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「ただいまーっ」 結局これと言ってやることもなく、俺は家に戻ってきていた。 玄関に入り声をかけると、パタパタと駆けてくる音。 エプロンと三角巾を装備した光音だった。エプロンはいつもと違うもののようだった。どうやら掃除用らしい。色はやはり白。三角巾も当然白。いつもながらモノトーンなヤツである。 「おかえりなさい」 光音は、普通に迎えてくれた。 朝の一件が頭をよぎる。 ――まあ、別に普通に接すればいいだろう。別になにが変わるって訳でもない。 黙りこくる俺に、光音はわずかに首を傾げ疑問の視線を投げかける。 まずいな。なにか話しかけないと。 「掃除はもう終わったか?」 「だいたい」 見ると、玄関から伸びる廊下は心持ち綺麗になっていた。別段汚れていたわけではない。それでも綺麗になったと感じると言うことは、見えないところでそれなりに汚れいていたらしい。 「あとは、雅弘の部屋」 そう言って、光音は階段を指さす。階段の先には、俺の部屋がある。 「五分あげるから、見られたくないものを片づけておいて」 言うと、光音は去っていった。 ……見られたくないもの、か。 階段を上り、自室へとはいる。ベッドの下に手を伸ばすと、固い物が触れる感触。 引き出す。 十数冊の本。この中には様々な美しい写真がいくつも収められている。具体的にはかわいい女の子の生まれたままの姿だったりくんずほぐれつの姿だったり。とにかく、青少年を熱くさせずにはおかない珠玉の本たちだ。 光音は、これを見つからないところに隠せと言うのだろうか? ものわかりのいい幼なじみというのも困りものである。それだけものわかりがいいのだから、別に隠さなくてもいいのかもしれない。 が、しかし。 それは敗北ではないだろうか? そもそもそういうものを本当に気にしないのなら、わざわざ”五分あげる”などと言い出すはずがない。つまり、これは挑戦だ。見つからないように隠してみろという、光音からの挑戦なのだ。 しかし、隠すとしてどこにすべきか? ――ベッドの下。 いや、オーソドックスすぎる。こんな誰でも思いつく場所、見つけられる可能性大だ。なぜいままでこんな危険なところに隠していたのか不思議なくらいだ。しかも見つかってしまったら「こんなつまらない場所に隠すしかなかったのか」と冷たい目で見られること必至。プライドにかけて、これは避けねばならない。 ――本棚の中にさりげなく置く。 木を隠すには森の中と言う。これは実際有効な方法だろう。しかし、背表紙がやばい本は結構ある。見えないように前後を逆にして収めるという手もあるにはあるが、それはそれで目立ってしまい逆効果気味だ。 ――別の部屋に隠す。 光音はこの部屋を掃除すると言っていた。ならば、一時的に他の部屋に待避させておけば絶対にばれない。しかし、それは”逃げ”に過ぎない。それはやはり敗北だ。それに、もし万が一なにかの拍子にみつかりでもしたらそれはそれで極めて気まずい。 制限時間はもうわずかしかない。 そして、隠す場所も手段も限られている。 どうする? どうする? どうする? そうだ、こう言うときは逆転の発想だ。 隠すと見つかるのだから、隠さなければ見つからない。 俺は、隠すべき本を勉強机の上に載せた。整然と積み上げ、その上に同じサイズの教科書を乗せる。背表紙は見えないように、端に寄せておく。 完璧だ。 ここまで堂々としてればわかることはないだろう。 そもそも掃除は汚かったり散らかっていたりするところに対して行うもので、もとから整った場所は無視されるはずだ。 まあこんなところにあっては勉強に差し障りがあるからちゃんとした置き場所はあとで考えなくてはならないだろうが、今はここがベストポジションだ。間違いない。 俺が自分の判断に満足していると、 コンコン ノックの音。 「もう、いい?」 光音だ。俺は 「ああ、バッチリだ」 自信を持って、光音を招き入れるのだった。 ・ ・ ・ それから、俺は部屋から追い出されて居間にいた。適当につけたテレビをぼんやり眺め時間を潰す。ふと気づいて時計を見ると、もう30分も経っていた。 光音はまだ二階から降りてこない。 広い部屋じゃない。掃除なんて10分程度もあれば終わるはずだ。よほど丁寧にやってくれているのだろうか? それとも、まさか……。 いや、あり得ない。俺の作戦は完璧なハズだ。 しかし、万が一と言うこともあり得る。 そう思うと、いてもたってもいられない。俺は居間を出ると、音を出さないように慎重に部屋の階段を上る。 部屋の扉は開きっぱなしになっていた。掃除中はほこりが出るから、換気のためだろう。 中から音はしなかった。おかしい。掃除機の音がしてもいいはずだ。何かを整理しているなら足音ぐらい聞こえてもいいはずだ。 俺は足音を忍ばせ扉まで近づきおそるおそる中を覗き込んだ。 光音はなぜか、カーペットの上に正座して座っている。位置は勉強机の近く。机の方を向いているので、こちらからは後ろ姿しか見えない。 勉強机の上に視線を向けると……先ほど積み上げた本の山が崩れていた。 ……崩れていた。 く・ず・れ・た、だとうっ!? 思えばけっこう冊数があった。それが高く積み上げられていたのだから、安定性は悪かっただろう。ちょっとぶつかれば崩れてしまってもおかしくはない。きっと掃除中にぶつかるかなにかして、本の山が崩れてしまったのだろう。 って冷静に分析している場合じゃない……! 俺の作戦はもろくも崩れ去ってしまったのだ。ああ、なんてことだ。なんてことだろう。これが「策士策におぼれる」というやつだろうか。なんか微妙に違うような気もするが。 しかし、それにしても……光音は座り込んで何をしているのだろうか? こうして光音の小さな後ろ姿を見ていても仕方がない。 「おい、光音……?」 俺が声をかけると、光音はそれこそカミナリにでも撃たれたかのように ビクウッ。 と震えた。そしてゆっくりとこちらへ振り向く。 その顔は大丈夫かと心配になるくらいに真っ赤だった。 「ま、雅弘っ!?」 身体を振り向かせながら立ち上がろうとする。しかし慌てた上に無理な動作のせいで、光音は足をもつれさせてしまう。 ポフッ、バサッ。 光音がベッドに腰を落とすと同時に聞こえたのは、本がカーペットの上に落ちる乾いた音だった。 開いたページには見覚えがある。それは、よりにもよって俺の宝物の中でも最もヤバい本だった。橘経由で入手した、一生の宝にすると心に誓った逸品である。 まさかこの本を選ぶとは……。しかもこれを正座して読んでいたのか。侮れないヤツである。 「ま、まさひろまさひろっ!」 右手を口元に当て、左手をばたばたと動かし本を指さす。 「大変、大変なの……!!」 光音はバタバタと俺の宝物を指さしている。 開かれたページには、まあなんというかとてもプロポーションの良い女性があまり服を着ない状態でベッドの上に寝そべり、その上に男がのっかってたりする青少年の心を揺さぶらずにおかない写真が鮮明にくっきりとのっている。それが、大開き。 確かに、大変だ。だが。 「大変なのはお前だ」 いや、それは俺の方なのかも知れない。ため息が出る。 大変なのは確かだが、光音の方があまりにも慌てているせいで、俺はかえって落ち着いてしまっていた。 「すご、すごくてすごいのっ……!」 「まあ落ち着け」 そう言って、とにかく光音の方に向かう。 弁解のしようもないこの状況にうんざりする。 と、足にひっかかりを感じる。それがあまりの予想外のタイミングだったので、俺は大きくバランスを崩してしまった。 倒れ行く視界の隅に、掃除機があったような気がした。 「きゃっ!?」 ボフッ。 「てて……」 「痛い……」 なんとか、上半身を起こす。 ベッドの上に倒れ込んだはずなのに、下の感触はベッドとは違う柔らかさだった。 首筋をくすぐるようにあたる息づかい。それにつられ、下を見る。 そこには、光音がいた。そしてようやく状況を理解する。 光音の上に覆い被さるようにのっかっているのだ。 体勢として、非常にまずい。まずすぎる。何がまずいかって言うと、今もカーペットの上に転がっているあの本の開かれたページと、ほとんど同じシチュエーションだと言うことだ。 光音の顔は、耳まで真っ赤に染まっている。透けるような白い肌の下が紅く染まり、まるで夕日に照らされる静かな水面のように……その、”綺麗”、だった。 黒く大きな、潤んだ瞳。 しっとりと湿った唇。 その全てが小さい。簡単に包み込めてしまいそうなほど小さい。 光音の顔。吸い込まれるように、俺は目を逸らすことが出来なかった。 「早く、どいて」 「あ、ああ」 光音の言葉にようやく我に返る。しばらく、動きが止まっていたようだ。心臓が、やけにうるさく鳴っている。 「雅弘、エッチだぁ……」 とがめるような口調。そして、光音は恥ずかしげに顔を逸らす。 たぶんそれは、あの本のことを非難しているのだろう。そして、今の状況のことを言っているのかも知れない。 しかし、なんだか納得のいかない言葉だった。 俺はぴたりと動きを止まる。 怪訝な顔で俺を見上げる光音。 「なにがエッチだよ。お前だってあの本見てたんだろう?」 「!」 それ以上はもう無理だろうと思っていた光音の顔がさらに赤くなったように見えた。 「だ、だって……」 「お前だってエッチだ」 「だ、だってだって」 イヤイヤと首を振る光音。ひどくかわいい、そのさま。 今、その全てが俺の下にある。その事実に、クラクラする。 心臓の音がうるさい。他の音が何も聞こえない。 重力に逆らえない。俺はゆっくりと光音に近づいていく。 「雅弘……?」 不安げな、光音の声。 俺は……。 ピピピピピピピッ! 突然の電子音。 反射的に、俺は立ち上がり光音から距離をとる。 やかましいその音は、机の上の電話の子機から聞こえる。 俺は電話をとろうと、 ズダダダダダッ! あえて階段を下り、階下の親機の方へ向かった。 あの部屋にあのままいるのはとてつもなくヤバく思えたからだ。 下につくと同時にわずかな間もおかず力任せに受話器をひっつかむ。 「もしもしっ!?」 声も力任せになってしまった。 「やあ、雅弘くん。元気そうだね」 「橘?」 「今日はあれからまた清水先輩に捕捉されて大変だったよ」 「あれからって……」 そうだ。ほんの1時間ほど前、俺は走り抜ける橘と、それを追う清水先輩に会ったのだ。 なんだかもっと時間が経っているような感覚だ。 「ああ。あの後も大変だった。それより、僕たちは急がなくてはならない。君も気づいているかも知れないが、清水先輩は”アレ”に気づき始めている」 ”アレ”とは、サイレント・フェスティバルのことだろう。そうか、電話であの名前を出すことに気をつけなくてはならないほど、状況はさしせまったものになっているのかもしれない。 思考を巡らす。先ほどの出来事を頭の隅に追いやり、俺はとにかく橘との会話に集中しようとした。 「そ、そうか。それは大変だ」 「ああ。早めに行動しなくてはならない。……開票は次の日曜あたりになると予想される」 「もうそんなに近いのか……」 「そうだ。だからもう明日には川波光音に例のアクセサリをつけて登校させるんだ」 「え?」 「まあ、もう渡したとは思うが、なんとか明日からつけてくれるようにし向けてくれ。じゃ」 そう言って、一方的に電話を切った。 そうだ。昨日はなんだかんだで私そびれてしまったが、俺はアクセサリを光音に渡さなくてはならないのだ 「雅弘」 後ろからの突然の声に、心臓が跳ねる。振り向くと、光音がいた。 手には折り畳んだエプロンを持っている。その顔はまだ上気している。 「一度帰る。夕方また来る」 そう告げると、光音は玄関の方に向かう。 家を出ようとするとき、ふと振り向く。 そして、俺の方を指さし、 「エッチなのは雅弘」 そう一言。 一言だけ残し、光音は去っていった。 俺はあの光音に、これからアクセサリをプレゼントして、明日にはそれをつけて登校するようにしなくてはならない。 「……どうしろと」 混乱する思考の中、俺はそんな言葉を呟いていた。 | ||
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