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ラジオ・フェスティバル
(3)







 目が覚めて初めに目に入ったのは、多分いちばん見たいと思っていた人の、多分いちばん見たくないと思っていた顔だった。
 
「雅弘っ……!」

 泣きそうな、光音の顔。
 いつも計ったように切りそろえられた黒髪をわずかに乱し、いつもの無表情ではなく誰にでも分かる悲しみの色に染めた光音の顔。
 胸が締めつけられる。
 
「俺はどうなったんだ……」


 俺と光音はお互いに事情を交換した。
 聞けば、光音はただラジオ番組に出演しただけらしい。まあ、本人の了承をまともに取らないでほとんど拉致みたいな形だったのが問題と言えば問題なのだが。
 かく言う俺も光音に危険が迫ってるわけでもないのにすっかり状況に乗せられて見せ物になっていたらしい。
 ……まったく、馬鹿馬鹿しい。
 そして……結局俺は気を失い、光音が必死にあの女の子を止めてくれたおかげで大丈夫だったらしい。
 俺は最初の戦いで負ったいくつかの打撲と、そして最後の蹴りで受けた脳震盪以外にはこれといった怪我もなかった。
 窓から差し込む光は赤い。どうやらもう放課後のようだ。
 俺はベッドの上。光音はそのそばに置かれた椅子の上に座っている。……ずっとついていてくれたのだろう。
 
「ほんと、バカ」
「それはないだろう」

 話を終えての光音の感想一言。あんまりな光音の一言に、俺は反論する。身体を起こそうとして……動きを止めた。
 手を、光音に握られたからだ。
 ギュッと、強く。今までにないぐらいの強さで、小さな手が俺の手を握り、動けなかった。
 
「ムチャばっかりして……ほんと、バカ……」

 光音は俯いてしまい、黒髪に隠れその表情は見えない。だが、声が震えている。泣いているのかも知れない。
 
「わたしのために、無理をしないで」

 強く、強く。押さえつけるように、光音は俺の手を握る。
 光音の言葉。胸を打つ、言葉。
 光音にそんなことを言わせたくない。光音にこんな悲しそうな顔をさせたくない。
 俺はそのためにどうするべきだろうか?
 「もう二度とこんなことはしない」とでも言えばいいのだろうか? 嘘でもなんでもそう言えば、光音は安心してくれるだろうか。
 それは正しいことなのかも知れない。でも、何かが足りない。何かに届かない。そんな風に思える。
 だから俺は思うままに答えることにした。
 
「それは、無理だ」
「え?」
「お前のために、ムチャをしない方がムチャだ。だって……」

 一息、大きく吸う。
 光音にだけに聞こえる大きさで、光音にだけに聞かせたい言葉。

「俺は、お前のことが好きなんだぞ」

 口に出すのはやっぱり恥ずかしくて、ぶっきらぼうに言う。
 でも照れくささはあまり変わらない。
 と言うか、言った後からどんどん恥ずかしくなってくる。なにを言ってるんだ、俺は。いろいろ考えてるつもりで結局あんまり後先考えてない行動をとってしまうのが俺という人間らしい。
 言われた光音は俯いていた顔を上げ、キョトンとし……すぐに、顔を隠してしまった。なにを思ったのか、握っていた俺の手を持ち上げて顔を隠す。
 光音は俺の手の甲にコツン、と額を当てると。
 
「バカ……」

 消え入りそうな小さな声で、囁く。吐息が手の甲をくすぐる。
 俺のことをバカだというが、こいつだって似たようなものだと思う。
 手に当たる額がこんなにあったかかったら、こいつの顔が真っ赤だって事はすぐに分かってしまう。隠す意味がない。
 でも、俺の顔だってきっと真っ赤だ。こんな情けない顔は見られたくない。もっともそのことも手を通して伝わってしまっているように思えた。
 だから、見えなくていいのかも知れない。
 でも暖かさは伝わる。お互いの気持ちも、きっと伝わっている。触れ合っている俺達は、きっと見つめ合っているより距離が近い。だから、いいのかもしれない。
 安らげる時。
 でも、だからこそ。もっと近づきたいと思ってしまう。
 こんなに暖かいのに。こんなに近いのに。もっとそれを求めてしまう。
 光音の握る手を引く。
 光音は逆らわない。
 近づく。やがて、距離がどんどん近くなり、俺の引く動きに手で隠された光音の顔が現れる。
 予想通り、真っ赤な顔。大きな瞳。紅く染まる、ふっくらした頬。サラサラの、清流を思わせる黒髪。それらが、視界の全てを埋める。
 それは、もっともっと近づいて、もう目ではなくて唇で確かめる距離に……。
 
 ガラッ
 
「よ、よお」
「………」

 急に開いたドアの方を、あわててなんだかわざとらしい挨拶をしながら見る。
 高速で俺から離れ、きちんと座る光音は視線を送るのみ。……まあ、これはいつものことだが。
 それにしても今の素早さっぷりは俺にも見切るのが難しいほどだった。さすが光音、それでこそ俺の幼なじみだ。ってちょっと混乱してるな、俺。
 
「こ、こんにちわー……って大丈夫? なんか、顔赤いけど……」
「い、いやこれはなんでも……ってあんたはっ!?」

 混乱を驚きが吹き飛ばす。その後に残ったのは……戦慄。
 自分でも訳が分からない頭の中の動き。
 ってそれどころではない。
 保健室の扉を開き入ってきたのは……俺と死闘を繰り広げたポニーテールの少女だった。
 ……死闘を繰り広げたと言ってもそれは俺一人の問題なのかも知れない。だって相手はピンピンしているのだ。
 
「はははっ、ごめんねー。あたし事情知らなくってさ。……つい、ね」

 そう言って屈託なく笑う。
 その様は戦ったことが嘘のようだ。
 だって、相手は光音と同じぐらい小柄な女の子なのだ。
 解いたら腰まで届きそうなたっぷりとした長い黒髪を大きなリボンでまとめている。
 手も足も細く、華奢に見える。光音がどこか人形のような美しさなのに対して、その女の子は内から出る明るさに溢れている。
 何者も恐れない、陰のない太陽ような明るさ。夏みたいな元気さ。
 可憐。その一言でしか言い表せない、でもそんな言葉じゃたりない。そう思わせるぐらいかわいい女の子だった。
 しばし、見とれてしまう。
 それこそ、光音につねられてもしばらく気がつかないぐらい……
 
「っていてーっ!?」
 
 ってホントにつねられてるっ!?
 
「だ、大丈夫?」

 ポニーテールの女の子が心配して駆け寄る。

「高坂くん、まだ痛むの?」

 また心配そうな声。小さな三つ編みをちょこんと揺らして入ってきたのは守屋だった。
 
「守屋……ああ、もう大丈夫だよ」

 そのことを示すために、ベッドから身を起こす。
 わずかに痛みを訴える部分があったが、無視。実際、本当に大したことはない痛みだった。

「ごめんね、高坂くん。あんな企画になってるだなんて、ボク知らなくって……」
「ああ、守屋のせいじゃないだろう。今回はどうせ……」

 橘の顔が脳裏に浮かぶ。この手口はきっとあいつしかいない。
 
「あんたもなんだかいろいろあるみたいね……」

 俺の表情から何かを察したのか、同情するような声をかけてくるポニーテールの女の子。
 その響きに感じるものがあった。
 
「君もそうみたいだな……」

 二人して、ため息。
 なんだか変なところで気があったように思えた。……まあ、友情というのは得てして戦いのあとに芽生えるものだが。
 おっとそれ以前に……。
 
「そう言えば、まだ名乗ってなかったな。俺は高坂 雅弘」
「あたしは、舞黒 こがら」

 言って、ポニーテールの女の子――舞黒は笑った。本当にこの娘は見ていて気持ちよくなるような、澄んだ笑顔をする。
 
「それにしても、高坂くん? あんたなかなかやるわね。あたしを投げるなんて、カスミ以外では初めてよ」
「あんたを投げるようなヤツがいるのか?」
「世の中強いヤツはいっぱいいるわよっ」
 
 そうなのか……。
 やっぱり俺なんかまだまだなんだな。別に強いとうぬぼれていたわけでもないが、この娘より強いのが当たり前のようにいると聞かされるとどうにも自分の力のなさというものを痛感させられる。
 
「なによ、落ち込まないでよ。さっきも言ったけど、あんたもかなりのもんだと思うわよ。手加減したとは言えあたしに殴られて立ち上がるヤツなんてそうはいないし。結局あなた、最後まで倒れなかったのよ」
「そ、そうなのか?」
「正直あたしも、あれ以上は戦いたくなかったわね。負ける気はしなかったけど、戦っても本当の意味で勝つことはできなかったと思う。だから、止めてくれた光音ちゃんには感謝してるのよ」

 ニコッ、と光音に笑いかける。光音は驚いたように顔を俯かせてしまう。……よく照れるヤツだ。

「……やっぱり、真っ直ぐな目の男の子って強いわね……ホント、イヤになるぐらい」
 
 そう言って、舞黒はどこか遠くの……誰かを見るように微かに微笑んだ。その微笑みはなんだかうらやましくなるような幸せそうな表情だった。
 その表情が一転、怒りに変わる。いや、怒っているような顔だが、どこか嬉しそうな、でも凛とした不思議な表情。なんて言うか……輝いてる。
 
「そうだっ! あいつを殴らないとっ! どーせ今回のことにも絡んでるんだからっ……っていうかあの質問は許せないわっ!」

 くるりと、出口の方へと振り向く。一度こちらを振り返り、
 
「じゃ、またねっ!」

 シュタッと手をかざすと、舞黒はそのまま保健室から走り去っていった。その様は軽快のひとことだった。
 
「なんか……すごい女の子だな」
「ホントだね……」

 答える守屋も驚きを隠せない様子だった。
 すごい勢いの女の子だった。あれは旨美も凌ぐ勢いだな。
 
「そう言えば……旨美のヤツはどうした? あいつも怪我したと思うんだが」
「うん……帰っちゃったよ。なんか『やっぱりもっと強くならないとあいつに顔向けできない』って」

 俺の問いに、守屋が答える。
 
「へ? あいつって……?」
「こがらちゃんの事じゃないかな? あっさり跳ね飛ばされてショックだったみたいだよ」
「あいつがショックねえ……」

 そう言えば面識がありそうだったが……。
 
「さて……高坂くんも元気だって分かったし、ボクもそろそろ行くよ。後かたづけがあるんだ」
「そうか」
「うん。甘いものに対抗するのにもコツがあるんだよ。乙女が簡単に肌をさらしちゃいけないんだからっ」

 よく分からないことを言って、拳をぐっと握りしめる守屋。
 
「よくわからないけど……がんばれよ」
「……うん。がんばるよ。ボク、がんばるよ……がんばんなきゃ……ね!」

 どこか寂しげな顔で守屋は答える。まるで自分を必死に鼓舞しているかのようだった。

「じゃ、光音ちゃん。……じゃあね」
「うん」

 そして、
 扉が閉まる音が大きく響く。
 再び光音と二人っきりになる。なったはずだ。
 
「光音……二人っきりだな」
「う……うん」

 光音が心持ち身体を固くする。
 
「で……来てるんだろう、橘?」

 俺の問いかけに、部屋の隅からすうっと橘が現れる。  その不気味な様に、光音がびくりと震え後ずさる。かばうように手をかざしながら、橘を睨む。
 
「いつから来ていた?」
「さっきだよ。守屋なつみが去った間隙に、ね」
「今回はなんでこんなことに光音を巻き込んだ? ことと次第によっては……!」

 俺のことはどうでもいい。しかし、光音を巻き込んだのが許せない。
 ベッドから下りようとする俺を光音が気遣わしげに押しとどめようとする。
 
「もちろん、君のためだ。雅弘くん。……いや、君達のためと言った方が適切かな?」

 橘の一言に動きを一旦止める。
 
「俺達のため……?」
「川波 光音はその魅力でもってサインレント・フェスティバルに準優勝した」

 光音を指さしながら橘は言う。光音はその橘の無遠慮な行為に俯いてしまう。
 
「そうなれば、必然的に人気が集まり、その結果さまざまな影響を周りに与える。その中には本人にとって好ましくないものもあるだろう」

 確かに光音は必要以上に人気をつけてしまった。最近妙な気配も感じる。考えたくないが、ストーカーまがいのことをしているヤツがいるんじゃないかと、俺はすこし危惧していた。
 
「今回の件で得たことは二つ。一つは、川波光音には特定の相手がいると言うことを示せた。そのことにより川波光音への直接干渉は減り、その相手にやっかみが集中する」
「俺にかよっ!?」

 それはある意味で願ったりかなったりではあるが……こう面と向かって言われるとやっぱりイヤだった。
 
「もう一つは……放送室までたどり着いた雅弘くん。君が事実上、校内最強の一人であることを示せた」
「それは……買いかぶりというものだろう?」

 実際俺は舞黒に負けて終わったわけだし、その前の障害にしたって大した相手はいなかった。それで学内最強もないだろう。
 
「君は本当に無自覚だね……まあいい。とにかく、川波光音の相手は君、そして君は強い……その事実を学内に示せたのだから、今までよりずっと川波光音を守りやすくなったはずだ」

 まあ確かに……光音が俺の、その……彼女……ということになり、俺が強いと勘違いされれば、おいそれと手を出して来るものはいないだろう。
 しかしそれは……。
 
「じゃあ何か? 俺と光音は校内公認カップルになったってことか?」
「ふむ。そういう解釈はあるね」

 橘はにやりと笑う。
 うわ、くそう。確かに光音を守れると言うことはなによりも優先すべき事だが、それにしてもそんな恥ずかしいことになってしまうとは……。
 
「大丈夫だ。君は強いから安易に冷やかしてくるものもいないぞ。どうどうとイチャつけばいい」
「なに言ってやがるっ!」
「はっはっはっ、これで今回の件が君達のためだと言うことが理解してもらえたかい?」
「で、いくら稼いだ?」

 橘の笑顔がピタリと凍りついた。
 俺の突進劇が賭けの対象になっていたことは光音から聞いていた。そもそもこいつが絡んでいると確信できた理由のひとつもそのことだったりする。
 
「さ、さらばだ雅弘くんっ!」

 言うと、橘はさっさと逃げるように立ち去った。
 
「まったく……」

 まあいい。あいつは食券を稼いだはずだ。今度学食で「なんで学食にこんなものが?」と言われる謎のメニュー、完全予約制の5000円ステーキでもおごらせよう。一生に一度ぐらいは食べたいと思っていたんだ。
 
「さて、行くか」

 俯いてしまった光音の肩をポン、と叩き、光音のすぐ隣に立つ。
 光音はハッ、と俺を見上げ、
 
「大丈夫?」

 心配そうに問いかけてくる。
 正直に言えば、まだ痛むところはある。でも寝てるほどではないし、これ以上光音の心配そうな顔を見たくない。できるなら、笑顔を……ってそうだ。
 ポケットを探る。
 幸い、落としても壊してもいなかった。
 取り出したのは、腕時計。サイレント・フェスティバルのさなか、光音にプレゼントした腕時計だ。
 もともとは光音を優勝させるためにプレゼントしたものだ。でも今は贈って良かったと思っている。この腕時計が光音に似合うのは本当のことだし、これを贈って良かったと思う気持ちも嘘じゃない。
 腕時計を見せると、光音は笑ってくれた。
 俺だけに見せてくれる、満面の笑顔。
 光音の手をとり、そっと腕時計を巻く。
 あらためて、光音の腕の細さに驚く。
 こんなに細い手が、俺のことを支えてくれる。癒してくれる。
 こんな、小さな……俺が守りたいもの。守らなくてはいけないもの。
 だから……。
 
「もう少し……強くならないとな……」

 俺は、心の内でそっと呟いた。
 
 
Fin
 



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