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一日目
(12)
夜道



「ごっそさん……うまかったぜ」
「そ、そう?」

 俯きながら靴を履く光音。
 食事を終えた俺は、今日のシェフだった光音を送り出そうとしていた。
 光音のつくった夕食はなかなか豪華だった。
 
「今日は初日だから」

 そう言って、光音はいつものように微かに笑っていた。
 
 
「じゃあ」

 立ち上がり、ドアを開く光音。
 街灯があるとは言え、扉の外の薄暗い闇の中にある。
 ただでさえ小さい光音の身体は、そんな中いつも以上に小さく見えた。

「やっぱり送ってく」

 俺は下駄箱からサンダルを引っかけ、光音の後に続いた。

「近いから……いい」

 光音の言葉を無視し、脇に並ぶ。
 光音は仕方ないと言った感じでため息を吐き、そのまま歩みを進める。
 と。
 突然、ピタリと止まると光音は背後を指さした。
 俺の家の、玄関の扉の、ノブ当たり指さしている。
 
「鍵」

 短く、一言。

「別にいいだろ」

 光音の家は近い。俺の家から十軒と離れていない。それこそ目と鼻の先だ。
 
「だめ。一人暮らしなんだから、しっかりする」

 ちょっと口うるさいと思った。しかしこれで逆らったらまるっきり子供だ。
 仕方なく、俺はドアを開け下駄箱の上にとりあえずおいておいた鍵を持ってくる。ドアにきっちり鍵をかけたところで、ふと気づく。
 
「そういえば光音。朝はどうやって入ったんだ?」

 問うと、光音は胸元をごそごそと探りはじめた。
 普通なら少しはドキドキするシチュエーションだが、相手が幼児体型の光音だけにそういう雰囲気にはならなかった。
 そして取り出されたのは、鍵だった。
 鍵には紐がついていて、光音はネックレスのように首からぶら下げていたらしい。
 
「合い鍵」

 両手でそっとその鍵を抱きながら、光音は静かに答えた。
 その仕草に、飾り気のない鍵がまるで宝物のように見えた。

「別にそうまでして持ち歩くことはないだろう?」
「なくしたら大変」

 光音はそう言うと、再び懐に大事そうに鍵をしまう。
 最後にポンポン、と胸を軽く叩き、鍵がおさまったのを確認すると、
 
「行きましょ」

 と、俺の返事を待たず歩き始めた。
 
 光音の家は近い。
 しかし、それでも別に一瞬でつくわけではない。
 短い時間だが、いまはそれが長く感じられた。
 
 こうして光音の家に行くのが、思えば久しぶりだからかもしれない。
 中学まではクラスが同じだったこともあり、学校の行き帰りはいつも一緒だったしこうしてお互いの家を行き来することも多かった。
 しかし、高校になってクラスが変わってからはそうではなかった。

 クラスが変わり、微妙に帰りの時間が変わった。

 光音は自分から俺と帰ろうとはしなかったし、俺も新しいクラスでの友達づきあいなんかもあった。だから、わざわざ光音と待ち合わせたりはしなかった。
 それに、ひどく大人びて見える上級生に、なんていうか”異性”というものを感じて、女と接するのが微妙に恥ずかしいというかイヤというか。そんな時期があった。
 子供っぽい外見の光音が女っぽく見えたわけではない。ただ、なんとなく……いっしょにいると、冷やかされそうな気がしてしまったのだ。

 どれもこれもそういったつまらないことばかりだ。気にもかからない小さな事ばかりだったので、だがら気がつかない間に降り積もり、そしてそれが「当たり前」になっていた。
 
 光音といる時間が少なくなったのは、そんな理由からだった。
 
 普通、そんなことになったら少しは寂しいとか思ってしまうかもしれない。
 
 でも光音は、子犬のようにどこにでもついてくるのに、猫のようにいつも一定の距離を置いてくる――そんなヤツだった。いるのが当たり前で、いないくてもそれはそれで特別なことに思えない。だから、こうした変化もそんなに気に掛からなかった。
 
 光音がそばにいると言うこと。
 光音がそばにいないと言うこと。
 当たり前だったことが、当たり前ではなくなったこと。
 当たり前ではなかったことが、当たり前になったこと。
 俺は知ってはいた。でも、あまり考えたことはなかった。
 
「ね」

 光音の短く問う声。つかの間の思考に捕らわれていた俺は、わずかに反応が遅れる。
 
「な、なんだ?」
「明日は、何が食べたい?」

 それがまるで昔からずっとそうだったかのように当たり前に言うので、俺は思わず笑みを漏らした。

「?」
「そう言えばお前、昔は料理下手だったよな?」
「!?」
「中学の頃、家庭科の授業で作ったクッキー。アレはひどかったな。触っただけで崩れるし塩辛いし……それが”明日は何がたべたい?”か」

 意地悪く言う俺に、光音は怒ったふうでもなくただ驚いたような視線を向けていた。

「覚えてたの?」

 光音は、クッキーの事を気にしているようだった。

「忘れるほどインパクトの弱いものじゃなかったろう」

 憮然とする光音。
 
「全部食べたのに文句言わない」
「……そうだったか?」

 光音はそのまますたすたと行ってしまう。
 歩を早め、追いつく。
 ふと、それが、そんな位置関係が過去なかった事に気づく。
 子犬のようについてくる光音はいつも後ろにいたし、猫のように距離を置くから後ろを見なければいるかどうかわからなかった。
 しかし今、こいつは俺の前に、いつでも視界の中にいる。思えば今日は、こいつに引っ張り回されることが多かった。
 なんでそんなことにも気づかなかったのだろうか。
 
 何も変わっていないと思っていた。
 しかし、いくつも変わっていることがあった。
 俺は、変わっていないと「思いこんでいた」だけなのか。
 それとも、変わっていないと「思いこみたかった」のか。
 
「着いた」

 立ち止まる光音の声。
 確かに、光音の家の前だった。もともと、長い距離じゃなかった。
 でも今は……さっきまで長く感じられた道のりは、なぜかひどく短い距離だったと思った。
 ……だからだろうか。今の光音の言葉に、どこか寂しげな響きを感じてしまったのは。
 
「じゃ、な。今日はありがとう」
「……明日も、ごはん作りに行くから」

 そう言って、光音は家の中に入っていった。
 俺はそれをぼんやり眺め……そして、ふと我に返る。
 
「……まったく、なにやってるんだか」

 頭の中のくだらない考えをため息に変え、俺は今来たばかりの道を一人戻る。
 今日はいろいろあった。こんな日はとっとと寝るに限る。
 一人での帰り道はそんなことばかり考えていた。

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