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十日目
(2)
握る手も痛み……



「待ってくれ」

 午後の化学の授業のあと。1階の化学室の入り口近く。
 俺は短い三つ編みを目印に声をかけた。
 くるりと振り向いた顔にはいつもの明るい笑顔はなく、ただ驚きの表情がある。
 
「こ、高坂くん?」

 言いつつ、三つ編みの女の子――守屋は一歩引く。
 が、その動きは予想できていたし、仮にそうでなくても一歩目で反応できただろう。俺は守屋の肩に手をかけその動きを止める。
 
「……頼むから話を聞いてくれ」

 守屋は肩に置かれた手をぼんやりと見て、そして伏し目がちに俺の方に向き直る。
 
「な、なんのことかな?」
「昨日のことだ」

 昨日……俺の食事を食らいつくそうとした旨美を倒したとき、守屋にはその光景を見られた。結局あのあといちおう話をした。俺は特殊な趣味なんかじゃないと、心を込めて力説した。

「うんわかったわかった、大丈夫ボクちゃーんとわかってるよ〜」
 
 とか言って、守屋は一応の納得をしてくれた。今思うとなんだか上の空な感じだった。
 それが、昨日の放課後のこと。
 そして今日。いつも朝話しかけてくるのに、守屋はこちらをチラリと見るだけで話しかけては来なかった。次の休み時間も、その次の休み時間も。もちろん昼休みも。別に休み時間ごとに話す訳じゃない。それにしても一日に一度も話さないなんて事はなかった。なんだか、避けているように思えたのだ。こちらから話しかけようとしても、気づけばいなくなってるというか……。
 そして、ようやく今こうして守屋を捕まえることが出来た。実験後の教室移動というスタート地点も行き先も限られた状況でなければ、そして守屋の動きに注目していなければ逃していたかも知れない。
 俺はチャンスを生かすべく、弁明をはじめようと……。
 
「ボ、ボクホントに気にしてないよ。世の中にはいろんな趣味の人がいるしそれはいいと思うんだ。ボクだってそばよりうどんがの方が好きだけど、だからってそれをそば好きの人に無理強いしようとは思わないしそんなことはしちゃいけないと思うんだよ。あ、あと甘いものも好きだけど辛いものは辛いものでおいしい思うよ。キムチとか結構好きだけどあんまり辛いカレーとかはどうかと思うんだ。だけど甘いものはいくら甘くてもおいしいのはホントに不思議っ……」

 一気にまくし立てる守屋に何か言うどころか口を閉じることも出来ずぽかんと聞くだけになってしまう。何を言ってるのか途中からよくわからなくなった。が……とりあえずバッチリ誤解されていることはわかった。すごくよくわかった。
 ひとしきり喋ったあと、守屋は俯く。

「でも……」

 うって変わって静かな守屋はポツポツと語り出す。
 
「高坂くんは、ちゃんと好きな人がいるんだと思ってた。胸が小さければ誰でもいいの? そんなの……」
「ちょっとまてーっ!?」

 話があまりにもあまりな方向に行き始めたのでむりやり口を挟む。
 
「昨日のアレは、いつものケンカって言うかじゃれ合いって言うか……そいういうもんで、別に押し倒した訳じゃないんだ」
「本当……?」

 上目遣いで俺の顔を見る守屋。どこか拗ねた子供を思わせるその視線。なんでこんな誤解を受けてしまうんだろうか?
 
「考えてみろよ、相手は旨美だぞ。あんなの押し倒して俺にどうしろって言うんだ?」
「どうしろって……」

 なぜか守屋は頬を赤く染める。
 どうも守屋の頭の中で俺にとって不快な状況が展開している予感がしたが、とりあえず無視。
 
「とにかく、旨美なんかとは変なことにはならない。……だいいち、守屋変だぞ。そんな勘違いするなんて」
「へ、変? ボク変かな?」
「まあ、旨美とは普段から小競り合いやってるんだから、普通はあんな勘違いしないだろう?」
「そう、か……そうだよね。うん。ボク、ちょっと変かも知れないね」

 そう言って、照れ笑いをうかべる守屋。
 なんだか変な様子だったが、とりあえず誤解は解けたようなのでホッとする。
 
「試験前で疲れてるんじゃないか?」
「うん、そうかも。最近いろいろ忙しいし……でも、高坂くんもヘンだよ」
「へ? なにが?」
「だって、そんなムキになって否定くるんだもん。ヘン」
「ムキになんかなってない」
「女の子とお弁当食べてデレデレしちゃって……かっこわるいんだ」
「ぐうっ……」

 言葉に詰まる。
 守屋の指摘したことは全く否定できなかった。微妙に勘違いはあるものの、俺が幼なじみに食の全権を握られてしまっているという情けない状況にあるのは紛れもない事実だったからだ。そして……自覚してしまったのだ。俺がその状況に馴染みつつあることを。最初ほどイヤだと思っていないことを。
 確かにかっこわるい。すごくかっこわるいかもしれない。
 ちょっとへこむ。
 
「わ、高坂くんどうしたの?」
「いや、ちょっとな……」
「ご、ごめん。本気にしないでよ。ちょっとからかっただけだよ。特殊な趣味なのも誤解だし、デレデレしてるわけでもないんだよねっ!? もぉっ、ボクそんなこと本気にしないよっ」
「あ、ああ」
「はい、なっかなおりっ!」

 そんなことを言いながら、守屋は俺の手を握ってぶんぶん上下に振った。情熱的な握手だった。
 
「あっ……」

 俺は、すこし強引に守屋の手を振りほどいていた。
 守屋は驚いて目を見開き、そしてすぐに俯く。
 
「ご、ごめんね……女の子から手を握ったりしたらビックリするよね……」
「あ、ああ……」

 そうじゃなかった。別に恥ずかしいとかそんなんじゃなくて……。ただ、手が……手が、痛んだような気がして。
 いつか図書室で守屋の手を握ったときは別になんとも思わなかったのに、変な感じだ。もっともあの時は握ったというよりは机に押しつけた感じだったが……。

「高坂くん?」
「な、なんでもない。それより早く教室に戻ろう。もうすぐチャイム鳴っちまうぞ」

 なんだかモヤモヤするものを感じて、それを振り払うように廊下へと向きなおる。
 そこで、違和感を感じた。
 守屋もつられるように廊下の奥を見る。
 
「誰か来るのかな?」

 その指摘を聞くまでもなく、違和感の正体はすぐにわかった。廊下にいる者みんなが、一様に奥の方を見ているのだ。誰かが来るのを注視している。
 その先には、一人の女生徒がいた。
 計ったように切りそろえられた黒髪。低い身長に平坦なプロポーション。
 光音だ。
 最近光音はサイレント・フェスティバルで宣伝されている。だから、ある程度の注目を浴びるようになった。しかしそれにしても様子が変だ。
 別に光音に変わったところはない。あえて言うなら、服装だろうか。
 光音は体操服を着ていた。
 上半身は厚手のシャツ。そして下は赤いブルマだ。
 別にそんなに大きいわけではないのに、どこかだぶだぶとした感じのシャツが光音の身体の小ささを強調している。ブルマから伸びるのは、意外と長く伸びる、スラリとした脚。白すぎるその脚が、なんだかまぶしく感じられた。
 まあ、それなりに。かわいいと言っていい部類には入るのかも知れない。
 それはともかく。
 うちの学校では女子更衣室は一階の体育館脇にある。普通の授業では着替えはそこで行われるため、校舎内で体操服姿を見ることは少ない。せいぜい雨の日に部活の人間が校舎内で筋トレをするときぐらいだろうか。それにしても放課後に限定されるから、こんな時間に校舎内で体操服というのは珍しいと言えば珍しい。
 ……光音はなんでそんな珍しいことをしているのだろうか。
 疑問に思い、俺は光音の方へと向かう。
 
「どうしたんだ、光音」
「雅弘……」

 俺を見上げる顔は、いつもの無表情。しかし、どことなく暗い陰があった。なにか……ほっておいたら泣きそうな、そんな表情に思えた。
 
「お前、前の授業体育だったのか?」
「うん……」
「なんでそのまま上がってきてるんだよ?」
「ないの……」
「ない……って、なにが?」
「授業が終わって更衣室に戻ったら、制服が……」

 制服がない?
 いくつもの考えが巡る。
 光音はしっかりしたヤツだ。どこかに制服をしまい忘れたとか、そういうことはないだろう。そもそも制服をなくすなんてこと、そうそうあるわけがない。
 だとすると、だれかが隠したって言うことになるんだろうか。
 いじめ……か?
 思いついたその言葉になにか冷たいものを感じる。
 最近光音はサイレント・フェスティバルで注目を集め始めている。やっかみを受ける可能性は否定できない。あるいは優勝を狙っているヤツが妨害工作としてやったことだって考えられる。
 それともとち狂ったバカが光音の制服を盗んだことだってことも……。
 
「雅弘……」
「だが、どいつが、なんだって……?」
「雅弘っ……!」

 珍しく強い調子の光音の言葉に我に返る。どうも考えに没頭してしまっていたらしい。
 
「怒らないで……」
「べ、別に怒ってなんか……」

 手に痛みを感じる。手のひらが痛む。いつの間にか両手はそれぞれ拳を形作っていた。ゆっくりと開くとジワリと痛みが広がる。気づかないうちに手のひらに爪が食い込むほど握りこんでいたらしい。
 その結果からすれば確かに俺は怒っていたらしい。でも、なんでそんなに……。
 光音は俺のことを見上げている。その表情は暗かった口元はわずかだが微笑んでいる。いつもの、俺にしか分からない微妙な光音の表情。こいつはこんな時だと言うのに、俺のことを心配している。自分のことより俺のことを気にかけている。
 ……なんだか、たまらなくなる。
 
「川波さーん、あったよーっ!」

 パタパタと駆けてくる音。見ると、階段を駆け下りてくる女生徒の姿――たしか、光音と同じクラスのヤツだ。その手には布製の袋がある。
 女生徒は光音の前まで来ると、その袋を手渡す。
 
「はい、制服。教室の中にあったよ」
「ありがとう……」

 渡された袋を胸に抱く光音。どこか無邪気にも見えるその仕草にホッとする。
 
「でも、だれが持ってちゃったんだろうね? 間違えたんなら更衣室まで持ってきてくれればいいのに」
「あったから、いい。……ありがとう」

 光音はそのまま更衣室に向かう。
 同時に、授業開始を告げるチャイムが鳴る。授業間の休み時間は短い。俺は走れば先生が来るまでに教室につけるだろうが、光音は遅刻してしまうだろう。
 
「高坂くん、急がないと遅刻しちゃうよ」

 背後からの守屋の声。だが、俺は……。
 
「すまない。ちょっとトイレ寄ってから行くから先に行っててくれ」

 言うなり、早足で光音の方へと向かい、隣に並ぶ。
 
「雅弘?」
「ほら、急ぐぞ」

 光音の手を取り早足で進む。
 
「ど、どうしたの?」
「トイレに寄るついでだ。……そんなにちんたら歩いてると、授業が終わっちまうぞ」

 慌てた様子の光音を強引に引っ張る。一人にはしておけないと思った。
 先ほど拳を握りこんだ痛みだろうか? いや、違う。これはもっと深い痛み――とっくに治ったはずの傷の、あるはずのない痛み……。
 その感覚を無視し、俺は光音を引っ張ってゲタ箱の方へと向かっていくのだった。
 汗ばむ陽気の中なのに、光音の手を”暖かい”と感じながら……。
 

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