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五日目
(1)
休日の朝



「あ?」

 目が覚めた。
 今日はとんでもない音もなく、幼なじみの姿もない。
 ひどく自然な気持ちの良い目覚めだった。

「えと……」

 土曜と言うことで、タイマーを止めておいた目覚し時計を見る。
 時間は……。
 
「いつもと変わらない?」

 光音に起こされる時間だった。
 休みにしては早すぎる時間。
 寝直そうとすると、
 
 グウ
 
 腹が鳴った。
 胃袋はとても健康に活動してくれているらしい。
 最近朝をきっちりしっかり食べているのが原因だろうか。
 それすらも無視して眠ろうとしたが、しかし目ははっきり覚めてしまっていた。
 寝直すことも不可能ではないが、そうなると昼からの橘との待ち合わせに間に合わなくなるかもしれない。それに、空腹のまま寝ると目覚めが良くない。
 
「しかたないか……」

 とりあえず何か腹に詰めようと部屋を出る。
 たった4日間だというのに、俺の体にはすっかり健康的な生活が染み付いてしまったようだった。
 
 グウ
 
 また腹が鳴った。
 ……ひょっとして、こういう状態を”餌付け”というのではなかろうか。
 ちょっと嫌な気分になる。
 階段を降りていくと、いいにおいがしてきた。
 そして、降りる音にまぎれて”トントン”という軽快な音が聞こえてくる。
 1階まで降り、台所に近づくにつれ大きくなるその音は間違いない。
 
「光音が料理してるのか……」

 台所に入ると、光音が流しに向かっていた。いつもより背が高く見える――と、視線を落とせばそこには台があった。光音は台に乗って料理をしているのだった。
 うちの台所は別段大きいわけでもない。だから光音も別に”高すぎて手が届かない”というわけでもないだろうが、それでもあの背の低さではやりづらいことも多いのだろう。苦労の多いやつである。
 ”トントン”という音は、やはり包丁の音だった。その音にほっとする俺は古風なのかもしれない。
 いや、その音以上に……俺は光音がいると言うことに安堵感を覚えていた。
 
「おはよう」

 俺の挨拶に、光音が振り向く。
 涼やかに髪を揺らし、背の低い幼馴染は振り向いた。朝日を浴びて、その黒髪一本一本が光を跳ね、輝くようだった。
 台の上にのっているせいもあり、その様はまるでそのまま精緻なからくり人形のようだ。
 そして光音は口を開く。その第一声は……。
 
「パジャマ」

 光音の小さな人差し指が俺の胸の辺りを示している。確認するまでもなく、着替えていない俺の着衣はパジャマだった。
 
「休日なんだし別にいいだろ?」
「ちゃんとしないとダメ」

 そしてまた料理へと向きなおる。
 これじゃまるで子供扱いみたいだ。
 
「お昼は何が食べたい?」

 光音の問い。
 母親のような言葉だった。
 ……本当に子供扱いされているような気がしてきた。
 なんかシャクだ。
 ならば大人のギャグでもいってみよう。
 
「お前が食べたいーっ!」

 ふざけて後ろから抱きついてみる。
 ……大人のギャグと言うよりおやじギャグだった。
 腕の中にある、小さな光音の身体。
 ふと、違和感を感じる。
 すぐに気づく。光音が全く身動きをしていないことが原因だった。いや、息をしているのかも怪しいぐらいの静止加減は「固まった」と表現した方が正確かもしれない。
 てっきりすぐに怒るなりなんなりしてくると思っていた俺は、なんだか予想外の光音のリアクションにどうしていいかわからなくなってしまった。
 抱きしめてみて、改めてその細さに驚く。最近は特に見なれているものの、それでも簡単に腕の中に収まってしまうその小ささは驚きだった。昨日の朝はよくわからなかった、細い肩。見た目以上に華奢で、思った以上に柔らかかい、光音の身体。髪からは、ふわりといい香り――シャンプーの香りだろうか?――がした。
 心臓が、ドクンと一つ高鳴る。
 それは一度でおさまらず、一つ二つと繰り返され、次々と大きくなっていく。その音が大きすぎて、周りの音が何一つ聞こえなくなるような錯覚。
 まずい。この状況はとてもまずい。
 
「もうっ……ふざけないで」

 ようやく光音が声を出してくれた。漠然とホッとし、微かに残念に思う。
 その意味について考える間もなく、光音はわずらわしげに俺の手を取った。
 
「料理ができないっ」
「……あ、ああ。すまなかった」

 ギャグ不発な上にろくなリアクションがとれなかった。……情けないことこのうえない。俺は素直にあやまるほかなかった。
 そして光音から離れようとし……。
 
「お、おいっ!?」

 異常事態に気がついた。
 光音は俺の手をどかすのではなく、こともあろうにまな板の上にのせたのだ。
 
「お料理は手順が大切なんだから邪魔しちゃだめ」

 そして、とても自然で無駄のない動きで包丁を構える。その一動作からも光音が料理に長けていることが伺える。
 ……ってそんな冷静に分析している場合じゃない。
 
「ちょっと待て光音っ!?」
「なに? すぐに切っちゃうから邪魔しないで」
「な、なにを作るつもりなんだお前は」
「……みじん切り」

 み、みじん切り?
 光音の口調は、何を聞いているんだという感じでふざけている様子はまるでなかった。
 本気で怒ってるのか? 躊躇なく俺の腕を切り刻むほどまでに怒っているのか光音っ!?
 
「すまなかったっ! 勘弁してくれ〜」

 俺は情けなく声をあげた。
 光音は何を行ってるんだろうと言う顔で俺の顔を見、次にまた板を見る。
 その視線の先には、まな板の上で恐怖でふるえる俺の手がある。
 
「わ、わたし何やってるんだろう……?」

 カラーン
 
 台所のレンジの上に包丁が落ちる。
 そのまま光音はわたわたと俺から逃れるように手を振る。
 
「お、おい危ないって……」

 そして……。
 予想通り、光音は台から足を踏み外した。
 
「キャッ……!?」

 が、最初からわかっていた事態だけに俺の対応は素早かった。
 光音の小さな身体を軽く抱きとめる。
 背中を左手で支え、膝の裏のあたりを右手で支える。
 いわゆる、「お姫様だっこ」というヤツだ。
 
「軽いな」

 俺は持ってみた感想をそのまま口にしてみた。
 光音はその言葉に顔を真っ赤にして縮こまってしまった。
 なんとなく気まずい沈黙が降りる。
 

 ぴんぽ〜ん

 
 呼び鈴が鳴る。間が取れない所に、それは助け船のように感じられた。
 ふと、何の気なしに視線を落とした。
 光音と、目があった。
 動きが、止まる。
 

 ぴんぽ〜んぴんぽ〜ん

 
 まず冷静に考えよう。
 光音を降ろさなくてはならない。そのあととりあえず謝ればいいのだろうか。謝らないといけないだろうな。もともとは子供っぽい反発心からこんな状況を招いてしまったのだ。
 まず、俺が謝るべきだと思う。

 
 ぴ・ぴ・ぴ・ぴんぴんぴぽぴんぽ〜ん

 
 でもこいつがこけたのも良くない。そのフォローをしたのだから感謝をしてもらっても良いはずだ。だいたいなんで未だに見つめ合ってるのだろう?
 早く目を逸らして欲しい。なんだかよくわからないが動きづらい。

 
 ぴぴぴ、ぴ、ぴぽぴぽぱぴぴぽぽっ!!

 
 だいたいこいつは同い年だというのになんでこんなに軽くて両手にすっぽりとおさまってしまうのだろうか? いつも人形みたいなのに腕の中にあるこいつは壊れてしまいそうな華奢に感じられる。
 不安げな視線。胸元にを押さえる小さな手。
 手を離したら壊れそうに思える。
 そんなことばかり気になって、ちっとも考えがまとまらない。
 

 ぴぱっ! ぷぺぽぱぴぴぴぴぴんっ!

 
 ……考えがまとまらない……。

 
 ぴっぽぽぽっぷっ、ぺぺぺぱぱぱーん

 
 ……考えが……。

 
 ぴっぴっ! ぱぱぱぱーんっ! 
 ぴんぱ! ぱ! ぱ! ぱ! ぱ! ぴぱーっ!!


「は〜いっ!」

 あまりのうるささに、俺はやけくそ気味に答えていた。
 そのままいらだち紛れに俺は玄関へと向かった。
 一回でわかるのになんであんなに連打するっ!? しかも家の呼び鈴でどうやってあんな非常識な音を出してやがるっ!
 やや手に扱いづらいものを感じながらも、勢いに任せドアを開ける。
 
「やあ」

 そこにいたのは俺の悪友――橘だった。
 
「約束は昼だったが、午前中のうちに作戦会議でもしておこうかと思って……」

 そこまで言ったところで、橘は視線を落とした。
 
「どうも邪魔だったらしいね。やっぱり昼からにしよう」

 バタン。
 言うと、ドアをしめ立ち去る。
 
「なんなんだ……?」
 
 いきなり橘が現れたこと。そしてすぐに立ち去ってしまったことで俺は勢いをそがれた格好になってしまった。 そして、橘の言葉が気にかかる。
 
「……邪魔?」

 視線を落とし、橘が目を向けていたものを見る。
 エプロンと胸元を押さえる小さな手。
 黒髪に隠れながらも真っ赤に染まっているのがわかる顔。
 俺の腕の中、小さな幼なじみいた。
 
「やだ……」

 俺の視線を避けるようにわずかに顔を背けつつ、声を漏らす光音。
 ああ、どおりでドアを開けにくいと思った。
 いくら慌てていたとは言え俺も随分ボケていたものだ。
 ……。
 ………。
 …………。
 
「ってうわーっ!?」

 一番見られたくない相手に一番見られたくないところを見られてしまったようなっ!?
 激しく後悔する。
 そんな俺を、胸の中の光音は困ったように見上げてた。


 

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