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投票日
(1)
開始



 ……慌ただしかった。
 まあ、試験期間ともなればそれも当然なんだが。ただ、他に集中することができるというのはそれだけでよかった。
 でも、ふと考えてしまうときがある。
 
 何で俺は、橘を殴ってしまったんだろう?
 
 別に橘の悪ふざけは今に始まったことではない。あの程度のはよくあった。それで”ツッコミを入れる”ことはよくあったが、”殴った”のは……たぶん、初めてだ。
 なんで俺はあんなに怒ってしまったんだろう?
 
 ただ、光音がちょっと悲しそうな顔をしていただけなのに。
 
 あいつはあまり感情を表に出さない。昔から、こっちから注意してやらないとなにを考えているのかすらよくわからないところがある。
 だから。いつもよく見ていたから気がついた。あいつは感情をあらわすのが苦手なだけで、意外と情緒豊かなヤツだ。すぐにむっとするし、すぐに泣きそうになるし、それに……俺や旨美の前では、よく笑っていた。
 知らないヤツが見ればたぶんわからない、そんな静かでかすかな笑み。でも確かに幸せそうで、見てるこっちも嬉しくなるようなほほえみ。
 それが、当たり前だった。中学の頃まではそれが当たり前にあった。高校に上がっていつのまになくなって、そんなかすかなものはあったかどうかわからなくなって……。
 それがまた俺の日常の中にあった。当たり前のようにやってきて、当たり前のように今も近くにある。だからそれは、別になんでもないことだ。そのはずだ。
 それが。その光音が。ただちょっと泣きそうな顔をしただけだ。小さい頃はよく無茶をやって、光音はいつもあんな顔をしていたような気がする。だから、本当に珍しいことじゃないんだ。
 なんであんなにムカついたんだろう?
 なぜ、どうして。あんなに、「許せない」と思ってしまったんだろうか?
 
「どうしたの?」

 わずかに首を傾げて、涼やかに黒髪を揺らして。光音が問いかける。
 
「……なんでもない」

 俺はまたあのことについて考え込んでしまっていたらしい。頭を振って、憂鬱な気分を振り払う。
 土曜の朝。やっぱり光音は当然のようにやってきて、こうして俺と朝食を喰っている。 まるで昔からそうしていたかのような当然さ。俺の食費を握っていて、こうしてそれがはじめから決められたことのような当然さで家にいる。でもなぜか図々しいとかそういういやな感じはしない。
 光音が当然のことのようにやってくるように、俺もこの状況を当たり前の日常のように感じている。
 
「……ごちそうさま」

 すぐに席を立つ。
 
「勉強?」
「ああ。昨日の試験一日目、やばかったんだ。……しばらく集中したいから、一人にしてくれ」

 そう言い残し、俺は二階の自分の部屋へと向かう。
 なにか、モヤモヤする。何か、俺は大事なものから目をそらしているような気がした。
 右手が、痛む。いや、それ実際にはない痛みだ。最近よく感じるようになった、つまらない錯覚……。
 とにかくこういうときは、やらなきゃいけないことをやろう。今は試験期間なんだから。
 すでに昨日……試験一日目はいろいろ準備していなかったせいもあって燦々たる有様だった。やろうと言うより、やらないとヤバい状況だ。もう手遅れな気もしたが補習で夏休みが削れるのはやっぱりイヤだ。少しはあがきたいところだった。
 そして、机を見て気がついた。
 白い封筒。ハートのシールで封をされた封筒が置かれている。
 開いてみる。中には数枚の便箋。一枚目には、こう記されていた。
 
 「サイレント・フェスティバル投票案内」、と。





「ここ、か……」

 土曜の昼も近くなった時間。
 強くなり始めた日射しも、鬱蒼と繁る木々に遮られ届かない。それでも暑いことには変わりない。
 俺は学校の裏山にいた。
 指定通りに道を行くと、森に覆われた中の一角、底には洞窟への入り口があった。いや、洞窟ではないのかもしれない。
 かつてこの山には多くの防空壕が掘られたという。これはそのひとつなのかもしれない。
 この山の防空壕は、当然のことながらすべて閉鎖されている。しかし、それはあくまでも表向きのことだ。物好きな学生――うちの学校にそういうのが多い、というか最近そんなのしかいないんじゃないかという気がしてきた――が好き勝手に発見・拡張したというウワサがあった。
 今目の前に口を開いているそれは、サイレント・フェスティバルに関係していると言うこともありどう見てもその一つのようだった。
 案内にはこの奥に進め、と記してある。さらに言えばあとの便せんには案内図まで載っていた。
 
「……で、こいつを持参というわけか」

 俺は案内に記されていたとおり懐中電灯を持ってきていた。「おやつは300円まで」という表記もあったがそれは無視。「バナナがおやつに入らない。これは常識だが一応」という記述もあったりしたが、見なかったことにした。
 ちなみに服装まで指定されていた。「制服着用のこと」……いちおう、今着ているのは制服だったりする。なんとなく普段着が面倒だったというのもあるが、なにより一応「学校行事」だし、いいかと思った。
 バカバカしい。サイレント・フェスティバルも、試験期間中しかもかなりヤバい時期にこんな場所にいる俺も含めて……本当にバカバカしい。だが……。
 
「途中でやめちまうのも、な」
 
 別に橘の言葉をそんなに気にしているわけじゃない。それにどうせなにか他のことに気を向けるなら、勉強よりいくらかマシに思えた。……いや、やばいんだけど。
 とにかく俺は洞窟へと入る。
 懐中電灯の明かりを頼りに暗い道とも言えない道を進む。

 洞窟は思った以上に深くて長かった。おまけに曲がりくねっており分かれ道も無数にある。「見つけた学生が好き勝手に拡張した」というのはどうやら本当らしい。
 そんな深さのせいか夏の暑さもここには届かない。ひんやりとした空気がどこかこの場所が普通の場所ではないことを感じさせる。その空気が、そして洞窟の深さが「本当にここは裏山のなんだろうか」なんて疑問を感じさせる。
 
「なに考えてんだ、俺は」

 何の気なしに出した声も洞窟の中必要以上に大きく、そしてうつろに響く。
 少し、不安になる。だが立ち止まっても仕方がない。俺は気持ちを強めるように、進む足を速める。
 だいたい案内にはこの洞窟の進み方がちゃんと書かれている。今まで複雑な道だったが、そのおかげで迷うことなくこうして進むことができていた。不安になることなんてまったくないはずだ。さて、次はどう進めばいいのか。
 
「そろそろ不安になってくるだろうから、気を紛らわすために右へ」

 ………。
 …………
 ……………えーと……。
 たしかに前のページまでは「10メートル先で右へ」とか「5メートル後にあるわき道へ入れ」とか図解つきで詳しく書かれていたのだが。
 い、いきなりなんでこんなアバウトにっ!?
 もう一度案内を見る。「右へ」のあとは……。
 
「ほらほら早く行かないと後から(以下略)」

 (以下略)ってなんだーっ!?
 後を振り向こうとして……しかし、急に背後の闇が重くのしかかってくるような錯覚を覚えてためらってしまう。べ、べつに怖いわけじゃない。ただこんな案内にあおられて後を向くのがバカバカしいだけだっ!
 とにかく右へと向かう。気持ち、早足で。
 すると急に足から伝わるごつごつとした感触が、固く平たい感触に変わる。
 足下を照らすと、コンクリで綺麗に固められているのが見えた。
 案内状に再び目を落とす。
 
「あとはまっすぐ。希望に向かってダッシュゴー(笑)」

 ……なんか、気が抜けた。
 あらためて辺りを見る。確かにそれはコンクリだった。白く舗装された道だ。周りを照らすと、岩肌は姿を消しやはり床と同じようにコンクリで固められていた。
 人の手の入ったちゃんとした通路だ。「物好きな学生が発見・拡張した」にしては、いくらなんでも行き過ぎな気がするほどちゃんとした通路だった。
 しばらくその通路を進むと、明かりが見えてきた。同時に、その先から何か――人の気配というか、息づかいというか、そんなものを感じた。
 人がいる。
 そのことに素直に安堵を覚え、駆けるように前へと、光の方へと進む。
 そして、通路は唐突に広がりを見せた。
 そこは、普通の教室よりひとまわり大きいくらいの空間だった。
 清潔感を感じさせる白いコンクリの床。ところどころにあるコンピュータの端末は中央の盛り上がった台を取り囲むように機能的に配置されている。
 それはまるでSFものの映画に出てくる司令室のようだった。
 そんな場所で、まばらに男子生徒が適当に端末近くの椅子に座ったり床にあぐらをかいたりしている。10人以上はいるだろうか。
 俺がその部屋に入ると、視線が集まる。
 どこか緊迫した雰囲気――ピンと張りつめた空気が生まれる。この緊張感は、どこか旨美と対峙したときに近い。隙を見せたらやばいというか、そんな感じだった。
 
「みんな、よく集まってくれたねっ!」

 部屋の中央……盛り上がった台のような場所から声が響く。その声は場違いに明るく、一瞬巻き起こった緊迫した空気が霧散してしまう。
 それは妙に聞き覚えのある声だった。聞き違いがない声のように思えた。

 見慣れた笑顔。
 見慣れたセーラー服(夏服)。
 見慣れたちょこんとした小さな三つ編み二本。
 そして、ピンと立てられた人差し指もまたひどく見慣れたものだ。
 
「サイレント・フェスティバル投票防衛作戦実行司令、守屋なつみが歓迎するよっ!」
 
 そこにいたのは身間違えようもないくらい見慣れたクラスメイト――守屋だった。

「なんでだーっ!?」
「コツだよっ!!」
 
 思わず指さして問う俺に、間髪入れず人差し指を立て守屋は答えた。
 どうしようもない状況だと言うことだけが……必要以上によくわかった。





「それでは、サイレント・フェスティバルについて説明するよっ」

 言葉と共に、守屋はばっと左手を広げる。
 その左肩には「サイレント・フェスティバル実行委員」と書かれた腕章。
 そして、胸には「投票防衛作戦実行司令 もりや なつみ」と書かれた名札がある。
 どうもさっき言っていた肩書きは本当らしい。「なんで名前だけひらがなで書かれてるんだ」とつっこみたかったが、どうもそういう空気ではなかったので耐える。
部屋の中の十数名の生徒は、どいつも俺同様になんでこんなところに呼び出されたのかわからない様子だ。だが誰も守屋に文句は言わず床にきちんと体育座りをして(体育の授業で植え付けられた習性だ)、守屋に目を向けて耳を傾けている。
 守屋の明るい笑顔とテンションの高さが口を挟む隙というものを見せないのだ。
 それに、守屋の手の指す先にあるスクリーンに映し出された文字。
 

 よくわかるサイレント・フェスティバル
 
 
 クレヨンでしかも落書き調の字体で書かれたそれが突っ込む気力を半減させているのも原因のひとつなのかもしれない。
 どこか呆れた雰囲気のあるなか、ただ一人元気な守屋の声が響く。
 
「サイレント・フェスティバルは、みんなも知っての通り風紀委員にばれないようにこっそりとやるよっ!」

 スクリーンが切り替わる。
 それはサイトで情報を集め女の子をアピールするさまを表した、この祭りの仕組みを簡単に示した図だった。
 デフォルメされた絵柄が妙にかわいくてグーだった。が、それだけに気の抜けるものだった。
 
「でも、それだけではお祭りらしくないよねっ!? だからサイレント・フェスティバルでは投票と発表だけは派手に決めるんだよっ!」

 そして切り替わる。スクリーンだけではなく、周りの雰囲気も。
 なぜなら、スクリーンに映し出されたのは……。
 
「えと……喧嘩?」

 それも大規模な喧嘩だった。男も女も入り乱れた激しい闘争の図。
 舞台は森の中。……なにか見覚えがあるような気がする。ひどくいやな予感がする。
 守屋はざわめきだす周りをニッコリと見回すと、
 
「はい、注目だよっ!」

 その一言が場違いなほど明るくそしてこの地下の部屋の中とてもよく響いたので、みんな一様にスクリーンに注目する。
 大したものだ。守屋に聞いたらきっと「人の注目を集めるのにもコツがあるんだよっ!」とか答えてくれそうなぐらい見事な注目の集め方だった。
 
「じゃ、続きっ。最後までこっそりしてたらお祭りじゃないっ! そーゆーわけで、投票日と発表日はとても派手なことになるんだよっ! 具体的にはサイレント・フェスティバルを阻止しようとする風紀委員との熱き戦いがあるんだよっ!」

 シン、と静まり返る。
 みんなあまりのことに呆気にとられていると言った雰囲気だった。
 
「まあ実を言うと……サイレント・フェスティバルの秘密は『諜報機関研究同好会』の協力のおかげでほとんど守られてるんだけど、投票日と発表日だけは毎年どうしても隠しきれないんだ。風紀委員側の『秘密警察研究同好会』もすごいからね。それで……今回は風紀委員会の大攻勢が予想されるため、一般の参加者にも協力してもらうことになりましたあっ」

 言いつつ、テヘッ、と守屋は舌を出した。
 その様に見とれる者数名。呆気にとられる者がさらに数名。傍観者俺。
 しかし、それではすまない者達もいた。
 
「ちょっと待てよっ!! 俺達に戦えっていうのかよっ!?」
「ふ、ふざけんなよ、なんでそんなことっ……!!」
「ジョーダンじゃねぇぜっ!」

 もっともな抗議をするやや不良っぽい三人。
 その様子に他の者達もざわめき出す。
 さすがに風紀委員と戦うために選ばれたものたち。部屋に入ったとき感じたとおり、どいつも血の気の多そうだ。ちょっとしたことで全員暴徒と化してしまいそうな緊迫した空気。……って言うか俺なんでここにいるんだろう?
 そんな爆発寸前の空気の中、守屋はのんきにごそごそと自分の制服をまさぐっていた。
 そして取り出したのは一枚の紙切れ。守屋はそれをじっと見る。
 
「あの〜、実行委員長からの言葉を伝えるよっ」

 その声は、やかましいぐらいのざわめきの中なぜだかちゃんと耳に届いた。
 

「えーとその……『ゆーこと聞いてくれないと、バラす』……だってっ」

 ビシィッ
 
 音を立てて空気が固まる。
 いや、そんな音が聞こえるなんてわけないんだが、そうとしか言えないくらいの突然さでみんなの動きが固まった。立ち上がっていた三人組はそれこそ彫像のようだ。
 そして、しばらく後に動揺がさざ波のように広がる。すごい速さで。なんとなく、固ければ固いほど波は速く伝わると物理教師が雑談で言っていたのを思い出した。
 いったいなんなんだこの状況は? ここにいる全員が全員なにかしらそんなに致命的な隠しごとがあるとでも言うのだろうか?
 まあ、ここにいるのはどいつもこのサイレント・フェスティバルの関係者。そういうこともあるのかもしれない。だが、なんで俺はこんなところに呼ばれなくちゃいけないんだろう? だいたい俺には別に人にバラされて困る事なんて……。
 
・高坂 雅弘は背の低い幼なじみに最近わりと言いなりです。
・高坂 雅弘は胸のない幼なじみに食の全権を握られちゃってます。
・高坂 雅弘はこのあいだ年下に見える同い年の幼なじみに秘蔵のえちぃ本も見られました。

「うああっ!? やべぇっ!?」

 走馬燈のようによぎる過去の情けない記憶に思わず叫び声を上げ立ち上がってしまう。
 だれに見られているというわけでもない数々のこと。しかし、最近の状況からして誰に知られてるともわからない。なんか諜報なんたらとか警察なんたらとかよくわからない同好会が動いてるし、おまけに知らない間に妙な手紙は届いてるし……やばい、やばすぎるっ……!
 今更ながら、自分がいかに危険な状況にあるかを自覚する。
 ふと、気づくと。思いっきり注目を浴びていた。
 みんなの視線が痛かった。特に、守屋のジト目が胸に突き刺さった。
 恥ずかしくなり、俺はすごすごと腰を下ろす。

「さて。みんなが不安なのも無理はないと思うよっ……なにしろ相手は風紀委員に秘密警察研究同好会……決して楽に勝てる相手じゃないからね……」

 なんかみんなうなだれていて、「そーゆー問題じゃないっ」とつっこもうとする者は一人もいなかった。

「でもほら、お祭りなんだから楽しまなくちゃっ! お祭りって一生懸命にがんばった人が、いちばん楽しいんだよっ! 周りからバカみたいに見えたって、いちばん楽しんだ人が勝ちなんだよっ!」

 顔を上げる。その先にははじけるような守屋の笑顔。地下なのに、太陽のように明るくすがすがしい笑顔。
 
「やろうよ、がんばろうよ! みんな一人じゃないよっ! みんなのことはサイレント・フェスティバル実行委員がサポートするし、ボクだってがんばって指揮するよっ!」

 胸に手を当て、守屋は身体全体で叫んでいた。
 その必死な様に、懸命な声に、自然とこっちも力が入ってくる。
 
「さあみんなっ、やるよっ! 勝つよっ! 見せてあげるっ! 戦いにもっ……!」

 ぐっと拳を握りこむ。
 ため込むようなその動きに、全員の注目が集まる。
 そして、それはついに高々と振り上げられた。自然にみんな顔が上に向く。うなだれている者なんて一人もいない。

「コツがあるんだよーっ!!」

 オオオオオオオオオーッ!!
 
 歓声が上がった。
 皆やるきマンマンだった。
 なんかだまされてる気がする。乗せられてる気がする。
 しかし……それがわかっていながらなんで俺は手を振り上げいるっ!? どうして叫んでいるんだっ!?
 
 どうやら俺は、迷っている暇なんてないらしい。進む以外に道はないようだった。
 今は、そう思うことにした。
 

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