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 冬の足音も聞こえてきた十一月の初め。そんな時期の、何でもない日の夕方だった。
 野上 孝治(のがみ こうじ)は気を紛らわすために自分の部屋の中を見回した。
 見慣れた自分の部屋。二階にあるその部屋には、見慣れた調度で占められている。壁には見飽きたポスターが貼られているし、毎朝見るカレンダーもいつも通り。本棚も別に品揃えが変わるわけはない。
 高校生の彼らしい、あまりにも見慣れた日常がそこにあった。
 しかし、いつもと違うことが二つ。
 ひとつは、彼が珍しく、普段はあまり近づくこともない勉強机についていること。その上には、これまた珍しく問題集とノートが広げられている。
 そして、
「もうちょっと待ってね」
 孝治の部屋に。彼の後ろに。一人の訪問者がいる。
 声に、孝治はごくりと唾を飲む。緊張していた。
 なぜなら、そこにいるのは女の子だから。気になる女の子だから。そしてなにより――振り向いた先には、いつもと違う彼女の姿があるはずだから。
 どうしてもわき上がる雑念を振り払う。
 余計なことを考えないためには、なにか別のことに集中することが一番だ。
 だから彼は思考を疑問へと強引に向ける。
 なぜ、こんなことになってしまったんだろうという疑問に向けて、一心に思考を巡らせる。

 委員長の贈り物
〜君のくれたファンタジー〜

 野上 孝治(のがみ こうじ)は、ある意味普通の生徒だった。
 どこか斜に構えた顔つきはまじめな生徒には見えないし、残念ながら彼の素行はそのとおりだった。不良と呼べるほど目立った違反行為をするわけではないが、学業に熱心かといえばそれからは程遠い。授業中は居眠りすることが多く、勉強をするのは試験前ギリギリ。それも一夜漬けをやればいい方、と言ったところだ。遅刻の常習犯でもある。
 でも総じて見れば普通の範疇に収まる、彼はそんな生徒だった。

 対して、折笠 景子(おりかさ けいこ)は、ある意味普通とは言えない生徒だった。
 姿勢のよい立ち姿はただそれだけで彼女が真面目であることを予想させる。そして、短く切り揃えたショートカットに細い四角形のメガネ、なによりそのメガネの奥にある凛とした瞳が彼女が優等生であると誰にも確信させることだろう。
 事実、彼女は成績の優秀な優等生であり、学級委員を務めてもいた。職務に対してあまりに忠実なその姿は、クラスのみんなから自然と名前ではなく「委員長」と呼ばれるほどだ。
 クラスの多くの者にとって特別な存在である、彼女はそんな生徒だった。

 そんな違いすぎる二人だから、接点はない――などということはなく、素行の悪い孝治は、まじめな委員長に注意されることがしばしばだった。
 そんな、ある日のこと。HRの時間、担任の教師がこんな事を言った。
「野上。お前はもっとしっかりしろ。委員長を見習ったらどうだ? なんなら、勉強でも教えてもらったらどうだ?」
 模範的な優等生である折笠景子がこうした注意で引き合いに出されることは珍しくない。そして孝治が注意を受けることも珍しくはない。
 だから、この二人の組み合わせの注意は別に誰もがなんとも思わない、ただの日常の中の冗談に過ぎなかった。
 クラスのみんながそう受け取った。教室の雰囲気は和やかで、みんな笑っていたものだった。
 だが、それを単純に冗談と受け取らない者が二人いた。
 一人はもちろん孝治だ。冗談だとわかりつつも、自分をあんな風にネタにされて面白いはずもない。しかも委員長まで引き合いに出されてはなおさらだった。
 そして、もう一人。
 こちらは本当の意味で冗談だと受け取らなかった人物がいた。
 
 HRを終え、不愉快な思いを抱えとっとと帰ろうとする孝治を呼び止めたのは委員長、折笠景子だった。
「野上くん、待ちなさい」
 うんざりと、でもそのわりには素直に孝治はふり返る。
 こうして呼び止められるのは珍しいことではない。学業に対して不真面目な孝治の行動がいわゆる「模範的な学生」の枠を外れてしまうことはしばしばで、その模範的な学生の見本みたいな委員長が注意をするのは必然と言えた。
 どんな小言が来るのかと想像していた。しかし、
「さっそく勉強を教えてあげるわ」
 まったく予想外の言葉が来て、孝治は面を喰らった。先ほどの担任の教師が言った冗談のことだと悟るのに、数秒の時を要した。
「な、なにあんな冗談真に受けてるんだよ!」
「たとえ冗談でも、先生はわたしに教えなさい、と言ったわ。学級委員としてその役目を果たさなくてはならないわ」
「バカ言うなよ」
「バカ言ってるのはあなたのほうよ。むしろあなたがバカ?」
「てめぇっ……!」
「あなたの成績が悪いのは事実でしょ? 学級委員長たるこのわたしが教えてあげると言ってるのよ、素直に言うことを聞きなさい」
「ふざけんな、なんでお前なんかに教わらなくちゃならないんだよ!」
「じゃあ、一人で大丈夫だと言うの?」
「あったりまえだろ!」
 大丈夫ではない。当たり前でもない。孝治は意地を張ったのだ。だが。
「それなら……これ、解ける?」
 そう言って委員長が広げたのは、数学の教科書だった。
 開かれたページは、孝治にとっておぼろにしか印象がない。むしろ「あれ? 数学の教科書ってこんなだっけ?」というくらいだった。
「今日の授業でやったばかりのところよ。これができるなら……そうね。わざわざわたしが教える必要はないかもね」
 そう言われても孝治には見覚えがない。数学の時間は確か居眠りをしていて、夢の中にはこんなxやyが入り組んだ文字列は出てこなかった。
「解ける?」
 さっぱりわからない。
「今日やったところだし、ノートを見てもいいわよ」
 睡眠中にノートをとれるほど器用ではない。
「本音を言えば、わたしもあなたに教えないでいいのならその方がいいのよ。委員長として、やらなくてはならないことはたくさんあるものね」
 わざとらしくため息を吐き、委員長はそんなことを言う。
 そんな様子にむかつきながら、しかし孝治は脂汗を流しながら問題を見つめることしかできない。わからない。解き方? 見当も付かない。そもそも何が書かれているのかもわからない。数学の授業は寝ることの方が多い。だから「今まで学んだことを応用してがんばる」ということも、彼には不可能だった。
「で、どうなの?」
 孝治の胸中を見透かすかのように問いかける委員長。いや、実際に孝治が解けないことをわかっているのだろう。その口元には勝利を確信した笑みを浮かべている。
 悔しく思いながら、しかし彼には何も反論できなかった。ぐうの音も出ない。
 結局押し切られ、孝治は委員長の申し出を受けることになってしまった。

 それがきっかけだった。
 それは仕方ないことだと、今では孝治も諦めている。
 自分が勉強できないのは事実だ。担任からの指示というお題目までかかげ、成績優秀かつ強引な委員長が教えると申し出たら、断り切れるはずがないのだ。
 しかし、それでも。それでも、だ。
 まさか言ったその日にはじめるとは思わなかった。その上、自分の家に押しかけてまでやろうだなんて想像の外も外だ。
 委員長いわく、
「こういうことは最初が肝心。言うでしょ? 善は急げ、時は金なり。第一あなた、日を空けたら変な言い訳考えて逃げてしまいそうだからね」
 その言葉通り、委員長の行動は迅速だった。そのまま孝治と一緒に帰宅。孝治の家に上がりこんで、彼が着替える間もなく問題を出題した。
「公式は教えるから、まずは練習問題。あなたの実力も見たいわ。ほら、さっさと解く!」
 口を挟む暇もなかった。孝治は言われたとおり公式を教えられ、そして問題集のどの問題を解くべきか指示された。
 委員長の言ったとおり、ただ公式を当てはめるだけの練習問題だった。すぐに解き終わり、採点もまたすぐに終わった。
 そして返ってきたのは、
「はぁ〜」
 という長いため息だった。
 孝治は委員長の不審な様子を見下ろす。
 今、孝治は勉強机に向かい椅子に腰掛けている。対して委員長は、彼女専用に出したテーブルに問題集を広げ、採点を行っていた。
 クッションの上に座っているとは言え、絨毯の上に座っている彼女の方が高さとしては下の位置にある。もっとも、委員長は背が低い方で、普通に向かい合っても孝治の方が高いのだが。
 ため息を吐き終えると、委員長はすっくと立ち上がる。そしていつものように姿勢をただし、それを崩さずスタスタと孝治の方へと詰め寄った。
「な、なんだよ?」
 手を腰に当て、腰を曲げて孝治の目線に高さを合わせる。すると、
「お、おおっ!?」
 息が触れるほどに近くなった。そんなに距離を詰めるだけの必要があるのか、と思わず問い返したいほどの近さだ。その至近距離で、
「あなた、ふざけてる?」
 睨むように強い瞳で見つめ、委員長は容赦のない言葉を放つ。
「ふざけてなんかいないっ……!」
 目を逸らし、どうにかそれだけを言う。頬が熱い。
 委員長は綺麗だ。
 凛とした形の良い目、すっとした鼻梁。唇は薄く、その色は淡く可憐な桃色。
 服装も学校からどこにも寄らずに来たのだから、制服のままだ。孝治はガクランだが、委員長は女子の指定の服装――ブラウスの上にセーター、下はチェックのブリーツスカートという出で立ちだ。委員長らしく、校則に乗っ取った清く正しい着こなしは、地味ではあるがそれはゆえにきちんとした気持ちのよい美しさがあった。
 そもそも委員長はスレンダーで背も低い。胸も薄く全体的にすらりとした体型だから、制服なら着崩すよりきちんと着たほうが似合っている。

 正直な話、孝治にとって彼女は気になる存在だった。

 前述の通り、彼はことある毎に委員長から注意を受ける。それは掃除当番をさぼったことだったり、授業中のお喋りであったり、あるいは遅刻をしたときだったりと、どれも取るに足らないことだった。
 でも、そんな小さなことにもいちいち口うるさく、やかましく――しかし、真摯に。委員長は孝治のことを注意した。不良になりきれない彼にとって、まっすぐに真面目で、しかし可憐なその在り方は眩しく、清らかで――綺麗に、見えた。
 だから、気づけば彼女のことを目で追うようになっていた。
 しかしそれは彼の一方的な想いのようだ。
 目で追うと決まって気づかれる。そして返ってくるのはむっとしたひと睨み。そのたびにちょっぴりへこむ。彼はそんなことを繰り返していた。
 それなのに――いや、それだからこそ、と言うべきだろうか。そんな彼女への淡い想いに、彼自身は気づいていない。時折気づきそうになるが、意識下ではすぐに否定してしまう。委員長のことも「むかつくやつだ」「いらつく」と考えることで気持ちを隠してしまっている。
 だから今のこの動揺も、彼にとっては今まさに失敗を指摘されようという状況への不安によるもの、という風にしか考えられなかった。
 しかし、
「まったく……この問題、どれもこれもさっき教えたばかりの公式をただ普通に当てはめれば解けるものよ。それをこうまで間違えるなんて、わたしが教えたこと、全然聞いてなかったのね!」
 委員長の言葉は辛辣だった。
 だがこれはやむを得ない。委員長の説明は丁寧でわかりやすいものではあったが、普段から勉強をしていない孝治にとってはそれでも難しかった。いきなりの実践は厳しいものがある。その上、ちょっと気になる女の子と自分の部屋で二人っきりというシチュエーションだ。思春期の男の子にとってはなかなか勉強に集中しづらいものがある。
 だがそれらの感情の機微も、彼には認められないものだ。だからよけいにイラついてくる。
 そして、
「もしかしてわたしのこと嫌い? わたしの言うことなんて聞いていられないの?」
 嫌い。その一言がとどめだった。
「ああそうだとも! お前のことなんて嫌いだっ!」
 気づけばそんなことを思いっきり叫んでいた。
 叫んで、気持ちがスッとして……そして自分のしたことに気がつき、後悔した。
 目を閉じ、ひとつ呼吸。そして目を開き、おそるおそる委員長を見た。
 委員長の様子は、さっきとまるで変わっていなかった。
 表情が同じ。ポーズが同じ。口もさっきのセリフを言い終えた形のままだ。
 つまり、固まっていた。
「委員長……?」
 不安に思い問いかけると、動き出した。
 まず、睨まれた。その視線のあまりの強さに、今度は孝治が固まった。
「そうなの……そういうこと言うのね……!」
 地の底から響きそうな声に、彼の心は震えた。身体は震えない。まだ、固まったままだ。
「だったらお気の毒様……! 勉強ができないあなたは、これからあなたの嫌いなわ・た・し・に! ずぅっと教わることになるんだからねっ!」
 言って、指をビシリと突きつける。
 その指先が小刻みに震えているのを見て、孝治は心底まずいと思った。
 委員長は震えるほどに、本気で怒っている。やばい。
「あったまきた! そういうことなら本気出すわよ!」
 威勢よく言い放つと、景気づけとばかりに委員長はセーターを脱いだ。
 気持ちのいいくらいの脱ぎっぷりの下から、まぶしいくらい白いブラウスが現れた。
 その白さに、孝治は目がくらんでしまいそうだと思った。
「い、いきなりなに脱いでるんだよっ!?」
 孝治は慌てた。
 実際、今起きたことは別に大したことではない。ただセーターを脱いだけのことだ。委員長にしても、口論に興奮して少し暑くなっただけなのだろう。
 しかし。しかし、だ。
 繰り返すが、彼にとって委員長はちょっと気になる女の子なのだ。
 その女の子が、目の前で脱いだのだ。思いっきり。
 彼が慌てるのも無理はない。
 そして孝治は、思春期の男の子だ。夏場は白いブラウスが透けることに心をときめかすことだってある。
 もっとも、冬服のブラウスはさすがに厚手で透けたりはしない。長袖だから二の腕だって見えないし、ばんざいしたところでうっかり隙間からブラがみえてしまうこともないだろう。
(いや、そうじゃなくっ……!)
 孝治の思考はどこまでも混乱していく。
「……なによ、その顔?」
 いぶかしげな委員長の声に、孝治はようやく我に返る。
「ふうん、そうか。野上くんってえっちなのね。嫌いな女の子相手でも、いやらしいことを考えちゃうんだ。ケダモノね」
「そ、そんなことねえよっ! 嫌いな女が脱いだってなんとも思わねえよっ!」
 苦し紛れにムキになる孝治だったが、言葉とは裏腹に力がない。なぜなら孝治は恥ずかしくなってしまい、委員長の方を見ることすらできていないのだ。
 対する委員長は孝治の内面すら見透かしているかのように、余裕の笑みを浮かべている。
 沈黙が降りる。空気が微妙に張りつめる。孝治にとっては気まずくてとても居づらく、委員長にとっては余裕に満ちた、どこか楽しげな空気。
 それは、委員長によって破られる。
「じゃあ、こうしましょう」
 突然の言葉に孝治が目を向けると、ぱん、と手を合わせる委員長の姿があった。
 それは孝治ももよく知る仕草だった。彼女は学級会などでいつも、このしぐさの後、さまざまな問題をすっきり片付けてしまうのだ。
「これから先、わたしが出した問題を半分以上解けなかったら……一枚ずつ脱ぐわ」
 笑顔のままに。そう、言った。
 そうだ。孝治はよく知っている。いつもこんな風に気のきいた一言で、こんがらがった問題を解決してしまうのだ。まさに快刀乱麻、委員長に相応しい能力だ。
 そこまで考えたところで、彼はようやく何かが致命的におかしいことに気がついた。
「……脱ぐ?」
 まずその言葉が理解できない。
「脱ぐ」
 委員長は優等生らしく即座に答える。
「誰が?」
「わたしが」
「なにを?」
「服を一枚ずつ」
「俺が問題を間違えたら?」
「ええ。過半数間違えたら、ね」
 孝治の順序だった質問を、簡潔に的確に委員長は答えた。
 おかげで孝治の中で意味は繋がった。言葉の意味は理解した。しかし意図することがわからない。っていうかおかしい。
「い、い、委員長っ!? 何言ってるんだよっ!?」
「たった今、説明した通りよ。あなたってほんとにわたしの言うこと聞いてくれないのねっ……!」
「そうじゃなくって! おかしいだろ、服を脱ぐなんて! だいたい……」
「だいたい?」
「普通は問題ができたら脱ぐもんじゃないのかっ!?」
 言いながら頬が熱くなる。以前読んだそれ系の本。そこで紹介されていた家庭教師もののビデオの設定では、がんばった生徒に家庭教師がえっちなご褒美をくれるのが大半だった。そんなことを思いだしてしまったのだ。
 そんな孝治の混乱を、委員長はふんと息を吐いて流す。
「あのね……勘違いしてるみたいだから言っておくけど……わたしは『ご褒美をあげる』って言ってるんじゃないの。『罰を与える』って言ってるのよ?」
「罰?」
「だってあなた、わたしのこと嫌いなんでしょ? 嫌いな女の子が自分の部屋で脱ぐなんて、すごく嫌なことじゃない?」
「そ、それはっ……!」
 ちょっと想像してみた。
 嫌いな女の子の姿を思い浮かべる。もちろん委員長ではない。とにかく思いつく限りのブスを思い浮かべる。
 そんなのが自分の部屋で脱ぎ始めることを想像する。
 止めても脱ぐ。かまわず脱ぐ。目をそらしても気にせず脱ぎ続ける。
 そんなところに母親でも入ってきた日には……。
「た、確かに罰になるのかもしれない……」
 恐ろしい想像に、孝治の背筋は寒くなった。
「でもそうね……もしわざと間違えたら、わたしの裸が見たい……つまりわたしのことが好きって解釈するけど……」
「ふ、ふざけんな!」
「じゃあせいぜいがんばることね」
 にやり、とする委員長の笑顔に、孝治は自分がはめられたことを悟った。売り言葉に買い言葉、孝治は結局、この馬鹿げた申し出を受けてしまったのだ。
「じゃあ、さっきの公式を使った別の問題をやってもらうわ。わざとじゃない限り、できるわよね、半分くらい?」
 今までと同じく委員長の進行には口を挟む暇すらない。
 そして、この奇妙な勉強会は進むのだった。





 問題をどうにか解き終え、採点が終わった。
 結果、正解はぎりぎり半数以下。つまり、委員長は脱ぐことになったのだ。
 これは孝治としては意図したことではない。彼は彼なりにがんばった。
 しかし、誘惑があった。間違えれば脱ぐのだ。
 さすがにそれはまずいと思った。だからがんばった。がんばったのだ。
 でも、心の動揺は抑えることができるはずもない。そんな状況で実力を発揮できるほど、彼は人間ができていなかった。そもそも実力そのものが足りなかったと言うこともある。

 そして、今に至る。

 長い回想はそこまでだった。
 ほんの短い時間だったのだろう。一瞬だったかもしれない。人間は死ぬ間際に、今まで過ごした人生のすべてを思い起こすという。いわゆる走馬灯というやつだ。それを思えばこんな短い時間の回想なら楽勝だ。
 なぜなら、死の間際に匹敵するほど孝治の思考は追い詰められているのだから。
 そして、孝治の思考は現在までたどり着いてしまったのだ。
 「どうしてこうなったのか」などということは、今考えても意味がない。ただの思考の逃げに過ぎない。今やその逃げ場も無くなってしまった。
 なら、考えることはひとつ。
 「これからどうなるのか」、だ。
 どうしようもなく思考は未来へとシフトする。すなわち、脱いだ後の委員長の姿。それだけは考えまいとしていた。なぜなら孝治は大変なことに気がついてしまっていたのだ。
 委員長は既にセーターを脱いでいる。残りはブラウスとスカート。どちらを脱いだとしても……少なくとも下着は見えてしまうのだ。
 そして委員長はスレンダーだ。控えめに言っても貧乳の部類に入る。だから、ひょっとしたらブラをつけていないかも知れない。そうしたらブラウスを脱いだだけでも大変なことになってしまう。

 生で!
 ライブで!
 夢の中でしか見たことのない委員長の「女の子らしいところ」を見ることになるのかもしれないのだ!

(そ、そんなバカなことがあるかっ……!)
 孝治は心の中で自分を叱責した。常識的に考えて高校生にもなってブラをつけてないなどあり得るはずがない。妄想が獰猛に暴走している。もはや彼にそれを止める術などあるはずがなかった。
 止まらない。どうしようもなく、進んでいく。
 やがて頭の中ではすっぱだかになった委員長の姿で占められていった。しかもなぜだか裸なのに靴下だけは穿いている。マニアックだ。そして最低だ。
 そんな時だった。
 いきなり、肩に柔らかい感触がきたのは。そして耳元には、それに伴うぱさり、という乾いた音。
 孝治は否応もなく現実へと引き戻された。
「うひゃあっ!?」
 とりあえず驚いた。だから声を上げた。
 なにが起きたか孝治には理解できない。
 声だけでなく身体も動き、肩に乗っていた布らしきものはじゅうたんの上へと落ちる。孝治は思わず目を閉じる。そちらを見てはならないと、なけなしの理性が全力で頑張っていた。
 五感のひとつ、視覚を自ら封じると、代わりに聴覚が鋭敏になる。
 そこに聞こえてきたのは……クスクスという委員長の笑い声。
「委員長……?」
「もうこっちを向いてもいいわ」
 もうこれ以上避けようがない。そもそも、本心では見たくてたまらないのだ。
 だから本人としては大変な決意をしたうえで、しかし傍から見ればとってもあっさりと、孝治は振り返る。
 すると、そこには笑顔の委員長がいた。メガネ下には今まで見たことのないくらいはつらつとした笑顔が輝いていた。
 ごくりとつばを飲み込み、おそるおそる視線をおろす。
 まず委員長の笑顔。メガネがきらりと輝いたように見えたのは錯覚だろう。
 そのまま視線をおろす。
 ブラウス。ある。スカート。健在。
 さらに視線を落とす。黒のハイソックス。これもあった。
 すべて、ある。なにも無くなってはいない。
 だが、違和感がある。脱いではいない。それでも肌色の面積が増えたように思える。
 予感に導かれ、再び視線を上げた。
 そこで気づいた。胸元だ。さっきまできっちり閉められていたはずの首元が開いている。わずかながらほっそりと形のいい鎖骨を確認できるほどだ。
 はっとなり、今度は視線を足元に下ろす。先ほど孝治の肩に乗せられた布。赤い、スカーフ。それは委員長の首元に巻かれていたものだったのだ。
 委員長は約束通り一枚脱いだ。そう、確かに一枚。スカーフを一枚、確かに「脱いだ」のだ。
「がっかりした?」
 委員長の問いかけに、孝治は全力で首を左右に振る。その有様は見ていて哀れなくらい必死だった。
 実のところ、絨毯に落ちるスカーフを眺める孝治の顔はがっかりを通り越して絶望にも近いものがあったが、本人にその自覚はない。
「お、お、思ったより脱いでなくて、ホッとしたんだ」
「ホッとした? そうね、嫌いな女の子の裸を見ないで済んだんだものね」
「ああ、そうだとも!」
 孝治は流れに乗ってそんなことを言って……またしても後悔した。
 だってメガネの向こうの委員長の目が、とっても怖い。
「で、でも、本当に脱ぐとは思わなかった」
「わたしは約束を破らないわ」
 どうにか話題をそらそうという、苦し紛れとも言える言葉に、しかし委員長はきっちりと答える。
 そのためらいのなさに、孝治は本当に怖くなった。
 今はスカーフだった。次はきっとハイソックスだろう。でも、なら……その次はどうなる? どうなってしまう?
「きょ、今日は母さんいなんいんだぞっ!」
 思わずそんなことを口走っていた。
「ふうん?」
「母さんは今日はパートだ。夜遅くまで帰ってこないって言ってた。父さんだって仕事だ。なにかあっても、止める大人はいないんだ」
 言いながら、孝治は後悔していた。
 この言葉は明らかな逃避だった。こんなことを言えば、服を脱ぐなんて馬鹿げたことはやめるだろう。それどころか帰ってしまうかもしれない。
 でもこの気まずさから抜けられるなら、それぐらいなんでもないと思った。同時に、あとで死ぬほど後悔するだろうと予感してもいたが。
 だが。
「そんなこと初めからわかっていたわ」
 委員長の声にもその姿にも、動揺らしきものはひとかけらすら見当たらなかった。
「家に上がったときも出てこなかったし、今まで部屋にも来なかったし、帰ってきた様子もない。家に他に誰もいないことなんて誰にだってわかるわよ」
 孝治はなにもいえなかった。

 つまり。委員長は。
 誰もいないとわかった上で。
 同世代の男の子と二人っきりというこの状況下で。
 「問題を過半数間違えたら服を脱ぐ」なんて言い出したことになるのだ。

「まったく、なめられたものね。いまさらそんなことでこのわたしが怯むとでも思ってるの?」
 孝治は金魚のようにくちをぱくぱくとさせるだけだ。言葉にならない。想像を超えた現実が、今、ここにあった。
「さ、早く次の問題をやりなさい。わたしを脱がしたくないのなら、ちゃんとやること!」
 なんだかもう、孝治には逆らう気力すらなかった。





 委員長は困った顔で孝治のノートを見ている。
 孝治はうなだれている。
 彼は今回もがんばった。
 努力は報われるべきだ。しかしそれは悲しいかな、願望にすぎない。つまり、いつでもかなえられるわけではない。
 がんばった。でも、「気になる女の子が脱いでしまう」という状況は変わっていない。実力だってすぐに上がるわけではない。
 そして今回の問題は、さきほどのものより少しだけレベルが上がっていた。「さすがにこの公式も慣れただろう」という委員長の判断だったが、やはり孝治にはレベルが高すぎた。
 だからこれはなるべくしてなった結果とも言えた。
「仕方ないわね……」
 困った顔で、しかしどこか楽しげな響きのある委員長の声に、ふたたび孝治は背を向ける。そしてきちんと背筋をただし、手はひざの上。
 そして、待つ。
 指示されるまでもなくバッチリ準備を進める孝治に、委員長は苦笑する。
 孝治は気を落ち着けようと思考を巡らす。
 今回は心配することはない。
 何を脱ぐ?
 決まっている。次はハイソックスだ。
 孝治に脚に対する極端かつ特別なこだわりはない。大丈夫、別に脱いだところでなんてことはない――そう考えることで、孝治の心はどうにか落ち着きを取り戻そうとしていた。
「靴下を脱ぐんじゃつまらないわよね」
 が、そんなつかの間の平静は、委員長の一言で木っ端微塵にうち砕かれてしまった。
 孝治は心の中で絶叫した。もし声に出していたなら確実に町内中の人間の耳に届いたであろう、しかし感情が高まりすぎて声にならないであろう、絶叫。それはそんな、心の中だけでしかあり得ない、魂の雄叫びだった。
 動悸が高まる。どんどん高まる。
 彼がもし蒸気機関車なら破裂しているだろう。火力発電所なら炉心の溶解は免れまい。原子力発電所なら……大変だー! みーんーなー、逃げてーっ!
 そんな感じで高まっていく。動悸。気持ち。心。期待。高まる、頂点、その瞬間。
「はい、こっちを向いてもいいわよ」
 響いた。委員長の声。
 間髪いれず振り向いた。その早さは、委員長からすればまるでコマ落としのようにだった。後頭部がいきなり顔になった。そんな不可思議。
 孝治の視線はまず下だ。ハイソックスが……ある!
 期待が加速する。鼓動は既に限界だ。
 そうした気持ちに押し上げられるように、視線は徐々にしかし止まることなく確実に上へと向かう。
 彼は今、真剣だった。間違いなく、今までの過ごしてきた人生の中で一番本気だ。
 視線が上がる。チェックのスカートが目に入る。
 上へ。止まらない。止められるはずがない。
 そして、視界を占める白。
 まぶしいほどの白。目を灼かれると思うほどの、白さ。
 それは、その白の正体は……
 
 ブラウスの白だった。
 
 肌の白さではない。明らかに布の質感。ボタンも見える。ちゃんとしてる。
 孝治の身体が震える。不可解なことに動揺する。
 そのまま視線は上がり続け、委員長の視線と、メガネ越しにぶつかった。
 委員長の目は、笑っていた。
 答は出た。
 委員長は、脱いでいなかったのだ。
「どう?」
 ニコニコとした笑顔で、からかうような調子で、委員長が問いかけてくる。
 優治は瞬間的に沸騰した。
「ふざけんなっ!」
 ここに来て、彼はようやく悟った。
「俺のこと、からかったんだな……!」
 そうだとすれば全てつじつまがあった。
 先生が冗談で言ったことを真に受けたこと。いきなり孝治の家に押し掛けたこと。そして問題を間違えたら脱ぐ、なんていう馬鹿げた提案をしたこと。
 説明がつく。不自然なそれら全てのことが、孝治をからかうためだったというのなら、矛盾なく繋がってしまうのだ。
 孝治の憎しみすら込められた目に、さすがの委員長も一歩退く。
「……怒った?」
「当たり前だっ……!」
 怒りが高まっていく。止められない。ともすれば、彼女につかみかかってしまいそうだ。殴ったっておかしくはない。
 だが、それは必死に押さえた。理性が辛うじて暴挙を止めていた。
「ごめんなさい……これあげるから、許してくれない?」
 怒り狂う孝治を目の前にしているというのに、変に余裕のある委員長だった。それを訝しく思いながら、差し出される彼女の手に応えて孝治は手を出した。
 その上に、何かが置かれた。
 白と青で彩られた布の固まりだ。しっとりとした、とても柔らかな感触。そしてほのかにあたたかい。
「……?」
 なにかわからない。しかし、不思議だった。なぜだか怒りがおさまる。怒りが消えたわけではない。「それどころじゃない」という、得体の知れない予感があった。
 理解できない自分の心の動きに、戸惑う。
「これ……なんだ……?」
「さて、なんでしょう?」
 相変わらず余裕に満ちた委員長の言葉に、今や怒りすらわからない。
 ただ、疑問だけが頭を占める。
 答を求めて、まるまった布を広げてみた。
 
 孝治にはそれがなんであるのかわからなかった。

 柔らな布切れ。
 白と青のストライプ。
 知ってはいるはずだった。
 しかし理解することができない。
 だってありえない。ありえないが。
 もしそうなら委員長はからかっていないということになってしまう……!
 
「やだ、広げられると恥ずかしいわね」
 頬に手を当て、わざとらしく照れる仕草をする委員長。孝治は驚愕にぶるぶると震える。
「これ、これ、これ、まさか……?」
「わたしのパンツよ」
 あっさりと、持ち主たる彼女は答えた。
 悲鳴を上げることもできなかった。
 ありえない。ありえるはずがない。やっぱり委員長はからかっているに違いない
 そう思いこもうとした。
 しかしそれを否定しまう要素が一つある。
 そのぱんつは、ほのかにあたたかかったのだ。
(つまり、脱ぎたて……?)
 孝治は頭を振る。
(ありえない。そんなことが現実にあってたまるものか……!)
 ならこれはなんだ。彼には想像がつかない。わからない。
 だから、彼は抵抗することができなかった。
 どん、と。強めに。孝治は押された。
 もともと不安定なイスの上、しかも考えにふけっていた孝治に抗う術はなかった。
「うあっ……」
 長々と悲鳴を上げるヒマもなく倒れる。柔らかい感触に受け止められる。倒れた先はベッドの上だった。
 いや、背中のことなんてどうでもいい。孝治にとって考えなくては目の前のことだ。即ち、自分の上にのしかかる委員長のこと。
「ふふ、ドキドキしてる……」
 委員長の手が孝治の胸の上に乗せられている。どうしようもなく高まる心臓の音が筒抜けになってしまう。
「どういうつもりだっ……!」
 抗議の声を上げるが、それは情けないほどに弱い。
「どういうつもり? ……それはこっちのセリフよ」
 委員長は口を尖らせる。孝治はますまず混乱するばかりだ。
「あなたがわたしのこと、嫌いだ、なんて言うからよ。この嘘つきっ」
 どこか拗ねるような、しかしかわいらしい委員長の言葉。
「そ、それは……」
「嫌いな女の子相手に、こんなにドキドキするわけないわよね」
 心臓は嘘をつけない。もう孝治自身も認めている。
 委員長のことが好きだ。
 だが。だが、この状況は一体何なのだ。
 混乱する孝治の右手を、委員長の残った左手が導く。
 導かれた先は、彼女の胸。心臓の上。
 ほのかに柔らかい感触に驚く。一層鼓動が高まる。
「わかる……? わたしも、すごくドキドキしてるの……」
 感じる。孝治は、確かに感じていた。
 言葉でなく、心音が。心のリズムが、お互いの気持ちを言葉以上にはっきりと伝えていた。
「ずっと気づいてたのよ。あなたの視線……」
「でも、迷惑だったんじゃないのか……?」
 そうだ。彼が目を向けると、いつも彼女はにらみ返していたのだ。
「初めは、ね。でもわたしにあんな熱い視線を向けてくれたのはあなただけ」
「委員長は人気者じゃないか」
「そうね。でも、みんなが向けるのは尊敬のまなざしってやつなの。それはそれでうれしいものだけど、どこか一線を引いてる。あなたみたいに、真っ直ぐな視線はなかった。だから、初めは迷惑で、でも気になって……気づいたら好きになってた」
「それだけ、か」
 呆然と孝治は呟く。
「うん、それだけ。でも……大好き」
 まっすぐにそんなことを言われた。しかし孝治は恥ずかしくなるより、なにか満たされるものを感じた。暖かで、幸せな気持ちだった。
 しかし、それだけに気になることがひとつあった。
「でも、それならなんでにらみ返されるんだ?」
「ずっと見つめられたら恥ずかしいのよ」
 言って、ちろりと舌を出す。真面目な優等生の彼女からは想像できない、それはお茶目でかわいらしい仕草だった。
 彼女が素顔を見せてくれた。
 だから彼もまた、素直になろうと思った。
「俺が真面目にやらないのは、委員長に構ってもらいたいからなのかも知れない」
 だから、孝治は中途半端な不良を続けていた。
「わたしがあなたに口うるさいのは、あなたと少しでも話したいから」
 だから、ちょっとしたことでも小言を言った。
 なんてくだらない、ちょっとしたすれ違い。でも、かみ合っていた二人の間。
 それが、正しく繋がったのだ。
 二人して、微笑み合う。
 ふと、孝治は自分の鼓動が落ち着いてきたのに気がついた。普段よりずっと高まってはいるが、それでも先ほどのような限界ギリギリという感じでもない。そしてそれは、右掌から伝わる委員長の心音もまた同じようだった。
 心音は人の心を落ち着かせると言うが、どうやら本当のようだった。
 気持ちが落ち着くと、孝治は残った左手の中にあるもの――すなわち、パンツが気になった。
「あの、これ……」
「やだ、そんなに握りしめないでよ」
 倒れたせいもあり、いつのまにか固く握りしめていた。孝治は赤くなる。慌てて手の握りを弱めるが、それでも離そうとはしなかった。それを見る委員長は苦笑して、孝治はますます恥ずかしくなる。
「いや、その……これ、本物なのか?」
「本物って、どういう意味?」
「からかうためだったら、もう一枚用意するって手もあるだろ?」
 そうだ。確かにそういう目的だったら、もう一枚準備することはできる。何しろ孝治は背を向けていたのだ。いくらでもやりようがある。触れた瞬間、ほのかに温かかったが、それにしても例えば懐にでも入れておけば簡単に再現できる。
「あら鋭い。勉強の時もそうだったらいいのに」
 言って、委員長は立ち上がる。孝治は寝ころんだまま、ぬくもりの失われた右手で、寂しげに虚空を掴んだ。
「さて、どっちでしょう?」
 おどけるように言って、委員長は両手でスカートの端をつまみ上げる。
 まるでそれは、ドレスを纏った淑女の礼のよう。
「お、おい……!」
 孝治の戸惑う声をよそに、少しずつスカートは上がっていく。
「ねえ、野上くん。ひとつ教えてあげる……」
 校則を守った長さのスカートも、今やギリギリの高さまで上がっていた。
 刻一刻とその露出を増す白いふとももが、ただただ眩しい。
「男の子だけじゃないの……」
 見てはいけない……そんなことを頭の片隅で言い訳のように唱えながら、しかし視線ははずせない。吸い込まれたようにただ一点を見つめる。
「あのね……」
 そして、スカートの上昇は一時止まる。
 それはぎりぎりの高さ。わずか数ミリ上がるだけで、孝治に答を示せる境界。
 孝治が息を呑む。
 そんな彼の様子に、委員長は穏やかに微笑む。
「女の子も、えっちなんだよ……」
 そして、そのとき。部屋の外から階段を上る音が響いた。
 




「孝治ーっ、お友達が来てるのーっ?」
 ノックと共に、息子の部屋のドアを開く。
 孝治の母、野上 静恵(のがみ しずえ)が家に着いたのは午後七時前だった。
 パートの仕事が思ったより早く終わり帰ることができたが、夕食が近い時間だった。
 そんな時間に返ってきたというのに女生徒のクツがあるのに気づいた。だから、孝治の部屋にすぐに来たのだ。
「お邪魔しています」
「ま、まあ! 折笠さん!」
 静恵を迎えたのは、穏やかで礼儀正しい礼だった。
 彼女――折笠 景子のことは静恵も知っている。なにしろ評判の優等生だ。
「あらあら、折笠さんが家にいらっしゃるなんて……孝治が何か?」
「はい。担任の先生から孝治くんの勉強を見るように言われまして……」
 委員長の言葉に、静恵はじろりと孝治の方を見る。
 我が息子は、なんとわざわざ勉強を教えに来てくれた優等生をほおっておいてベッドで寝ころんでいるのだ。
「孝治! せっかく折笠さんが来てくれてるって言うのに、あんたはなにをしているんだい!」
「おばさま、許してあげてください。いま”勉強”が終わってくつろいでいる所なんです」
 言って、クスクスと上品に笑う。
 あまりに余裕に満ちたその様子に静恵はなんだか恥ずかしくなる。
「あらそうなの。それにしても、折笠さんがこんなにきちんとしているって言うのに……」
「恐縮です」
 これだけのやりとりで、孝治の母は納得したようだった。委員長がセーターを脱ぐどころかスカーフだって外しているというのに、きちんとした佇まいでそれを気にさせない。孝治がベッドの上にいる不自然さもあっさりと説明してしまった。
 そんな様子をぼんやりと耳にしながら、孝治はただ寝ころび、天井を見るばかりだった。





「ちゃんと途中まで送って行きなさい!」
 結局委員長はすぐに帰ることになった。母親にそう言われ、孝治は(表面上は)渋々と、委員長を送ることになった。
 孝治が先を行き、委員長が後に続く。
 手を繋ぐことはしない。腕を組んだりもしない。それどころか、必要以上に近づこうともしない。
 今になって、様々なことが思い出され、二人とも恥ずかしくなってしまったのだ
 でも決して一定以上離れようとしない。二人とも、その距離が、お互いがわかりあっていると思えることが、うれしかった。
 だが、そんな道行きもやがて終わりになる。
「……家、このすぐ先。ここまでで、いいから」
 委員長の示す道を見れば、街灯で照らされた明るい一本道だ。
「お父さんちょっとうるさいから、家の前までは来ない方がいいと思うの」
「あ、ああ……」
 確かにここまで来れば心配はないだろう。そして面倒なことは避けるべきだった。
 しかし、どうしても。名残惜しいものがある。
 そんな孝治に、
「しゃんとしなさい。あんなことがあったからって、わたしはあなたに注意するの、やめたりしないんだからね」
 いつもの学校でのように、委員長が言う。
 そうだ。さっきの彼女も良かったが、孝治は普段の委員長が好きなのだ。だから、
「ああ、お手柔らかに頼むぜ」
 とりあえず、そう、普段のようにぶっきらぼうに言う。
 委員長は、笑顔で答えた。
「じゃ、また明日!」
「ああ、明日、な」
 言って、駆け出す。
 孝治はその姿を最後まで見送ろうと思った。
 と、駆ける途中で委員長が振り返った。
「あ、そうだ!」
「ん?」
「それ、記念にあげる!」
 言われて孝治は思いだした。
 あの時。階段の音であわててポケットの中に入れたもの。
 それはまだ、そのままだった。
 つまり、それは。
 彼女の、白と青のストライプのぱんつが。
「ちょ、ちょっと待てーっ!?」
 しかし彼女は止まらない。そのまま家に入ってしまう。
 やれやれと、孝治は思う。
 彼女は言った。えっちなのは、男の子だけでなく、女の子もそうなのだと。
 その通りだ。
 彼は自覚する。俺はえっちだ、と。
 なぜなら彼は、この彼女の贈り物を、一生の宝物にするのだと心の中で固く固く誓っているのだから。

Fin

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