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十日目
(1)
手の痛み



「で、今週も帰って来れないんだと」

 朝。通学路。
 いつものように少しだけ前を歩く光音に、俺は昨日の親からの電話について聞かせた。
 昨日の晩、夕食を終え光音が帰ってから電話があった。今度は本当に仕事が忙しくなって週末帰るどころではなくなってしまったらしい。
 ……それでは先週どうして帰れなかったのか突っ込みたいところではあったが、母さんの声があんまり疲れているのでそれ以上聞くことはできなかった。

「そう」

 光音の返答は、短い一言。前もそうだったし、ひょっとしたら前もって知っていたのかも知れない。

「じゃあ、土日のごはんは奮発する」

 前を行く幼なじみは、なぜか握り拳なんぞつくりながらそんなことを言った。

「え? なんでだ?」
「だって……」

 光音は歩みを止める。
 振り向き、俺の目をじっと見る。
 
「さみしく、ない?」
「……全然」

 たいして考えもせず俺はそう答えた。小学生のガキじゃあるまいし、一週間かそこら親と離れたからと言って寂しくなるわけもない。
 第一、「一人でいる」という時間を感じることは、この背の低い幼なじみのおかげであまりなかった。
 
「そ、そう?」

 なぜか光音は顔を俯かせる。そして、くるりと反転するとそのまま歩き出す。
 その足取りはいつもと変わらず小さく無駄なく静かなものだったが、心なしか楽しげに思えた。
 ……もともと光音は感情の表現が希薄で、だから近くにいる俺や旨美しかなにを考えているのかわからないことがよくあった。だからこいつの細かい変化は気に懸けるようにしていたし、だいたいわかるようにもなっていたのだが、最近はそれが進行したように思えた。
 ちょっとした仕草、ふとした表情の変化。それらが気に掛かる。
 なんでこんなに気になるんだろうか。
 ……って、考えるまでもない。
 なに考えてるのかわかりにくいんだからこっちが気をつかわなくてはならない。一緒にいる時間が増えているし、後ろをついてきていた光音は前を歩くことが多くなった。なにより俺はこいつをサイレント・フェスティバルで優勝させるなんて無理なことを考えているんだ。だから、前よりいろいろ気がつくようになって当然だ。
 それに……困ったことに”そう”なのは俺だけではないらしい。
 
 チラッ
 
 目の前で光音が腕時計を確認する。
 そのさまに、数人の生徒が振り返る。
 橘の馬鹿げた作戦。「時計を見る動作で目立ちすぎない程度に目を引く」は、驚いたことにそれなりの効果を発揮しているようだった。
 実際にこうして目を引くことも多いし、ホームページの書き込みにも「気にかかる」というコメントが散見される。
 光音は時計を確認すると、首を巡らし周りを見て……そして、歩く速度を落とした。
 光音は俺のすぐ前を歩いていた。もともと距離が近い。ぶつかりそうなほど光音の身体が近づき、俺はたたらを踏む。
 
「……どうした?」
「ん」

 こちらを振り向きもせず光音は一声発して、それからまた歩みを戻しいつもの「定位置」につく。
 そして、
 
「なんとなく」

 一言。
 なにかそれにもどかしいものを感じる。苦しいくらい、もどかしく感じる。
 だから、なんだろうか。
 
「もっと近くにいていいんだぞ」

 気がつくと、そんなことを言っていた。
 光音がピタリと足を止め、そして俺も同様に止まる。
 
 ……俺はなにを言ってしまっているんだろうか?
 
 なんとなくもどかしいさを感じた。それで思わず言ってしまったことだった。
 でももともとそんなに離れているわけではなかった。これ以上近づいたら腕を組んだり手を繋いだりして歩く、「つき合ってる男女の距離」になってしまう。光音とは背があわないので腕を組むのは歩きづらそうだ。となると手を繋ぐのが妥当かもしれない。
 って違うっ!
 なにを考えているんだ俺はっ!?
 
「大丈夫」

 いつもの静かで短い光音の一言に思考を寸断される。
 そして、光音はいつもと変わらない歩みを再開する。
 
「あ……」

 漠然と離れたくないと思って、俺も歩き始めた。
 しかし、近づきすぎたくなくて、いつも以上の位置になると光音と速度を会わせる。
 もどかしい。
 そう、思った。でもその理由がわからない。腹の中にドロドロとしたものを感じる。
 光音にこれ以上近づく必要なんて無い。
 考えてみる。こいつがさっき立ち止まったのは……おそらく時計を見る自分に視線が集まったからだ。人見知りの激しいヤツだから、気になったのだろう。
 なんだろう。俺はそれから守りたいとでも思ったのだろうか。
 
 ダダダダダダッ!
 
 軽快な足音。今は耳障りに聞こえるこの音は、おそらく……。
 
「雅弘ーっ!」

 旨美だ。背後から駆けてきている。
 こいつはどうしたこうややこしいところにばっかり現れるんだ。
 
「今日こそちゃんと殴ってやるーっ!」

 いつもと変わらない旨美の声。なんの気負いも迷いもない、バカな旨美らしい真っ直ぐな声。
 俺が悩んでいるのと関わりなく、日常はある。世界は動いている。
 当たり前のこと。
 考えるまでもない、考えること自体バカバカしいくらい当たり前のこと。
 それが……うざったい。

「るせぇっ!!」

 思わず――自分でも驚くほどの大声を上げていた。
 気がつくと、俺は珍しく旨美のことを「積極的」に投げていた。
 いつもはただ転ばすだけの旨美の突進を、力を導き突進力全てを転倒に回すべく操る。
 
「うわあっ!?」

 ズンガラゴロゴロゴロッ!!
 
 旨美がいつもとはひと味違った勢いでもって校門に向けて転がる。登校する生徒は誰もこのやりとりに離れているが、いつもと違うその強烈な転倒に驚きながら身を引いていた。
 旨美の転がる先、校門には風紀チェックをしている清水先輩の姿があった。
 
「ちょっとなに……きゃあっ!?」

 巻き込まれた。
 みんな慌てて避けるものだから、ギリギリまで清水先輩には旨美の姿が見えなかったらしい。
 もつれ合いながら二人は校庭へと転がっていった。
 
 ……まずい。
 
 あの二人が復活する前に校門をくぐり抜けなくてはならない。
 俺は駆け出し、そして視界の隅に背の低い幼なじみを認め、躊躇する。
 光音はまだ事態を理解していていないようだったが、それでも今の大転倒に驚いたように目を見開いていた。
 走っていけばおいていってしまうことになる。
 だから、俺は、強引に。
 光音の手を取った。
 
「ま、雅弘っ!?」
「急ぐぞ」

 ぶっきらぼうに言い、俺は駆け出した。
 光音の手を取り駆ける。それはいつかの幼い日を思い起こさせた。
 すると。
 ズキリ、と。
 握る手が痛んだように思えた。
 それは、昔光音の人形を壊してしまった手だった。痛むはずもない、傷痕が残っているはずもないその手が、確かに痛みを発したように思えた。
 

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