっ!

「バカ雅弘おおおおおおぉぉぉっ!」

 盛大な悲鳴と共に、旨美は斜面に沿って豪快に転がり落ちていった。
 さすがの旨美もあの勢いでは相当なダメージを受けるはずだ。少なくとも今日一日はろくに動けないだろ。
 そこまでやったからだろうか。俺をバカ呼ばわりしながら落ちていった旨美のことを、そんなにむかついてないのは。あの叫び声が、不快に思えないのは。
 
「面倒ばっかりかけやがって、あのバカは……」

 ため息まじりに愚痴を吐き出す。そして、がくりと膝を落とす。
 
「くっ……そ!」

 キツイ。身体中が痛む。うっかりすると気を失ってしまいそうだ。
 
 あのバカとここまで全力で闘うのは初めてだ。
 
 ……なんで、こんなに本気で闘ってしまったのだろうか?

 高校に上がってからはたまに出会ったときの小競り合い程度だった。ガキの頃はよくやり合ったが、でもお互いここまで本当の、『本気の本気』になったことはなかった。
 そして、ようやく気づく。
 ここには光音がいない。
 旨美との小競り合いのときにはいつも光音がいた。
 じっと見るあの目があるからどこか安心することができた。俺も旨美もやりすぎると言うことはなかった。
 しかし今。光音はいない。 
 それは、当たり前のことだった。光音がいるのは空気のように意識しない、あって当たり前のことだった。
 そんなことに、今さら気がついた。
 
「”光音を一番にする”、か……」

 なんでそれが今の俺の答なのか、よく分からなかった。意味としては「光音を優勝させること」と何一つ変わらないように思える。でも、自分の中ではそれとは違うものという確信があった。
 なにか、答を見つけられそうな気がした。
 でも、なぜだろう。
 その答は、今までの何かを失ってしまうように思えた。
 当たり前にあること。いつのまにか、あっけなく消えてしまうこと……。
 
「それで、あなたはみっちゃんが幸せになれると思っているの?」

 突然の声に振り向く。
 旨美の駆け抜けてきた、トラップのない安全行路。
 そこには……腰まで届く黒髪を揺らして佇む人影があった。何者も恐れない、凛とした立ち姿。腰につけた袋にも、左腕につけた腕章にも「風紀」の文字がある。
 
「知ってる? このサイレント・フェスティバルに優勝してもね。女の子は幸せにはなれないのよ……」

 ゆっくりと。その影――風紀委員長・清水先輩は、腰の風紀袋から何かを取り出すのだった。
 

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