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おねえちゃん忘れてるっ! 番外編 雨の日のおねえちゃん | 別に大したことがあったわけではない。 少しずついやなことがあった。自動販売機でジュースを買うとき釣りを落としたとか、電車にかけこもうとする直前に目の前でドアがしまったりとか。同級生とちょっと肩がぶつかりかけたとか、ノートに書き写す前に黒板消されたりとか。そんなつまらないこと。そんなことが、いくつかあった。 いつものこと。大きな不幸はない。大きな幸せもない。ただつらつらと日常があって、そして今日は少しついてなかった。 そして極めつけが、急に降り出したこの雨。うっとおしく降り続ける霧雨。無視するほどに降りが弱いわけではなく、かと言ってどうしても雨宿りしなくてはならないほど降りが強いわけでもない。 そんな中途半端ないまいましい雨が、学校の帰りに降り出したのだ。 僕は濡れるのがイヤで、でもこんなつまらないことで足止めされるのもイヤで、いらついた気持ちのまま雨が通りすぎるのを待っていた。 公園の真中の大きな木。なんの木かもわからない、ただ枝振りばかりが立派な木。その下での雨宿りは、周りにほとんど何にも無く雨で視界がきかないこともあって退屈だった。だから、余計にいらつく。 そんな、雨に霞む中。 「あ〜め〜」 思わず脱力してしまうような、気の抜けきった声が響いた。それはバシャバシャという駆け足の音とともに近づいてきて、僕の隣で止まった。 背の低い僕より、ちょっと高め。見上げると、ふわふわの髪にまとわりつく水滴と大きな胸が視界を占めた。女の子だ。多分、僕のひとつ上ぐらい。高校二年ぐらいだろう。 髪がふわりと動く。振り向く動き。水滴を跳ね、ふわふわした髪の隙間から現れたのは、さっきの声にふさわしいのんびりとした笑顔。 「あ、雨宿りさんはっけ〜ん〜」 僕のことを指差しながら、そんなことを言った。 無邪気な瞳が、僕のことをじっと見る。背丈から年上だと思ったけど、その表情と言葉だけならまるでずっと年下の女の子のようだった。 見つめられるのが恥ずかしくて、視線を落とすとそこには大きな胸。雨で濡れて服がぴったりとくっついて、なんて言うか形がはっきりとわかってしまう。大きい。それに、中にすごく一杯詰まっているような張りがある。 ……何考えてるんだ、僕は? じろじろ見ていてるのはまずい。慌てて目をそらす。 「あ、あんただって、雨宿りだろ?」 ぶっきらぼうに言うと、 「えへへ、そうだね〜。わたしも雨宿りさ〜ん」 女の子はふにゃりと笑って、楽しそうに言った。 なんだかヘンな女の子だ。声を聞いていると、雨の中にいると言うのにノンビリひなたぼっこでもしているような気分になってくる。 「ねえ?」 「なんだよ?」 「何か困ってるの?」 「……どうして?」 唐突な質問にいぶかしげに問い返すと、女の子はもじもじしだした。 「だって……困った顔してる」 女の子はジッと僕を見つめてそんなことを言った。 わけがわからない。そもそもこんな公園の木の下で、それこそ息が触れるくらい近くで胸の大きい初対面の女の子がいて、しかも真顔で僕のことを見つめて変な質問をしてくる。 混乱してきた。 今日はやっぱりついてない。そのことを考えると、今日一日のいやなことが走馬燈のように脳裏をよぎった。 「ろくなことがないんだよっ……!」 さっきまでのいらだちが舞い戻って、僕はその気持ちをそのまま口に出していた。 「釣り銭落とすし電車乗れないし肩ぶつけそうになるし……っ!」 空を見上げる。一面の雲。ゆるやかに、でもびっしりと落ちてくる霧雨。 「おまけに雨まで降るしっ……!」 「雨、嫌いなの?」 まるで食べ物の好みでも聞いてくるような気楽な調子で、女の子は聞いてきた。 ……なに言ってるんだろう? こんな雨を好きなやつなんているんだろうか? じめじめするし、うっとおしいし……現に今こうして足止めを喰っている。ろくなもんじゃない。 質問の意図が分からなくて答えに窮していると、 「わたし、雨って嫌いじゃないよ」 その一言と共に、止める暇もなくその子は雨の中へと踏み出した。 「小さい頃は、雨が降るとなんだかわくわくした。お気に入りのカサをさすのも楽しみ。ナ グツで水溜まりをぱしゃん、って踏むのも面白かった」 クルリ、と僕の方に振り返りながら、その子は言った。その動きに、身体に着いていた水滴が舞う。ちょうど雨に濡れたカサを振り回したような感じ。 「いつからか、ちょっとだけ雨がイヤになった。カサをもってくのはちょっと面倒。クツが濡れるのも困っちゃうな。でも、ね」 ピッ、と人差し指を立て、満面の笑顔。まるでとっておきのおもちゃを自慢する子供のように、得意げな顔。 「今日、急に雨が降ってきて……走ったらちょっと楽しかった。なんだかワクワクして、すぐに止まるのがもったいなくて、ここまで来ちゃった」 言うと、空を降り仰ぐ。まるで落ちてくる雨全てを受け止めるように、両手をばっと広げる。 「それにね、それにねっ」 手を広げるだけでは足りないと言うように、くるくるとまわる。まるで踊っているように、楽しげに。 その動きが止まる。 僕の方を向いてまわるのをやめたその子の顔は、ゆるやかな微笑み。 「ホラ、今日は……こんなにやさしい雨」 言葉以上に優しい顔で、その子は微笑んだ。 雨は相変わらず降っている。その子は濡れてしまっている。でも、ちっとも冷たい感じはしなくって、イヤな感じはしなくって……。 ただ、なんだか暖かい。そう、思った。 「イヤなことばっかりって言うけど、それはきっとこの雨と同じ。そのイヤなことはイヤなことばっかりじゃないんだよ」 「……わけわかんないよ」 ぶっきらぼうに言う。でも、困った。きっと僕の顔は笑ってしまっている。 何を言ってるんだこの人は。イヤなことはイヤに決まってるじゃないか。でも……さっきほどイヤな気持ちじゃない。悪くない、そんなふうに考えてしまっている。 「おかしなひとだな」 「えへへ……」 雨の中、ゆるやかな微笑み。 だから。そんな雰囲気だったから。 強い風が吹くなんてちっとも思わなかった。 それも、濡れて重くなったはずのスカートが持ちあがるほどの強風が吹くなんて、全然予想できなかった。 あまりにも急なことで、その子のスカートがめくれ上がっても目を逸らしてやることもできなかった。 ただ真っ直ぐに見てしまった。 次に視界に入ったのは、キョトンとした女の子の顔。 それはそれで見物ではあったけど……さっき見えたものがあまりにも印象深くて、なんだか混乱した。 在るべきハズのものがなかった。 それともないはずのものがあったというべきか。 見えちゃいけないものが見えてしまったと言うのもアリか。 二人して、バカみたいにぼーっとしてしまい……でもなんだか気になって、僕は疑問をそのまま口に出してみた。 「なんではえてないの?」 な、なに言ってるんだ僕っ!? 自分でもすごくおかしな質問だと思う。でも変だと思うのと同じぐらい、ものすごく適切な質問であるとも思えた。なんでこの女の子はなんにもはえてない……もとい、なんでなんにもはいてないんだーっ!? 普通ぱんつとかパンティーとかショーツとか、なんていうかそういう魅惑のアイテムがあるはずだろうっ!? 「み、見えちゃったのーっ!?」 女の子は目を見開いて、うつむいて、そしてすぐに向き直る。その顔はふぐみたいにむくれていた。 思わず視線を逸らす。自分はちっとも悪くないのに押し寄せてくる罪悪感。 僕がなにをしたっ!? なにもしてないっ! 確かに見たけど見ちゃったけどハッキリバッチリこの目でしかとっ! でもおかしいよ絶対いろいろとっ! ぐるぐるとそんな事を考えていると、 ピト 突然の唇の感触にまた混乱する。 白い。白くて細い指。人差し指。 女の子の、指。触れてる。唇に。やわらかくて、暖かい。そのことを意識したら、心臓が跳ねた。 驚いて見上げると、もう片方の人差し指を自分の唇に指を当てて、じーっと僕を睨むように見つめる女の子がいた。 「あ、あの……」 「しーっ」 「えとその……」 「しーっ」 「あ……」 「しーっ」 どうやら、黙れと言うことらしい。ようやくそのことを理解して、喋るのをやめることにする。そうすると、女の子の指が触れる感触が余計に意識されて、ますますドキドキする。 僕が喋らないと確認すると、女の子は自分の唇に当てていた手を下ろし、そして僕の唇にあてていた手を……今度は自分の唇に当てた。ちょとマテこれって間接キス……!? 僕の混乱などどこ吹くように、女の子はニッコリ笑って、 「しーっ」 とまた言った。そして、はにかむように微笑んで 「ないしょ……だよお?」 その言葉に……僕はぶんぶんと首を縦に振った。 別に「見てしまったこと」を秘密にしようってだけじゃない。もともとそんなこと言いふらすつもりなんてない。 ただ……いまこの子と過ごした時間。二人だけの時間を、誰にも渡したくなかった。 そんな、大切なものに思えたんだ。 だから、ぶんぶんとあたまを振っていた。 そんな僕を見て、女の子はにっこりと笑う。霧雨の降りしきる中、春の日溜まりのような笑顔。 僕は、なんだかなにも言えなかった。 バカみたいだけど、本当にバカみたいだけど……なんだか、感動していた。 でも、その感動も長くは続かなかった。 バシャシャシャシャシャシャッ! 水を跳ねる疾走の音が、もの凄い勢いで近づいてきた。女の子は、その音に脅えるようにびくりと震える。 そして、 「じゃ、じゃあヒミツだよ〜」 言うと、その音から遠ざかるように走っていった。 急な出来事に呆然としていると、目の前に走り込んできたのは小柄な女の子。 「おねえちゃん待ちなさーいっ! 雨の日にパンツはかないと風邪ひくでしょーっ!?」 内容自体は間違ってないような気もする、でもなんだかおかしなことをいいながら背の低い女の子はさっきの子を追っていった。 「なんなんだろう……あ」 ようやく気がついた。いつの間にか雨が上がっていた。雲の切れ間から、夕日に紅く染まっていた。 雨が止んだのなら、もうここにいる理由もない。僕は、トボトボと家路についた。 「そう言えば名前も聞けなかったな……」 また会えたらいいな。 でも、ホントに。 「おかしな子だったな……」 苦笑する。 確かに、あの子の言っていたとおり。イヤなことはイヤなだけじゃなかったのかも知れない。 僕は、雨が嫌いじゃなくなった。 了 |
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