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ラジオ・フェスティバル
(2)







 俺、高坂雅弘には、いまこのときになっても状況がよくわからなかった。
 昼休み。いつものようにいつもの中庭へと向かうと、光音はいなかった。
 光音が座る場所には、ひとつの書き置き。
 
「川波光音はあずかった。返して欲しくば、障害を突破し放送室まで向かってくるがいい」

 その内容より、その書き置きの押さえとして置かれた腕時計が俺を駆り立てた。
 光音にプレゼントした、赤いベルトの腕時計。
 見た瞬間に、時計をひっつかむと俺は走り出していた。
 一直線に放送室に向かう中、いろんな奴らが襲いかかってきた。みんなうちの生徒だ。その中にはフォーメーションを組んだり、竹刀やバットやらで武装したものもいた。
 だがどいつもこいつも動きが甘い。鈍い。ぬるい。
 かるくかわしていないして投げて、次々と進んでいった。たしか、諜報なんたらの山岸とかいうヤツが出てきて、そいつが少し手強かった。でもそれを別にすれば大した障害もなかった。
 走り行く中、耳を行き過ぎるのはギャラリーの歓声と大音量で流される校内放送。気にする余裕がなく、それらの内容はわからなかったが、雰囲気は伝わった。
 そして、わかった。
 
 どうやらこれは、馬鹿げたイベントらしい。
 あの、サイレント・フェスティバルのような。

 それでも止まることはできなかった。
 俺の知らないところで光音は連れ去られてしまった――その事実が、その後悔が俺の足を止めさせなかった。
 そこで、俺は出会ってしまった。
 光音と対して変わらない背丈の、小柄なポニーテール。
 今再び相見えている少女に……。





「ふうん……」

 ようやくたどり着いた放送室の中。
 長い黒髪を大きな白いリボンでポニーテールにまとめ、その髪を揺らしながら録音室から現れたのは、あの少女だった。
 不敵な笑みを浮かべ、こちらを面白そうに見ている。
 ようやくたどり着いた放送室。ここには俺がここまで来た目的があるはずだ。
 だが……。

「雅弘っ……!」

 光音の心配する声がする。
 
「高坂くん!?」

 守屋の驚いた声がする。
 でも、俺はどちらにも答えることができなかった。
 そんな……そんな余裕はない……!
 
「手加減したとは言え……もう動けるなんてなかなかやるわね」 

 目の前の少女の存在が、他に注意を払うなんて余裕を許さない。
 校舎を震わす程の打撃をこともなく「手加減」と言い、直撃ではなくその衝撃波だけで俺をうち倒した理不尽――目の前に在るのは、そんな圧倒的な存在。
 ぎりぎりの一瞬、辛うじて飛びす去ることによって気絶だけは避けられた。しかし身体には重い痛みがまだある。
 だが、そんなことはどうだっていい。
 
「わかってると思うけど……」

 少女がゆっくりと構えをとる。
 華奢にすら見える細く、小さな身体。だがそこから伝わるプレッシャーは巨大。俺と少女の間の空気が、その圧倒的な存在感に歪んだように感じられた。
 それを避けるように生徒達――おそらく放送部員達は、壁にへばりついている。
 そんなことを気にしている余裕はないが、それでも巻き込まなくて済むという安心感はあった。

「あなたじゃ勝てないわよ?」

 それは警告でも挑発でもなく、ただ淡々と事実を告げているといった口調だった。
 それゆえに絶対に感じられる。それゆえに重く響く。
 でも、そんなことは……。
 
「わかっているっ!」

 言葉と共に一歩を踏み出す。
 行動と一致しない俺の一言に、少女にわずかだが動揺が走る。
 だが、その動揺すらもこの戦いではほとんど意味を為さない。そんなことで埋まる力の差ではない。
 しかし。だからこそ。わずかでも勝率を上げる為には必要だ。俺にとってはすがらなくてはならない水に浮く藁のようなもの。
 その機を逃さず踏み込む。同時に、
 
「旨美っ!!」

 叫ぶ。
 
「ちくしょーっ、まさかこいつと素手で戦う羽目になるなんてっ!!」

 ドドドドドドドッ!
 

 叫びと共に聞こえたのは、背後から聞き慣れた轟音。旨美の疾走だ。
 ああ、俺はちゃんとわかってる。相手は強い。正面から戦っても勝てはしない。だったら、勝てる状況で戦う。少なくとも、勝ち目のまるでない状況では戦わない。とくに今回は光音がいる。絶対に負けるわけにはいかない。
 だから旨美に協力を求めた。放送室の前に倒れる俺の所に、騒ぎを聞きつけた旨美がいつものようにやってきた。事情を話すと協力してくれた。

 旨美に告げた作戦はこうだ。

 俺が先行し、相手の気を引く。そこで、俺の陰からの旨美の突進によって仕留める。旨美には俺を巻き込んでも構わないと言い含めてある。
 だが、相手は速い。
 初動から動きを読むことは不可能ではないが、読んだところで速すぎて身体が追いつかない。俺の力では足止めさえ難しいかも知れない。
 この作戦でも勝率は高くない。
 だから、もう一手。もう一手が必要だ。
 俺の突進に合わせ、眼前の少女も踏み込む。
 第一歩が床に着く。
 今っ!
  
「唸れっ! 旨美サイクロンッ!」

 足を止め、腰を落とす。左脚を屈し、右足は伸ばす。
 突然のことに、旨美は反応できない――まあ、これはいつものことだが。
 全力疾走の旨美は、全力ですっころんだ。
 今回はタイミングをバッチリ計り、いつもより威力と速度を上げた。
 通常の倍以上の速さと威力でもって、目の前のポニーテールへと迫る旨美。これが……合体技、旨美サイクロンッ!!
 しかし。
 
 ひと薙ぎ。
 
 無造作にも思える、ポニーテールの少女のただそれだけの動作で、旨美は冗談のようにはねとばされていた。
 しかし、それも予想範囲内だ。
 俺はその一瞬の間に少女の懐に飛び込んでいた。
 そこは、生死を分かつ場所。
 相手の実力は圧倒的。
 わずかな立ち会いでも分かった。この少女の攻撃は旨美と違って直線だけではない。あらゆる技があり、力がある。そして一撃で俺を簡単に仕留め得る。その動きを読むことは困難。読めたとしても速すぎて先手を打つ事なんてできない。
 だが、それなら限定してしまえばいい。
 旨美を排除すべく振り抜いた姿勢。
 ここから予想される攻撃は、そのまま手をうち下ろすか体勢を立て直してからのショートアッパー。
 これで二択。
 だが、それを見て判断するなんて暇は与えられない。
 しかし俺はこの背の低い少女はきっと打ち下ろしてくると確信した。
 勝負で勝つために相手の全てを上回る必要なんて無い。たった一瞬、たった一つでも勝る。それだけでいいっ……!

 相手の動きは霞むほどに速い。もはや俺の感覚ではとらえきれない認識の外の動き。
 だが、初動は見た。
 そして霞むとは言っても全く見えないわけじゃない。それに限られた動作で、しかも予想されたものだ。
 なにより光音がいる。世界でいちばん大切な幼なじみが見ているんだ。俺は負けるわけにはいかない。
 だったら恐れるな。迷うな。ためらうな。
 ただ、ただ、ただっ……!
 
 投げるっ!
 

 刹那の交錯。
 

 そのあとに、視界に現れたのは逆さまの笑顔。
 ポニーテールの少女の、野生的な笑み。
 衝撃に震える。
 ありえない。
 投げは成功した。
 しかしそれは半分だけ。相手は防御をかなぐり捨て、投げられる中にありながら蹴りを放っていたのだ。
 さすがにあの体勢では大した威力はでない。しかし脳が揺れる。いや、それを狙っての蹴りだったのだろう。
 濃密な時間が終わる。
 前と左脇から響く破壊音。
 左からのは、薙ぎ払われた旨美が放送機材をなぎ倒す音。
 前からのは、投げられた少女が放送室の壁を砕く音。
 音がようやく追いついた――そんな錯覚を抱くほど一瞬の出来事であり、それほどまでに俺は集中していた。

「ぐうっ……」

 しかし、その音もまた遠のいていくという感覚。
 視界もぼやけてくる。初めに戦ったときの身体の痛みもどこか鈍くなっている。
 しかし、まだ倒れるわけにはいかない。
 確かに投げた。しかしそれは不完全だ。本来は真下に落として衝撃全てを集中させるつもりだったが、それは阻まれた。だが相手も無傷ではないはずだ。それでも相手の打撃を投げに転化した。完全ではないとは言えあの勢いだ。無傷なわけがない。
 ここで踏みとどまれば、勝機はあるはずだ。
 まだだ。まだだ。まだだ

「まだだっ……!」

 言葉が出た。
 喋れる。だったら大丈夫。戦えるはずだ。
 右手に力を込める。……力を、込めることができる。片手でも動けば投げることはできるはずだ。だいいち、俺は倒れてもいない。まだ自分の足で立っているんだ。
 前に、気配が――もうそんな漠然とした言い方しかできないほど感覚が鈍っている――ある。
 間違いない。あの少女が立ち上がったのだ。こっちに向かってくる。でも、今までほどのプレッシャーを感じない。だったら何とかなるはずだ。
 だって俺は負けるわけには行かない。光音が……光音がいるんだ。
 だから、戦わなくてはならない。
 そして、勝たなくてはならない。
 でもどうしようもなく視界が暗くなる。
 全てが、遠くなる。
 
「雅弘っ……!」

 悲痛な光音の声。
 そんな声、聞きたくないのに……。
 でも、その声も遠く感じて、意識が……暗く……昏く……
 


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