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「……なんか妙な雰囲気だよな」 授業の合間の休み時間。トイレで開放感を味わった帰り道。傍らの橘に、俺は素直な感想を漏らした。 期末試験を二日後に控えた休み時間の廊下。 廊下の一角では雑談しているものがいる。試験前と変わらない光景。だが、ふと目をやるとその手には教科書があったりするのが試験期間中ならではといった感じだった。 だが、それ自体ももう何度も経験した、試験前には当たり前の光景だ。 しかし、今はそれだけではなかった。 緊迫した中に、何かを待ち望む楽しげな雰囲気が混じっている……漠然と、そんなことを感じさせる奇妙な空気があった。 「……まあ、『祭り』の前だからね」 橘の言葉を聞くまでもなく分かっている。 祭り――サイレント・フェスティバル。橘に言わせれば、投票日は週末になるらしい。今日はもう水曜、週の半ばだ。それだけ近づけば確かに緊迫してくるだろう。 ふと、通り過ぎる女の子に目がいく。背の低いショートカットの女の子だ。 「……あの子も”候補者”として努力しているらしいな」 俺の視線に気づいたような橘の言葉。通り過ぎた女の子は、たしかにちょっと目を引くかわいい子だったが、それだけで特別には思えなかった。 「そうなのか?」 俺の疑問の声に、橘は鷹揚にうなずく。 「うむ。校則に違反しない程度に……と言うか、風紀委員に見つからない程度にわずかだが化粧をしているようだ。それに髪型がとても整っている。休み時間を利用して髪の手入れをしていたようだな」 「……目ざといな。でも、それだけで”候補者”と言い切れるのか?」 別にあのくらい、そういうことに気を使う女の子なら普段からやっていてもおかしくないように思えた。 「君は注意が足りないな。……今の女の子は、一年生だったぞ」 「それが何だって言うんだ?」 「一年生が休み時間、わざわざ別の階……二年生の廊下を歩く必要がどこにある? ”祭り”の為の自己アピールしか考えられないじゃないか」 「そうなのか……?」 そうして見ると、その女の子はなにか特別に思えた。ショートカットの一年生はB組の教室の前まで行き、 「すいません、武上信也はいますかーっ!?」 大声で教室内に呼びかける。そして、出てきた男子生徒に「おにいちゃん、わすれものだよ」なんていいながら何か包みを手渡していた。その大きさからすると……。 「……弁当を渡しているだけみたいだぞ」 なんか、肩すかしを食らったような気分だった。 「君は甘いな。妹が休み時間に兄に弁当箱を渡す……これ以上ないくらい好印象だ。武上、か。あとでチェックしておくか……」 メモ帳を取り出し書き込み始める橘に、俺はやれやれと肩をすくめる。 ドドドドド 「ん?」 なにやら地鳴りのような音。だんだん近づいてくる轟音。一瞬旨美を思い浮かべたが、あのバカは小柄だ。こんな重い音は出せないはずだった。 「なんだ?」 振り向く先にいたのは……。 ネコミミを装着ししっぽを揺らして爆走するに身を包んだ背の高い女生徒だった。 結構美人だ。 いや、そうじゃなくて……なんなんだ? あまりのことに一時呆然とする。 「山岸またあたしにこんなものつけてどこいったあんたはーっ!?」 ドドドドドドドドッ! すごい勢いで走る女生徒――見覚えがある。確か、祥子といったか――は周りの生徒を押しのけ、ついでに俺も押しのけて走っていった。 「あ……」 押されてバランスを崩し、たたらを踏む。と、急に足下から床の感触が消えた。 「!?」 正面には橘の驚く顔。視界の隅には手すりが見える。そして重力にしたがって後ろに引かれる自分の身体。そのどうしようもない感覚。 そう言えば、階段の近くを通っていたような……。 か、かなりまずいっ! このままじゃ落ちるっ!? 「まかせなっ!」 後ろから、凛とした声が響く。聞き覚えがある声。聞き慣れた声。 これは……。 「俺が受け止めてやるぜっ!」 この声は……間違いない、旨美だ。あのバカだ。いつもどおりの何も考えていないような声だ。しかし今だけは天使の歌声のように俺の耳に響いてくる。あいつの力なら俺を受け止めることは十分に可能だろう。それに頑丈だから押しつぶしても問題なし。最悪クッションにはなってくれる。 ……瞬間的にそこまで考えが進み、気を抜きかける。 「……拳でっ!」 「!?」 なにか今理解できない言葉が俺の耳を通り抜けた。 文脈が繋がらないと言うかなんというかとにかく猛烈に危険を感じる。ピンチがデンジャーで危険がクライシスという感じだ。一言で表現するなら……戦慄。 混乱する思考の中、俺の身体が行ったのは、本能にしたがった無意識の動作。 必死に落ちまいと踏ん張っていた足を、逆に大きく蹴った。落ちる軌道と速度を変えるために、力強く床を蹴ったのだ。まともな思考ではできない危険行為だ。 そして身体が宙に浮き……落ちていく。 「撃墜っ!!」 風を切り裂く轟音がとんでもないかけ声と共に俺の脇を通り抜けた。 それはたぶん旨美の拳だったんだと思う。 ……背筋が凍りつく。 それも一瞬のこと。 足が階段にひっかかり、背中から倒れる。なんとか身体を丸め両手で後頭部を保護する。そのまま俺の身体は転げ落ちていった。 どん、という衝撃と共に止まる。どうやら階段の踊り場の壁にぶつかって止まったらしい。 「痛て〜」 体中が鈍い痛みを訴え、俺は思わずうめいていた。 「大丈夫かい、雅弘くん?」 上からの声に、俺は痛みをこらえパタパタと手を振る。 転がる最中、なんとか重要な部分は守った。それに、ただ転がるだけではなく可能な限り衝撃も逃がそうとした。その努力のおかげか、痛みはあるものの深刻なダメージは受けていないようだ。たぶん打ち身程度。捻挫すら免れたようだ。運も良かったらしい。 ほう、と息を吐く俺に、無遠慮な声が落ちてくる。 「なんだよ、受け止めてやったのに」 こっちは床に座り込んでいるというのに、あまり距離を感じさせない高さから話しかけてくる背の低い幼なじみ。 見上げると、見慣れた顔が憮然とした表情をうかべている。 バカ一直線の旨美だ。 「拳で……とか言ってなかったか?」 痛みと不満に顔をしかめ問いかける俺に、旨美は得意げに小さい胸を大きく反らして言った。 「ああいうヤバい時には自分が最も信頼するものを使うのが基本だぜっ! それに加減したから全然オッケー」 そんな気配は微塵もなかったような気が。ぶつけずに済んだ頭が、ズキズキと痛んできたような気がした。 「”撃墜”とか言ってなかったか?」 「それは……」 旨美はぐいっと親指を立て、 「気合いを入れるためだぜっ!」 迷い無くきっぱりと言った。 あんまり潔よく言うから、旨美がちょっとだけかっこよくと見えた。 なんかどうもまともに話してもらちが明かない……そんなどうしようもない絶望感を振り払うように、俺は頭を振りつつ立ち上がる。 「ほんと、お前には欠けてるよな……」 「なにがだよ」 「かわいげが」 「は?」 「それも、致命的に」 「なっ……!?」 俺の言葉、理不尽にも旨美は不満げな表情をとる。 「て、てめえ俺がかわいくないって言うのか?」 「なにを意外そうに言ってるんだお前は」 「先輩からはかわいい、とかけっこう言われてるんだぞ……」 珍しく小声でそんなことを言う旨美。俺はそれをハン、と鼻で笑う。 「先輩って?」 「じょ、女子の先輩だけど、でも……」 「社交辞令」 現実をひとことで告げてやった。 「な、なんだとっ……!」 まだ食い下がってくる。 やれやれと肩をすくめる。ずきりと肩が痛んだ。 こんなバカと話していてもしょうがない。保健室に行くべきだろうかと考えながら旨美に背を向ける。 すると、 「待てよ雅弘」 呼び止められた。 うんざりと振り向くと……。 旨美が、構えていた。 両拳を口元につける独特の構え。 これは確か……ボクシングで言うところのビーカーブースタイル。 こいつやる気なのか? 俺は無意識に構えをとる。このバカに負ける気なんて全然しないが、それでもこの至近距離にこのコンディションでは間違いが起こるかも知れない。 嫌な汗が背中に流れる。 しかし、旨美の構えからは不思議と攻撃の意志が感じられなかった。旨美はいつもそれこそ分かりやすいくらい攻撃の意図が感じられる。だからいつも先手を打つことができるし、それにいいようにあしらうことが出来るのだ。 しかし今はそれが感じられない。転げ落ちたショックで感覚が鈍くなっているのだろうか? だから、次に旨美のしたことは完全に予想外だった。 旨美は、首を傾げはじめた。 理由はわからないがそれは旨美にとってかなり無理な動作のようで、首からはバキバキゴキキとすごい音がしている。 「……何のつもりだ?」 旨美は無言。 そして、旨美は首を斜め四十五度まで曲げるとようやく動きを止めた。そして、 「エヘッ」 棒読みで、そう言った。 「ぐっ……あ!」 俺は苦痛に身を折り曲げた。 ああ、わかっている。これは物理的な攻撃じゃない。旨美がかわいこぶった動作をした……その事実による、物理的な痛みさえ誘発する精神攻撃なのだ。 まさかこいつにこんな攻撃があったとは……不覚だ。 だが、この攻撃は諸刃の剣だ。 技を仕掛けた旨美の方も苦しそうだった。おそらくその胸中は自己嫌悪の嵐に違いない。やつもまた『物理的な痛みさえ誘発する精神的ダメージ』を受けているのだろう。 しかし、それでも旨美はまだ動いていた。そう、後かたづけが必要だ。 ゴキゴキバキキと首の崩壊する音を立てて、ようやく首は元の角度に戻った。 これでようやく元通り。ホッと息を吐く。唯でさえ階段オチなんて言うダメージを受けているのだ。これ以上の防御不能な攻撃はたまらない。 しかし。 恐ろしいことに、旨美はまだ動きを止めてはいなかった。首はさらに動き続けている。 逆の、左45度を目指して。 二度目の「エヘッ」をやるために……!! 「やめろっ……! それ以上はっ!」 俺にとってもお前にとっても致死量だっ……その言葉を続ける前に、 「エヘッ」 再び、旨美の引きつった微笑み。 相当無理をしているのか、その顔は青い。 「うっ……うわあああああっ!!」 俺は恐怖に負けて叫ぶ。もう、もう耐えられないっ! そして旨美の胸ぐらを掴むと壁に押しつける。身体が痛むが、そんなことは関係ないっ……! 「旨美、お前はっ、お前はっ……!」 「うあ、高坂が一年生を襲ってるっ!」 突然、階上からの声。 見れば階段の上にはちょっとした人だかりが出来ていた。 みんな好奇心まんまんだ。……まさかあの人だかり、全員サイレント・フェスティバルの関係者じゃないだろうな……。 その中に一つ、よく見知った顔。 「あ……」 一声残し、小さな三つ編みを揺らして立ち去っていったのは……守屋だった。 なにか、誤解を受けてしまったような気がする。 落ちる前、廊下に守屋の姿は見かけなかった。もし俺が旨美の胸ぐらをつかんだ所だけを見たとしたら……。 変な誤解をされてしまったような気がする。 なんだか胸が痛む。身体を丸めて転がったからそんなところを打ったわけではないのに、痛みを感じた。 「雅弘?」 珍しく心配げな旨美の声。 「雅弘、そんなに痛むのか?」 「ガラにもなく心配なんかしてるんじゃない」 振り払うように手を向ける。 「別に、大丈夫だ」 そして、階上の人だかりに顔を向ける。 「見せものじゃないし俺とこいつにそーゆーことがあるわけないだろう? いつものアレだ、アレ」 言うと、「なんだそうか」「今日は地味だな」とか口々に無責任なことを言ってギャラリーは立ち去っていった。 なんだか保健室に行くのもかったるくなって、俺はそのまま教室に戻った。 実際、行くほどの怪我はなく、授業の最中に痛みはほとんどひいていた。 ただ時折感じる守屋の視線が……なんだか、痛かった。 | ||
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